2009年12月31日木曜日

第九-歓喜の歌  (レナード.バーンスタイン)


きょうは大晦日。といえば、何故か第九が聞こえてくる。その理由は、自分で調べてほしい。このページも今年も残り少ないのであしからず。私の音楽趣向は偏見なしの無節操である。いいものは聞き、興味の無いものは無理して聞かない、実に気ままだ。クラシックも同じ曲であっても、カラヤンや小沢はあまりに個性的で聞かない。もっぱらバーンスタインのような柔らかいモノをこのむ。この区切りも実に主観的で、自分勝手な仕切りであるが、この歳までそう言う聞き方をして来たので変わらないだろう。幻想交響曲のあとに、突然JAZZだったり、津軽三味線を聴いたりするのだ。こんな私に、来年もお付き合い頂ければ幸いです。では、よい御歳をお迎えください。

2009年12月30日水曜日

愛は限りなく (ジリオラチンクエッティー)

チンクエッティーの代表曲の”愛は限りなく”。なぜか、モノクローム映画の一場面で、ラストシーンにこの曲が流れ、残像がいつまでも残っている感じです。その当時は、方やリバプール旋風が吹き荒れ、ビートルズなどが大ヒットしていた。一方、ユーロビートなるソフトなロックも静かなブームを起こしていた。イタリアやフランスの若いアーティスト達が、アジアに進出して、ユーロ映画と一緒に日本に入ってきた。”アイドルを探せ”と言う映画や、イタリアン映画でマカロニウェスタンなどと言うイタリア製作のアメリカ西部劇なんかも流行した。チンクエッティーの可憐な魅力に魅了された男子は、私を含めて多かったのだ。

2009年12月29日火曜日

ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ)


その昔、日本でカンツォーネブームがあった。今でこそ、あちらこちらで音楽祭なるイベントがひしめき合っているが、元祖音楽祭のようなイタリアのサンレモ音楽祭で布施明さんが出場したのを思い出す。和製ボビーソロと異名をとったほど、注目された。そして、その本人のボビーソロであるが、清楚な好青年というイメージだった。現在のイタリア男性は、ジローラモさんに代表される、チョイ悪オヤジのイメージが強いが、昔はそうでもなく、好青年純情派という感じだったのです。この曲にしても純情そのもの、女性アイドルも、ジリオラチンクエッティという清純を絵に描いたような人が人気でした。

2009年12月28日月曜日

霧の摩周湖 (布施明)


布施明さんはデビュー以来のファンで、ホイホイミュージックスクール当時、ライバルの望月ひろし、に先を越され、それでもジリジリと人気を獲得してきた努力家として、今では世界のシンガーとして通るようになった実力派だ。代表曲の”霧の摩周湖”の大ヒットで、北海道の湖の代名詞となるまで有名にした。もちろん私も影響を受けた。この夢を果たすため、摩周湖の駐車場へワゴン車で乗りつけ、マーチンの携帯ギター(バックパッカー)を持ち込み、誰もいない真夜中の摩周湖の霧に包まれ、弾き語りをした。馬鹿な奴だとお思いでしょうが、馬鹿な奴ほど馬鹿をするものでございます。一生に一度でいいから、歌の世界に入ってみたかったのです。それで味をしめて、たまに歌の世界へ旅をしています。旅はいいですよ。

2009年12月27日日曜日

湖畔の宿  (高峰三枝子)


榛名湖は高峰三枝子さんの縁の地でもある。彼女の大ヒット曲である”湖畔の宿”はこの地で創作されたと言う事である。榛名山を湖面に写す高台に、それを記念した歌碑が刻まれている。人が近寄ると曲が流れる装置や、大きな鉄片を順番に叩くと、曲になる鉄琴か設置してある。作詞家の佐藤惣之助先生が、この地で創作されたそうである。以前、このブログで取り上げた布施明の”榛名湖の少女”と言う曲以前に、こんな名曲があったのを、この地を訪れるまで忘れていた。もっとも、私が生まれる前の曲なので、致し方ない事ではあるが、こうして聞いてみると旅愁あふれる素晴らしい曲である。

2009年12月26日土曜日

宵待草 (高峰三枝子)


