2011年4月7日木曜日

長崎慕情 京都慕情 (ザ・ベンチャーズ)


もうひとつ長崎で感じた事は、長崎のような異国情緒のある街は音楽の舞台になりやすい、と言う事でした。クラシックの蝶々婦人とか、長崎の〇〇とかが実に多い。私のギターの師匠でもあるベンチャーズも長崎の曲を造っている。去年の坂本龍馬ブームでも、長崎や京都が舞台になっているが、外国人から見てもこの辺が日本の雰囲気を感じる場所のようです。そして此処にある慕情なる言葉は、何ぞや、と調べてみると’したうこころ’とある。とくに男女の気持ちのなかに多くある感情だと書いてあった。古い港町や古都での恋人達は、歌になりやすいということでしょうか、逆に言うと平凡な恋は歌にしても面白くないと言うこと?。

2011年4月6日水曜日

長崎は今日も雨だった (クールファイブ)


梅沢富美男さんと言えば、以前NHKの番組で前川清さんとふるさとの番組をやっていました。あの番組が好きでよく見ていましたが、前川さんがすっかりお笑い芸人化したのには驚きました。前川さんのデビュー曲の”長崎は今日も雨だった”と言う曲がありますが、去年、車で九州の旅をしましたが、歌のとおり長崎は雨でした。佐世保で一泊して、朝に長崎の眼鏡橋あたりで降り出して、円山公園や亀山社中の観光や思案橋でも小雨が降っていました。その時思ったのは、あの曲の中の雨は小雨だったと確信しました、小雨では歌が唄いにくいですがね。

2011年4月5日火曜日

夢芝居 (梅沢富美男)


この曲の作者も小椋佳さんですが、印象派の絵画のように万人受けするような綺麗な曲で、大ヒットしましたが、わたしの好きだった小椋佳さんでは無くなって来ました。後半の彼の曲は、いい曲だとは思うのですが、あの難しい哲学書の雰囲気は消えていました。それは仕方の無い事です、この私も当時は真直ぐに張った糸のようでした、今ではゆるゆるの垂れ下がった糸ですものね。ひとを責める前に、自分が言えるだけの人間か考えるようになりました。これを世間で言う、まあるくなった、と言う事なんでしょうかね。

2011年4月4日月曜日

シクラメンのかほり (小椋佳)


わたしの悲恋に話は終りましたが、初期の小椋佳さんは抽象画のようで理解しにくい言葉を繋ぎ、まるで難しい哲学書を読むようでした。その不可解さに共感を覚え、彼のアルバムの中にある落書きが好きでした。このシクラメンには私の発見があります。小椋佳さんは北原白秋が好きだというので、私も日本文学全集の北原白秋と高村光太郎の編を買い、ひととおり読みました。白秋の部が終わり、高村光太郎の最初の詩の中に、何と!しくらめんのかほり、と言う文章がありました。パクリとは思いませんが、影響があったのではと思います。この曲のヒットから小椋佳さんの曲は、綺麗な言葉をちりばめた印象派の絵のように変化して行きました。

2011年4月1日金曜日

さらば青春 (小椋佳)


病院で医師の言葉に驚いた、常習犯ですね、死ぬ気の傷ではありません、と言われ、警察から人が来るので調べを受けてくださいと言われ、同行した母にも事情を話した。彼女を背負って帰るタクシーで、この恋の終わりを感じた。後日彼女の父親が家に来て、警察からの連絡でここにお世話になっているのを知らされたそうだ。彼女は私の家を出て、鷺宮と言う所に引越し、私の小椋佳時代が終わりを告げた。そしてひと月あまり後の夜、電話に出ると初めて聴く男の声で、彼女は元気で居ますか、という婚約者からの電話だった。私の事は調べたのだが、自分も事情で故郷に帰ることになったので、最後の電話らしい。彼女が出て行ったことを告げて、お互い新規に頑張りましょうと言って電話を切った、いままで何だったのだろう。

2011年3月31日木曜日

うす紅色の花 (小椋佳)


或る日、彼女の願いでH君を家に招待した。いろいろ楽しく過ごして、彼を駅まで送る時、H君に言われた。もう彼女が来ないようにしっかり捉まえておいてくれ、僕は彼女に興味はないが、私との友情は大事にしたい、と告白され、その日の夜に彼女と話合いをした。そして夜中になったので一人ベットで寝ようとしたが、彼女は私のウイスキーを瓶で飲んでいた。うつらうつらしてきた私に、何かが倒れ込んできた。彼女であったが、腕を握っているので払いのけると真っ赤な血が垂れていた。それで全てを理解した私は救急車を呼び、それが来れば家族にも知れる、しかし彼女の状態のほうが心配だった。

2011年3月30日水曜日

暇つぶし以上に (小椋佳)


H君の部屋に彼女は居なかったが、さっきまで居たそうで入れ違いだそうだ。H君に事情を話すと、彼も困っているようだ。彼女が遊びに来るのは構わないが、来るなら私と二人で来るようにしてくれ、という嘆願であった。彼女の天真爛漫な人格は分っていたが、恐らくH君の夢にかける姿に好意を抱いたのだろう。以前、中野ブロードウエイにあるクラシックという音楽喫茶で、スピーカーのある席で彼を見かけ、あれが芸術家の姿だと言っていたのを思い出した。その姿と、今の私と比較すると、仕事に就いて安定した男と、夢追い人では分が悪い。本来は私だって夢追い人だったが、彼女の為に夢を捨てて現在に至るのだ。

2011年3月29日火曜日

流れるなら (小椋佳)


実家に引越しをした二人は普通の暮らしを始めたのだが、高円寺の仲間との暮らしが忘れられず、彼女は時々遊びにいく様になった。私が仕事から帰っても彼女は高円寺にいる。実家の離れなので家族とは行き来がないので、家では幸せに暮らしていると思っている。夜遅く帰ってくる彼女に、今の暮らしはつまらないかと質問すると、自分は中央線沿線が好きだと言うので、そのうち考えようと諭した。しかし、高円寺のコミユーンの誰の所に言っているのか気になり、私もコミユーンに行ってルーダーに訳を話すと、どうも絵描きのH君のところらしい。私には嫌な予感がしていたのでH君の部屋を訪ねた。

2011年3月28日月曜日

蕾. 【かなうなら夢のままで】 (小椋佳)


そして、夢のようなひと月が過ぎ、仕事も落ち着き給料を貰うと、コミユーン(下宿屋)の人達とささやかな飲み会を開いた。このグループのまとめ役のK氏や絵描きのH君、半年仕事をして半年遊ぶN君、その他漫画家や占い師など、隣の部屋の住人は名前が分らないので風さんと呼んでいた。そんな連中に酒を振舞えば想像がつくでしょう。将来の夢追い人の集会の真っ只中、こんな世界があることを知り感激した。ここに居れば見付からないと思いながらも、彼女の婚約者の影を気にする日々が続いたのだ。そして、大家さんとの契約で3ヶ月だけ、という日が来たので私の実家に引越しをする事になった。

2011年3月24日木曜日

再出発

TVのニュースも少しずつ平常時に戻ってきたし、放送される被災者の状況を見ても、とても前向きで頑張っています。私もショックから立ち上がり、天変地異を責めても何も始まらない事を感じました。支援の方々もかなり増えてきて、原発も少しずつ好転してきたので、少し安堵しています。来週あたりから、更新をしたいと思います。とにかく前に進むしかないんですよね。