2009年11月30日月曜日

夕焼け雲 (千昌夫)


千昌夫さんといえば、天国と地獄を味わったタレントとして、いまでも苦労人大臣として浮いたり沈んだり。この曲がヒットした当時は、絶好調の上り坂の頃だったと思う。奥様は外国人で、自称金髪ころしと言っていた。私もこの頃は順調に人生を積み上げていた。カラオケが普及し出して、どこの店に言ってもカラオケ、第一興商の独壇場といったところでした。なにか十八番を用意しておかないと恥をかいたものでした。そこで、”夕焼け雲”が私の十八番でした。二ユーミュージックなんかは居酒屋ではご法度、酒は涙かの世界が存在したのです。ケースバイケース、ど演歌ではないが、ソフト演歌くらいたしまないと仲間はずれにされたのです。この曲は結構受けて、地方出身者はお涙ものでした。

2009年11月29日日曜日

海峡  (吉幾三)


船で海峡を渡ったのは最近のことで、ただ海を渡るのと違うという実感を知りました。以前は海峡と言うと海の底が深い、とか潮の流れがきついぐらいの認識でしたが、実際にこの曲のように津軽海峡を渡ってみて、その海峡の意味が分かったような気がします。海峡とは区切りとか決別、覚悟などを含んだ新しき旅立ちの意味で、渡る意味のある海なのです。素晴らしい歌なのですが、若干、吉さんの津軽弁が気になります。吉幾三ファンにはたまらない魅力でしょうが、楽曲としてはすこしマイナスでしょうね。そんな事はともかく、雪国や海峡は冷たい悲恋の代表作で好きです。

2009年11月28日土曜日

狙いうち~SHAKE HIP (米米クラブ)


目立ちたがり屋バンドの地位を確立したのが米米クラブだ。私の姪は、米米の女性ダンサーに憧れて、自分のダンスを録画して遊んでいました。今でこそ、youtubeに投稿ダンスがいっぱい流れていますが、その姪も二児の母になりました。まさに、こういう時代を経て目立ちたがり屋の時代が到来したのであります。元歌の山本リンダさんも驚いているでしょうね。まさか自分の過去歌がこんな形で再来し、野球の応援歌にまでなるなんて思わなかったでしょう。現在、若者のあいだで流行っている”噛むんとニャンニャン”のルーツは、辿って行くと、米米クラブから山本リンダまで辿れるかも知れませんね。

2009年11月27日金曜日

ACT SHOW (スペクトラム)


このバンドを始めて見たとき、じっさいにブッタマゲタ。普通は、メインの歌手がいて、バンドは奥に引っ込んでいるものだった。楽団は陰の立役者だった筈が、こんな衣装を身にまとい、目立ちたがり屋の集団になるとは思いもしなかった。エレキギターのグループならけっこう居たが、管楽器なんかふりまわし、スパルタカスのような格好でおどりまくる。その後、米米クラブや女性だけのブラスバンドなんかも目立っていたが、元祖目立ちたがりバンドは、スペクトラムだろう。ついていけないオジサンバンドは羨望のまなざしで観ていた。

2009年11月26日木曜日

フレンズ  (レベッカ)


この曲の思い出はメディアという言葉。この曲を購入したのがCDであった。その前まではレコード板かカセットテープであった。CDプレーヤーを初めて購入して、それのメディアを買ったのがこの曲だった。針がトレースする音がまったくしないので、突然ガ-ンと来るのにはおどろいた。そして、夏の車に放置して、湾曲したのもこのCDだった。しっかり新しいメディアの注意事項を学んだのもこのCDであった。したがって、私の音楽環境で記念すべき一枚である。それから時代は流れ、今では、メディアをダウンロードする時代へと変化して、ますます、ついて行くのが大変になった。

2009年11月25日水曜日

好きさ好きさ好きさ  (カーナビーツ)

 
カーナビーストリートから名前を取ったグループで、かん高い声でがなり立てるアイ高野という、ドラムス兼ボーカルがメインだ。我がバンドのメイン曲にしたのは、♪好きさ好きさ♪を繰り返し、終わったと思わせ、また繰返す受け狙い的なものだった。東スポの流血○○はメインボーカル兼リーダーとして、東スポ的センスでこの曲を初めと終わりにうたった。聞くほうも、半ば迷惑と付き合いで聞いていた。カーナビーツの原曲から程遠い、我々独特の”好きさ好きさ好きさ”は業界では、笑い者の種になっていた。