竹久夢二記念館でオルゴールを聞いたら、必ず聞くのはこの曲だろう。夢二の詩は女性の絵と共に、大正浪漫の象徴として愛されている。この一体は(伊香保)夢二と係わる場所が多く、榛名の山をバックにした乙女の絵や、榛名湖のそばには、夢二のアトリエだった場所と言うのが現存する。宵待ち草の詩は、千葉県で創られたとの情報が有力だとされているが、榛名湖のほとりであったら、と妄想するのも一興ではないだろうか。大正時代は短い時代であったが、昭和、平成の時代に生きた私には、あの、裸電球、舞踏会、人力車などのノスタルジーがたまらなく恋しい。恋愛も命がけだったに違いない、まさに、命がけの恋だったんだろう。

2009年12月25日金曜日

清しこの夜 (オルゴール)


クリスマスの定番、”清しこの夜”(サイレント.ナイト)。この曲を聞くと本当に清い心になります。まして、中世のオルゴールで聞いたら荘厳な大伽藍に響き渡る、賛美歌のように聞こえます。このオルゴールと言うのはピンキリで、バイオリンのストラディバリウスやグアルネリのように格付けまで有るという。と言うのも、音を出す部分よりも、音を響かせる箱の部分の材質や構造で格段の差が出るらしい。私が感動したのは、伊香保温泉にある、竹久夢二美術館の中に併設されしオルゴール館である。種類の多かったのは勿論だが、場所が地下室なので、おとの響き方が尋常ではない。機会があれば一度入館をお勧めします。

2009年12月24日木曜日

ホワイト.クリスマス (ビング.クロスビー)


クリスマスイブ、前夜祭。戦後生まれの私は、物心ついた頃にはクリスマスがあたりまえにあった。近所の友達が教会の日曜学校に通っていたので、誘われてたまに行っていた。ナザレの星とかの演劇を手伝ったりして、静かな聖夜を過ごしていた。我々の年代はこの曲が一番クリスマスを感じる。ジングルベルかこの曲かと言えば、聖夜の意味からも”ホワイト.クリスマス”なんだろうな、この暖かく包み込むような歌声が、昭和のクリスマスだったような気がします。ちなみに、私を教会に誘った友達は、その後イスラエルに行って、帰国後に牧師として世界を回っているそうです。イスラエルの土産の壁掛けが、まだ部屋に飾ってあります。

2009年12月23日水曜日

君が代 (合唱、雅楽)


今日は天皇誕生日である。国歌”君が代”については賛否両論ありますが、私の”君が代”は、今自分が他の人とコミニュケーションするために、日本国からお借りしている日本語、と日本人の印(エンブレム)、家紋のような感覚です。物心付いた頃より、感動の場面には常に”君が代”が演奏された。オリンピックで優勝した時。ボクシングの世界タイトル戦。いろいろな場面で日本人を感じさせてくれた。今、国旗や国家が問題視されているのは、強制する、しないが問われているので、旗や曲がどうのという事ではないと思う。とにかく、国旗国歌はいい思い出だけでないのは確かだが、戦争の戒めや激動の出来事を背負っているのは事実である。平成天皇のお誕生日を祝して、本日の名曲は”君が代”にしました。

2009年12月22日火曜日

真冬の帰り道 (ザ・ランチャーズ)


”冬の散歩道”によく似たタイトルで”真冬の帰り道”と言う曲がある。ランチャーズと言うグループの曲だが、この人達の中に加山雄三さんの従兄弟がいる。曲の作曲者でもある喜多嶋修と言う方、そのむかし、とんでもない事をしてくれたのです。我等がアイドルの内籐洋子さまをサラっていって結婚してしまったではないか。そして、その愛娘が、あの喜多嶋舞さんなのです。母子で妖艶な魅力のある、美形家族であるのだ。そうそう、曲のほうだが、従兄弟とはいえ加山雄三の一連の曲に酷似しているのは、血筋のせいなのか、環境のせいなのか、とても似ているのが印象的だ。そういえば顔もにている。

2009年12月21日月曜日

冬の散歩道 (サイモン&ガーファンクル)


12弦ギターの音色を聞いてギター弾きは、一度でいいから弾いてみたいと思うもんである。4輪免許を取ったら一度はフェラーリに乗りたいのと同じだ。私は運良く、中古品だが10万円程度で手に入れることが出来たが、チューニングに苦労した。通常の6弦のほか、細い弦でオクターブ違いで各弦の復弦の音合わせに苦労する。ツインギターと言って、二台のギターで同時に弾く奏法もあるが、二人か重ね録音するしかない。12弦でホテルカリホォルニアを練習したが難しく、この曲が単調だったのでチャレンジしてみた。今、冬に散歩をしているが、ふと、この曲のイントロを思い出すのである。

2009年12月20日日曜日

なのにあなたは京都へゆくの (チェリッシュ)


男女のデュオといえばチェリッシュでしょう。でも、この曲でデビューしたころは二人ではなかった。まだフォークグループ全盛の頃で、数人で活動していたが、リーダーとボーカルが出来てしまって(失礼)他のひとは、あてられっぱなしで、出て行ったと噂されている。未だに解らないのが、京都と恋人の愛を比べて、恋人よりも京都がいい、という男がいるのか?。そいつはどんな奴だ!?。と、そんな事はどうでもいい。その当時、私は12弦ギターを買ったのです。チューニングに倍以上の時間が掛かり、握る力も大変で手放してしまった。この曲を弾いていい音してたのを思い出します。

2009年12月19日土曜日

宗谷岬 (ダ・カーポ)


北の外れの岬には、北海道の最北、宗谷岬がある。この地をめざして、計画も適当にその場その場で気分しだい、風吹くままの旅をした。辿りついた宗谷岬の御土産やから流れたいた曲が、この曲だった。曲と一緒に景色まで潜在意識に刷り込まれ、この曲を聴くと風景が浮んでくる。宗谷岬には二回訪れたが、二回ともこの曲に出迎えられた。おそらく、また尋ねることがあっても、この曲の出迎えを受けるだろう。むかしは、宗谷といえば南極観測船の名前で知られていたが、平成の今はこの曲だろう。いつ塗り替えられるかは分からないが。

2009年12月18日金曜日

津軽海峡・冬景色 (石川さゆり)


寒い岬と言えば、♪ごらんあれが竜飛岬北の外れと、見知らぬ他人が指を指す♪の歌詞が浮びます。作者の先生方はお亡くなりになってしまいましたが、歌は永遠に残ります。この歌の前に、太宰治の小説などで知っていましたが、竜飛岬には一度行ってみたいと思っていました。そして、この曲を聴いてなおさら気持ちが大きくなりました。ついに東北に彷徨い旅をして、青森の海沿いを見て歩きました。青森の青函連絡船の記念船、八甲田丸、の前や、竜飛岬の階段国道の上にも、歌碑と音楽が流れる装置が設置されていました。この曲は、それほどの名曲に数えられる、数少ない大名曲になりました。

2009年12月17日木曜日

襟裳岬 (吉田拓郎)

冬から春になる、そんな時に聞こえてくるのがこの曲だ。何年たっても廃る事のない印象的な歌である。私の友人で、サンケイスポーツの記者がいるが、この友人の十八番がこの曲だ。何処が好いのか聞いてみると、♪君は二杯目だよね、珈琲カップに角砂糖ひとつだったね♪という何て事ないフレーズがお気に入りだと言う。歌は生活だ、景色だ、くるくる回しているスプーンが絵になる。ホッとする瞬間だという。人にもよるが、♪飼いならしすぎたよね♪は理屈っぽいからいやだ、と言う。とにかく、発売当時は、♪何も無い春です♪は地元では評判が悪かったそうである。もっともだ。

2009年12月16日水曜日

虹と雪のバラード(トア・エ・モア)


冬の華といえば冬季オリンピック。そして、それを映画化してBGMとして創られた音楽がこの曲だ。映画のすばらしい映像のバックに、トワェモアの透明感漂う声で歌われた”虹と雪のバラード”。この曲が流れるたびに、条件反射のように、あのジャンプのメダル独占やフィギャーの妖精たちが、昨日のように蘇えってくる。あの頃は人類が月に行ったのと相まって、地球人全体が目標を持っていたような気がします。先に見えるもの目指して突き進み、金メダルや月世界や、未来に期待して頑張る時代がうらやましい。現在のように温暖化が進んで将来が危ぶまれ、若者は不況で就職出来ない闇の時代に、この曲は一腹の清涼剤となるかも知れない。