2009年11月24日火曜日

青空のある限り (ザ・ワイルドワンズ)


加山雄三といえばワイルドワンズの名付け親、と言う話は有名だ。この曲は我がバンドでもレパートリーになっている曲でして、私がリードギターを弾いて居る曲でもある。この曲の特異性というのは、ギターにエフェクター(効果装置)をつけて、音を歪ませる事だ。この曲をリクエストして唄っているのは、東京スポーツの文化部にこの人ありと言われた、流血○○である。本人と周辺の人だけ分かると思うが、まだ、現役かは定かではない。私達のバンドで最高に傑作な曲は別にある。今度はその曲にスポットをあてる事にしよう。

2009年11月23日月曜日

夜空の星   (加山雄三)


グループサウンズとは少し違うポジションに、加山雄三がいた。当時のエレキブームに乗っかってヒット映画の若大将シリーズに”エレキの若大将”という作品をリリース。エレキの神様、寺内タケシ巨匠のバックでこの曲を演奏した。作曲は弾厚作、加山本人だ。もうとっくに還暦を過ぎた加山雄三ですが、いまだにエレキを抱えて活動しているのは素晴らしい目標でもある。我等がSSBバンドでも、レパートリーに入っているが、どうしてもアップテンポな曲なので走り出す。曲の終わり頃には”夜空の流れ星”になっている。というようなバカバカしいネタで御座いまして、もう、若大将のように格好よくいきませんで、所詮、貧乏人は馬鹿大将くらいなもんです、はい。

2009年11月22日日曜日

スワンの涙 (オックス)


オックス、意味は単なる牛。他のグループがタイガーやジャガーと動物名だったので、そうしたんだろうが、今で言うと嵐って感じの坊や集団。あまり大人びた所はなく、メルヘンチックなグループだった。だから、男のファンは少なく、女の子ばっかりのコンサートで、失神者続出の大変あぶない状況だった。それも、ブームが過ぎると変るもので、ボーカルの野口ヒデトは演歌に転進した事もあった。”スワンの涙”は後半、♪何時か君が見たいと言った遠い北国の湖に♪彼女と行く筈だった歌だ。私もスイスの湖に二人で行く筈だったが、未だに叶わぬ旅となってしまった。ひとりで、北海道の湖で唄った事がある。

2009年11月21日土曜日

エメラルドの伝説 (ザ・テンプターズ)


このテンプターズと言うグループのボーカル、萩原健一と言うひとは、高校が同じだったのでよく覚えています。直接は知らないのですが、噂では、かなりの暴れん坊だったと聞いていました。今でもすこし感じはしますが、男子校ですから、致し方ないとも思います。我々も椅子を投げたりした事もありますしね。ただ、俳優にまで成られるとは思いませんでした。もともと、個性的な人とは言われてましたから、いい役者になられて同学卒業生としては誇りです。がんばってください。

2009年11月20日金曜日

本牧ブルース (ゴールデン・カップス)


グループサウンズのブームが起きた頃、異色のバンド、ゴールデン・カップスと言う、ライブハウスと同名のグル-プがいた。この店の常連バンドだったので、横浜の本牧まで聞きに行ったことを思い出す。今でこそ、あたりまえのようなセルフのGASスタンドも、NO・TAXスタンドとして本牧には存在した。自分でガソリンを入れて、店の中で勘定をするのがカッコよかった。そして、カップスの店内で、GOGOを踊り、外人みたいなハーフに呼び出され、渇揚げされた嫌な思い出もある。だけど、悪は悪でも、電車賃だと言って1000円返してくれた。変な不良達だったな~。

2009年11月19日木曜日

アランフェス協奏曲  (川井郁子、村治佳織)


アランフェス協奏曲はどうしてこんなに物悲しい旋律なんでしょう。有名な話ではあるが、作曲者のロドリーゴが、この曲の創作中に、わが息子の死を知らされたからだ、と言う説が有力だとか。ギターを趣味にしていると、この曲やアルハンブラ宮殿の思い出なんか弾きたくなる。しかし、ほとんど挫折に終る。禁じられた遊びすら最後まで弾けないのに、これらの曲が弾けるわけも無い。そこで、なんちゃって奏法だ。どうせ、この曲をあまり知らない人に、聞かせ様アレンジ。それらしく聞こえるように、いい所取り演奏。本当にいい加減な性格に反省ひとしきり。駄目な性格だ。