2009年12月15日火曜日

氷雨  (日野美歌)


冬が近ずくと雨に混じって降ってくるもの、それは霙(みぞれ)と言います。硬く凍ったものは雹(ひょう)と言いますが、雹は冬の現象ではあまり起こらないようです。しからば氷雨とは何ぞや、と考えてみる。気象学的にはそんな言葉は使われてはいない。聞いたそばから寒そうで、悲しくなりそうな言葉、これが言葉絵の具というものです。歌謡曲を作詞する時、どれだけの言葉絵の具の調合が出来るかに才能が出ます。普段から言葉の調合を楽しみ、言葉遊びをして鍛錬すると、荒木とよひさ先生の”悲しみ本線日本海”みたいに、ありもしない♪シベリア颪♪や♪悲しみ本線♪と言う嘘のように美しい詩が生まれて来るのです。これが歌謡作詞の極意なんです。だから私も言葉遊びを楽しんでいるのです。

2009年12月14日月曜日

秋冬 (三ツ木清隆)


秋が来れば冬になる。その、ほんの短い季節に別れてしまう。この時間まで、どれだけ積み上げた季節。恋心の初めから終りまで、楽しい時間が多かったのか、苦しい時間が多かったのか。人はいつも考えているが、恋について反省ばかりしていて、一番あざやかだった、あの瞬間に生きる事を忘れている。結果的にあっけなく終っても”あの素晴らしい愛をもう一度”しようではありませんか。秋は反省の季節ではありません。過ぎた愛を思い出す季節です。あの映画の一場面のように。

2009年12月13日日曜日

秋風のバラード、夕月  (黛ジュン)


真夏の次は秋、秋の川原にはススキがたなびき、冴え渡る夕月。かってそんな情景を唄った曲があった。黛ジュンの”夕月”である。しかし、この曲の原曲は、リサイタルの中の演出用に披露された、組曲形式の四季、四部作の秋のパートである。ギターを実兄の故三木たかし先生が奏でて、語り風に台詞で始まる抒情詩だった。その後、評判がよかったこの曲を、弱かったテーマイメージを、夕月と言う強烈なイメージに変更して、大ヒットに繋がったという、裏話が噂されていた。その曲をyuotubeで捜したが無かったので私がUPしました。古いカセットからの摘出ですので、音が悪いのはお許しください。

2009年12月12日土曜日

真夏の出来事 (平山みき)


ばんばんの奥様と言えば、変声歌手の平山みきさんだ。どうして二人は出会ったのか、どうして結婚生活が永くつずいているのか。?まことに失礼千番な謎なんですが、おなじ歌手同士で、歌番組で出会う事もあるでしょう。私からすれば、中島みゆきさんと森進一さんが結婚したら、くらい不思議な組み合わせでした。まさに縁は異なものと言いますが、芸能界はまさにそのとうりです。性格が合わなそうな人ほどくっつきます。芸能人の結婚は、いわばスポーツ紙や週刊誌、テレビ局にレポーター、の飯の種で、これで生活してる人もいるくらいです。私の周りにもその種の方が多く居ました。芸能人の結婚が騒がれなくなつたら、何人の人が飢え死にする事か、みなさん、どんどん派手にやりましょう。

2009年12月11日金曜日

「いちご白書」をもう一度  (ばんばん)


ばんばん、の曲で「いちご白書」をもう一度、と言う曲があった。映画「いちご白書」を、学生時代の恋人が見たけれど、現実社会に出てゆく時、ただの大人になってしまった。という内容の曲だが、映画は違う。ボート部でも入って楽しいキャンパス生活を送るつもりで、入学した主人公が、学生運動に巻き込まれる。彼らの抗議に対して学校側は、君達の意見は子供のおねだりだ、「いちご白書」でしかない。と言って跳ね除ける。彼等は体育館を占拠して、床をたたいてストをはじめる。学校は機動隊を配備して、いわゆる”ブッコヌキ”を行った。催涙弾の煙の中、生まれて初めてノウを言えた主人公が、強制的に排除される。映画はそこで問題定義したまま終わる。実に消化不良の映画だったが、印象的だった。ラストシーンがありました。 http://www.youtube.com/watch?v=6s8OOEqI5h8

2009年12月10日木曜日

♪SACHIKO♪ (kirarana7na2)


サチコと言う曲が、同時期にもう一曲存在しました。検索しているうちに、懐かしい映像を見つけました。かつて、自分がやっていた、スナックでの弾き語りの光景にそっくりで懐かしい。だけど、この人みたいに、アルペジオやハンマーなどを自在に操り、歌も、高音域をカバーして安心して聞けるが、私の場合はこれほどのレベルではなかった。この方は、プロのスタジオミュージシャンかヒットに恵まれない歌手の方ではないでしょうか。商品で言うと無印良品と言うところかな。曲の方は少し異論があります。♪幸せを数えた片手にさえ余る♪こんな不幸な幸子さんがいるのでしょうか。幸か不幸かは気持ちの持ちようですよ。何でも無い様な事が幸せなんです。詩の内容が大袈裟なようで、ばんばんに一言いいたかったのだ。

2009年12月9日水曜日

サチコ     (ニック.ニューサー)


元カノと言うのは、どこまでの関係をいうのだろう。同棲していた女性は限りなく元妻に近いし、デートして食事して、家まで送る程度は元GF(ガールフレンド)だろう。その人は、少なくとも土肥温泉で一泊した事があるので、元カノと言えるだろう。名前がサチコ、だったので、当時流行っていたこの曲を、カラオケで歌って迷惑顔されたのを思い出す。彼女はパブスナックでバイトで働き、私はその店の客という、良くありそうな関係だった。球場へは良く行きました。その人は野球好きで、男の私より詳しかった。私の仕事環境が変わったので、店にいけなくなってから、どちらともなく遠ざかっていった結末でした。その後一度だけバイクに乗っていたとき、逢いました。それ以後は逢えません、運命かな。

2009年12月8日火曜日

未来予想図Ⅱ(ドリーム.カム.トゥルー)


車のライトで意思表示と言えば、この曲。♪ブレーキランプ5回点滅、愛してるのサイン♪。この曲が浮かんで、偶然出くわしたモトカノに、さようなら、のサイン5回送ったことがあった。5回と言うのは、いろいろ理解できるので、ありがとう、にも、ばかやろう、にも取れるので、どう思ったかは定かではない。また、それを確かめる術もない。もう二度と逢うこともないだろう。あんなに仲が良かったのに、友達でいることも出来ないなんて、恋愛なんかするものか、と思いながら懲りもせず、幾つになるまでするのだろう。バイクもだいぶ重くなってきたので、最近は車が主流だが、車でブレーキランプ5回点滅は、ちょっと難しい。

2009年12月7日月曜日

男と女   (フランシス.レイ)


この曲も映画の主題曲ですが、今回の思い出は車です。その当時は高速道路はまだ少なく、前車を追い越す時は、クラクションを鳴らして警告していました。この映画の中で、遠くから真昼にライトを点滅して、恋人に合図した。当然ライトのスイッチは、昔の引っ張るやつ。引いたり押したりして点滅させる。私の知る限りでは、今のようにライトで意思表示をしたのは、この映画が初めてではないかと記憶する。今でこそウインカーのスイッチを手前に引けば、いろんなライト警告が、暗黙の了解でセオリーとなっているが、その意味では、この映画の貢献度は高いだろう。フラッシャーの軽い点滅も、ありがとうの挨拶に使われているが、いずれも公安上の法規に定められている訳ではなく、常識の範囲で交わされている。

2009年12月6日日曜日

ある愛の詩 (フランシス.レイ)


愛の定番。この映画を観ずして、愛を語るな、と言われるくらいの作品です。曲を担当しているのはフランシスレイと言う方は、名を上げたら誰でも知っている、名画の音楽を担当して来た。その美しい旋律も相まって、映画がヒットしたと言っても過言ではない。私もこんな曲が創れたらと尊敬しています。(愛は決して後悔しない事)と言う、有名な台詞も、人生に刻み込んで生きてきた。作詞の師が、なかにし礼先生、音楽の師がフランシスレイ、恋愛の師が○○麗子さん、(勝手に認識)なんと、阿吽倶流の人生に影響を与えた人々が、礼、レイ、麗と同じキーワードが絡んでいる事でしょう。この先も、れい、をチェックしておきます。