2009年11月17日火曜日

君に会いたい  (ザ・ジャガーズ)


このグループのボーカル岡本信君は亡くなった。まだ私と同年代で早すぎた死であった。我々のバンドでもこの曲は定番で、何度も演奏している。六本木の交差点にある有名なアマンドのビル、そこの最上階に”泥棒貴族”と言うクラブがあった。そこのオーナーが昔ジャガーズのマネージャーをしていたそうで、飲みに行った時カラオケで歌った記憶がある。六本木もかわったなぁ。”泥棒貴族”も無くなっていた。グループサウンドには想い出が多い。少し集めてみようと思う。

More than Words(ARMS) (ヤードバーズ)


ロックギタリストヒストリー。興味のある人は知ってるでしょう。クリームのエリッククラプトン、ジェフべックグループのジェフべック、レッドツェッペリンのジミ-ページ、これだけの№1ギタリストがいたバンド、知ってますか。それぞれのバンドはかなりのヒット曲を持ち知名度も高い。ヤードバーズ(庭の鳥)はギタリストの登竜門としてマニアのあいだでは知られている。この人たちに憧れて、日本からも数多くのギタリストがコピーで腕を磨いて、その実力を世界に見せつけるようになった。ビートルズが不変的バンドなら、ヤードバーズは産出的バンドだ。阿吽倶流も練習したけど挫折しました。クラプトンのホワイトルーム少し出来たよ。

2009年11月16日月曜日

灰色の季節 (加藤登紀子)


このシュチエーションは女性だが、阿吽倶流が青春の頃、自分に照らしたこの唄。情熱を燃え上がらせる季節とその炎を消そうとする青い影。その正体が解からないまま時は過ぎ行く。正体を見た時に、大人としての妥協やらしさを身に付けて、すっかり良識人になりきって、若者批判をしていた。あの頃、いったい何がしたかったのかも忘れている。あの時はこの唄の人のようにピュアであったはず。今からでも、決して遅くは無い。気持ちだけでも戻りたい、好奇心と欲望の季節に。

2009年11月15日日曜日

あなたと生きる (八代亜紀)


女性演歌はあまり聞かないのだが、この曲は聞いてしまった。最近女性の結婚詐欺師が横行しているが、男って馬鹿な生き物で、この歌のような女が近寄ってきたら、見事に遣られるだろうな。別に、八代さんがそうと言ってる訳ではなくて、男心をくすぐる以上に、本能に胸から飛び込まれたら、全財産注ぎ込んでしまうかもしれない。もちろん、いっぱい持っていればの話だが。八代亜紀さんの名曲はかずあれど、まさに私の名曲は、地味でYOUTUBEにも少なかった。

2009年11月14日土曜日

涙の連絡船 (都はるみ)


都はるみのファンではないのですが、前に”魚影の群れ”と言う、相米慎二監督の映画を観た時。女優の夏目雅子さんが、長い坂道をこの歌を唄いながら、海岸通りまで下りてくるシーンがあった。その景色が忘れられずに、下北半島のはずれ、大間の町まで旅をしました。緒方拳主演、佐藤浩市、十朱幸代さんなどの名優が織り成す人間模様。私の知る限りでは、その映画のあと、こんなに大間のマグロが騒がれるようになったと記憶しています。大間の丘にある公共温泉で、TVに出てくる漁師さんと、ご一緒に入浴したのがいい思い出です。

2009年11月13日金曜日

ソウル.トレインのテーマ (MFSB - TSOP)


わたしは黒人を特別な感情で見たことは無かった。子供のころには、近所に米兵がいたりしたから、そんなに違和感は無い。テレビでソウルトレインと言う番組をよく見ていた。ペアの黒人が一組ずつ踊りながら、カメラの前に出てくる。楽しそうだった、みんな踊りうまいしね。あの頃、アフロヘアーでベルボトムのジーンズはいて。あの番組でファッションのセンスを磨いたものだ。国内でも、黒人の活躍はどんどん増えて、差別は排除された。飲料水のカルピスマークから黒人が消えたのも、その事実を表している。みんな、仲良くやろうや。

2009年11月12日木曜日

過ぎてしまえば (森田公一とトップギャラン)


このひとも若くして逝ってしまった、残念な逸材です。詩を書いた阿久悠先生も、今はもういない。それだけ阿吽倶流も高齢にちかずいたと言う事ですか。この詩はわたしが書きたかった。自分の頭の中をスプーンで、全部掻き出された思いだ。すべてが相槌、納得、同感、共鳴。なんでそんなに自分の事を知っているのかと、不思議に思うくらい一致する我が思い。だから、阿久先生は天才なんだ、としか言い様が無い。願わくば、自分もこんな詩が書けたら、と思っている。

2009年11月11日水曜日

二ューヨークシティ・セレナーデ(クリストファー・クロス)


この人は、幼少期に日本で暮らしていた。父親が軍医のクロス先生、米軍司令部やキャンプを周っていた。当然一家で日本に暮らすクリストファー君は、私の地区にあった司令部にいたのだ。何かの音楽番組で、子供の頃の思い出を話していて、聞きなれた地名が出てきた時はおどろいた。阿吽倶流と彼は同年代、基地の開放日なんかで逢ってたりする事は有りうる。それを知った時から、不思議な親近感が沸いてきて、彼の曲を好きになったのだ。彼も頭、薄くなったなぁ。

2009年11月10日火曜日

しれとこ旅情 (森繁久彌)


今、ニュースで知りました。あの名優の森繁さんが、冥府の旅に出られました。キ-ボ-ドで、もりしげ、と入れただけで一発変換されるほどの偉人です。九十六歳と、高齢でしたので、阿吽倶流の名曲の中で取り上げたのも束の間、現世の修行を済まされて、西方に旅立たれました。私が知床の地でくちずさんだ”知床旅情”も、この唄の影響でこの地に行けたのです。かずかずの名作を残し、後世の為によき指針を示していただき、有難う御座いました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

島原地方の子守唄 (岩崎宏美)


まだ二十歳前の頃、大親友と、一人の女性に両方が好意を抱き、トライアングルな関係になった事がある。その女性は島原の出身で、この歌を良く唄っていた。今思えば、親友は全然違う女性と結婚。今は消息不明で、私は婚期を逃し独身。その女性もどうなったか?。有楽町の日劇の地下にあった映画館で”雨の朝パリに死す”と言う映画を二人きりで観た事を思い出した。親友に後ろめたさを感じながら、だけど、幸せいっぱい、な気分。想い出は奇麗だ、この歌も奇麗な想い出だ。

2009年11月9日月曜日

うさぎとかめ(唱歌)


突然どうした、狂ったか。そうではありません。この曲には深い思い出があるのです。そして、お世話になっているのです。自動二輪の検定の時、幅30cmの板の上をゆっくり走行して、脱輪せず、なおかつ11秒以上の時間をかけておりる。こういった難関を突破しないと、免許が取れません。この歌を頭の中で唄いながら、下を見ないで前を見て、♪もしもし亀よ亀さんよ、世界のうちでお前ほど、~~~どうしてそんなに鈍いのか。♪で12秒くらいだと、白バイの教官をやってた人に教わって、一生懸命この歌で、平均台を走りました。この歌のおかげで二輪免許を取得しました。(笑)

2009年11月8日日曜日

Phaedra (タンジェリンドリーム)


最近、芸能人の薬物汚染が話題になっていますが、思い出したのがこのグループです。薬を使わずに恍惚に導く。音の覚醒剤なんて噂されている、音楽だ。タンジェリンを知ったのは、だいぶ昔になるが、車で聞いていて事故りそうになった事がある。夜中の高速では絶対に聞かないで、家で危険の無い状態で聞いてください。高速道路でカセットを間違えて、タンジェリンを聞いてしまった。助手席の同乗者が、うなされて、突然に手を振り回した。危なくハンドルを切り損ねるところだった。すぐに正気に戻ったが、恐ろしい夢をみたらしい。臆病な人は聞かないで下さい。

2009年11月7日土曜日

Snow Goose Excerpts組曲白雁(Camel -キャメル )