2009年12月5日土曜日

冒険者たち  (アランドロン)


冒険旅行と言って思い出すのは”冒険者たち”というフランス映画だ。鉄屑屋の男と冒険屋、そして、がらくた芸術の作家である女性が、宝船の沈んだ地図を手に入れる。宝をめぐり事件に巻き込まれ、女性レティシアは銃弾に倒れてしまう。彼女の遺体を潜水服に収め、暗い深海の底へ沈める男たち。私は観ていて、何ともやるせない無情感を覚えた。愛する人を失うと言う。仏教で表される四苦八苦を感じた。そして。映画のフラッシュバックか、それから、潜水服のような狭い密着した空間が怖い、閉所恐怖症になったのです。車は大丈夫なんですが、狭いエレベーターなんかは恐怖です。感情移入がこんな結果になるとは思いませんでした。

2009年12月4日金曜日

北の国から  (さだまさし)


北といえば、阿吽倶流の人生に影響を与えた最大の”北”、それはこのテレビドラマだった。倉本總さんの原作をドラマ化して、俳優も成長したり年老いてゆく様を、毎年のように描いていた。観ている視聴者も感情移入して、まるで自分や親戚の物語のように感じていた。いつしか富良野という土地に行きたくなり、ついに実現にいたった。その過程をブログにまとめましたので、ぜひ見てやってください。

◎”阿吽倶流の彷徨い日記”  http://anku-samayoi.jugem.jp/

この旅で、物語の中心になった麓郷にも行きました。そこの、りょくほう、と言うお土産やさんの人に、田中邦衛(黒板五郎)さんに似ているといわれました。

2009年12月3日木曜日

北へ帰ろう   (徳久広司)


TBSのTVドラマのなかの劇中歌として登場した曲で、のちに”昭和枯れススキ”などの超ヒット曲なども生み出している人気番組があった。寺内貫太郎一家2、である。この番組がオンエアーされていた頃は、阿吽倶流も働き盛りの遊び盛り、そして、テレビ盛りだった。と言うのもこの頃から人間関係の会話の中で、テレビ番組の話題ができないと仲間はずれにされたからだ。毎日、人気番組をチェックして、コミニケーションしていたのだ。現在もそういう傾向はあるようだが、話題はもっと自由化してきたようだ。この歌をカラオケで歌える人は、かなりマニアックであった。作曲家として、徳久広司先生は、先生が付くほど出世した。

2009年12月2日水曜日

ヘッドライト  (新沼謙治)


ここまで来たら、この人が出てこない訳にはいかないでしょう。訛りタレントとしては、千昌夫、吉幾三、先輩ともども、ローカル歌手として名を轟かした謙治くん。そんな親しみのある存在でした。私なんかも歌手を目指したり、作詞家の勉強をしたりしたけれど、チャンスがなかったので,活きる為にいろんな仕事をして来ました。彼も左官という技術を学んで仕事をしながら、芸能界のチャンスを掴んで歌手となった。そして、現在はスポーツ選手の奥様と悠々自適な人生を送っていらっしゃるようです。チャンスを掴んだ男と、私、チャンスを逃した男の違いはあっても、若き日の情熱は絶対に同じだったと、確信しています。 

2009年12月1日火曜日

ああ宮城県 (吉川団十郎)


ご当地大使タレントのはしり、と言えばこの男。私が”トラック野郎”と言う映画に夢中だった頃。望郷編の挿入歌で人気が出て、一発屋ではあったがかなりヒットした。吉幾三の”おらぁ東京さいくだ”や、ハナワの佐賀県の唄、さいたまんぞう、とかいろいろ出てきたが、元祖は吉川団十郎だと思う。千昌夫や新沼謙冶は岩手県だが作品で岩手を強調した物はなかったと思う。吉さんの♪テレビもネ~~五所川原♪みたいに、地域の名前が出る唄が観光大使の条件だと思う。とにかく、その当時は面白おかしく聞かせたもらったこの曲。何人の人が覚えているか?。