キャメルは知る人ぞ知る、偉大なバンドである。廣済堂出版の友人が、これを聞いてみろ、と貸してくれたレコード。聞いて衝撃が走った。少女フリーダと白雁の物語だ。胡桃割人形や白鳥の湖のように組曲構成になっている。洋津辺には10分の制限があるので、最初の部分だけだが、全部聞くとかなり聞きごこちはある。楽器の構成は現代風で、エレキギターとかシンセサイザーを使っているが、これは立派なシンフォニ-である。クラシックとして聞いても遜色ない。

2009年11月6日金曜日

マンボ天国(Tokyo Panorama Mambo Boys)


ラテン音楽の王道マンボ。そして、このバンドの名物男、パラダイス山元。何が凄いか、と言うと、掛け声。ア~~~ウッ、とか、ウッ。これが抜群にすばらしい。これだけでゲストに呼ばれる事もあるくらいだ。もちろん、彼らの演奏は卓越の域にあるが、何と言っても!ウッ!がいい。初めて聞いたときには人生変った。こんな上手い奴らが、お笑いグループみたいな事をやってていいのか。それまで、№5や闘牛士は聞いたことはあったが、日本にこんな!ウッ!がいたとは知らなかった。
  http://www.youtube.com/watch?v=l3JkmN0Ro8c&feature=related

2009年11月5日木曜日

ランバダ (カオマ)


南国生まれの、リズミカルなトロピカルサウンドで、こんなにも物悲しい印象を受けたのは初めてだった。映像を見ても情熱あふれるイメージなのに、旋律が悲しげだ。もしかして、日本人独特の感性によるものではないかと思うのだ。マイナーコードで作曲されているので、悲しい演歌などと同様な、条件反射で悲しく聞こえるのではないのか。熱い国で、涼しく聞こえさせる為に、あえてマイナーコードを使って作曲したのが、日本では悲しい曲に思えるのではないか。と、勝手に思い込んでいる阿吽倶流であるが、どうなんでしょう。

2009年11月4日水曜日

コンガ (グロリア、エステファン)


この曲は、彼女達のバンドが、キューバから亡命して来て、初めてのヒットだったと記憶している。キューバンバンドは、日本でもあったが、本場物とはちがう。そして、この曲の、早口と言うが活舌の滑らかさは絶品である。特に、活舌のおそい私には、到底まねの出来ない芸当である。そんなに大きくない彼女のステージの迫力はものすごい。ただ圧倒されるだけでなく、バックバンドも最高である。自然に体が動き出す衝動を、抑えるのに大変なくらいだ。変なオジサンになりそうである。

2009年11月3日火曜日

愛のきずな (安倍律子)


この人がデビュー当時、あまり興味は無かったのです。いかに若い頃の審美眼がいい加減というか、観る目が無いというか。こんなに時間が経ってから魅力が解かるとは、なんともはや。本名は熊木さんと言うらしいが、知る所では、熊木姓は埼玉県の戸田市の多い名で、彼女は北海道の出身。先祖はなんて、どうでもいい事だけど。歌の上手さはプロ級。プロだから、あたりまえか。でも、こんなに雰囲気のある女性だったのを、知らなかった若き日が恨めしい。とにかく、いい曲だ。

2009年11月2日月曜日

美しき天然 (marebit909)


ギターをはじめたのは十代の頃でした。大人になって、どうしてもバイオリンが弾きたくなって、リサイクルショップで買いました。そして、初めて弾けた曲がこの曲です。長崎の九十九島の美しさを音にした、サーカスやチンドン屋でなじみのワルツです。ギターは5フレットで改弦(下の段)ですが、バイオリンは4フレット、と言うか、フレットがありません。耳がたよりです。ボウと言う弓で、松脂を付けて擦ります。小刻みに運指をトレモロさせて、むずかしい。想い出の曲です。この女の子と同じくらいには、弾けるようになりましたが、人の居ない所で練習してました。

2009年11月1日日曜日

悲しき恋歌エンディング(韓国版より)


韓流ドラマを観る様になって、どっぷりはまって、暫くは韓流ドラマばっかり観ていた。クオンサンウのものが多かった。それから、秋の動画のお兄ちゃんの、兵役逃れ事件などがあり、冬ソナのブーム。どこまでエスカレートする事やら。とにかく、これをきっかけに、お隣同士の国が仲良く出来ればいい事だ。今日は11月1日でオール1の日だ。今日から、1日1曲更新にしました。ネタ切れになると寂しいですからね。