2012年1月31日火曜日

東京シューシャイン,ボーイ (暁テル子)


駅前に座り込んで、靴磨きという看板を置いて、おばちゃんが商売していました。今では考えられないような商売がいろいろありました。二枚の看板の間に入って歩き回るサンドイッチマンや人だかりになるバナナ売りの口上など、消えて行った商売がたくさんあります。あの当時は食べてゆくには恥も外聞もなく、一生懸命だったのです。今だったら変なプライドがあり、やらない商売ばかりでした。

2012年1月30日月曜日

ミネソタの卵売り (暁テル子)


昭和の物売りの声が懐かしくて、先週は音楽から少し外れてしまいました。私が若い頃に先輩と居酒屋に行きますと、十八番で出るのがこの歌、と言う人がいました。口を尖らせ、ひょっとこ、みたいな顔をして唄うのでみんなリクエストをするので憶えてしまいました。ミネソタと言うからはアメリカなんでしょうね。アメリカの歌を日本民謡にしてしまうのがすごかったです。

2012年1月27日金曜日

宮田章司先生の売り声


今週は子供時代に見たり聞いたりした音をつなげてしまい、音楽ではなかったけれど、ある意味では昔の音は最近聞こえなくなっているので残念です。朝起きると牛乳屋さんがガチャガチャ音を立て、ナット~と納豆屋の声、昼には金魚売、夕方にはプーポーと豆腐屋さん、寒くて暗い夜は焼き芋やにチャルメラのラーメン。一日中、生活の音が溢れていました。最近聞こえるのは選挙の車とリサイクル回収が多くて、時代の変化を感じます。

2012年1月26日木曜日

紙芝居『黄金バット』浅草花やしき通り


最近、3丁目の夕日、という映画が流行っていますが、あんな景色も造らなければ見られなくなったのですね。子供の頃は、あちらこちらにドブがあり、土がむき出しの路地に、毎日来るのが紙芝居のおじさんでした。あのソースせんべいと水飴の味は、紙芝居を見られる条件でしたが、買わない子も後ろで見ても怒られませんでした。飴とせんべいはチケットのような物でした。結構おとなも楽しみにしていましたよ。

2012年1月25日水曜日

ちんどん屋さん  (アダチ宣伝社)


何であんなに興味があったのだろう。チンドン屋さんの後を追いかけて着いてゆくと、いつの間にか隣の町まで行ってしまい、帰り道の寂しかったのを思い出します。あの頃は、チンドン屋さんも移動は電車でしたから、よく電車で見かけたものでした。チンドン屋さんでは無いのですが、軍服を着て、アコーデオンを弾く松葉杖を突いた人も、よく電車に乗り込んできました。父が言うには、あれは嘘の軍人が多いとの事です。とにかくそんな時代でした。

2012年1月24日火曜日

越後獅子の唄  (美空ひばり)


昭和の暮らしの中に、少ない娯楽でも映画館の存在は大きかった。映画会社別に何館もあり、私の家の近くには東映と松竹がありました。子供が面白いのは東映のチャンバラで、良く観にいきました。映画の挿入歌で、この曲を流しながらチンドン屋さんが宣伝していたのを、何故か思い出します。越後獅子が解らない年代で、映画の内容も憶えていないのに。

2012年1月23日月曜日

サーカスの唄  (松平晃)


この歌は、小林旭版しか聞いたことは無いのですが、こんなに古い歌だとは知りませんでした。♪旅のつばくろ、寂しかないか、俺も寂しい、サーカス暮らし♪この歌詞と演奏が、なぜか少年時代に追いかけて言ったチンドン屋さんを思い出すのです。子供の頃の思い出は、幾つになっても蘇ってきます。本当に昭和の、戦後の町や暮らしが懐かしい。家のそばにあった広場に、むしろで囲った足場が組まれ”木下大サーカス”というのが興行していました。

2012年1月20日金曜日

美しき天然 (芹 洋子)


以前にアップした曲ですが、その時はメロディーだけで歌詞が無かったので別物としてとうこうします。この曲を聴くと明治、大正を思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか。私の生まれた昭和もノスタルジーのかなたに旅立ち、この平成もいつまで続くのか?。時の流れは止まりませんが、天然、自然はゆっくりと流れてゆきます。この曲の舞台となった場所は、九州の五島の九十九島だと聞いていますが、心の中が浄化される一曲ですね。

2012年1月19日木曜日

四季の歌 (芹洋子)


若いころ、歌謡曲の作詞家を目指して勉強したことがありました。ですから現役の作詞家先生のデビュー当時のことは研究していました。この曲は作詞家の(あらきとよひさ)先生が最初に世に出した作品なんです。先生のその後のヒット曲は限りなくありますが、最初はこのようは唱歌のような曲だったのですね。教科書に載るような曲が一曲でも書きたかったです。

2012年1月18日水曜日

マリモの歌 (芹洋子)


この曲は深い思い出にかかわる曲でして、父と母が健在の頃、育てていただいた恩返しに二人に北海道を旧婚旅行と称して旅をプレゼントしたのです。二人とも喜んでくれて、クラスもVIP待遇の高級な旅行だったので、お土産をいっぱい買って来ました。その中に、阿寒湖に行った時のこの曲のCDがあったのです。父も母も他界した現在、この曲を聴くと父と母が笑いながら遊覧船に乗っている姿が浮かんでくるのです。

2012年1月17日火曜日

坊がつる讃歌  (芹洋子)


自分の中では一番、意味深い曲がこの作品で、若い頃わたしも山男だったので良く聴いたこともあり、このメロディーに別の詩を付けて作品にしたことがあります。私の作ったのは信州の美ヶ原をイメージした”岳の花”(やまのはな)というもので、坊がつる賛歌のメロディーでうたえるのです。そんなこともありまして、この曲は忘れることの出来ない一曲なんです。

2012年1月16日月曜日

早春賦 (芹洋子)


今週は私が節目に感動した芹洋子さんの曲を並べてみましょう。初日は、今の時期にぴったりの”早春賦”です。♪春は名のみぞ風の寒さよ♪、と唄われるように、新春とは言うものの寒さは最高に厳しい季節であります。芹さんの声は清らかで天からの声に聞こえます。昔から隠れファンでしたが表立っては表明しませんでした。歌謡曲とかアイドルの世界から遠い場所にいた彼女ですから、照れくさかったのです。でも気になる存在ではありました。

2012年1月13日金曜日

春の小川  タンポポ児童合唱団


でも、春と言えば小川ですよね。サラサラ流れる小川なんて、田舎に行かなければ見れませんが、この曲が出来た頃は東京にもあったようですね。これは余談なんですが、あの大作曲家のバッハさんのバッハは、小さな流れと言う意味があり、小川とか小沢と言うことらしいのです。

2012年1月12日木曜日

春なのに  (柏原芳恵)


春なのに何々です、なんて寂しい歌がありました。こういう曲は中島さんの作曲でしょう。と言うのも、ユーミンでしたら”まちぶせ”のように積極的な曲になりますが、振られ節は中島みゆきと想像が付くのです。柏原さんと言うと、当時、皇太子殿下がファンだと言うことで、大騒ぎしましたね。

2012年1月11日水曜日

春一番 (キャンディーズ)


新春と言うくらいですから今週は春の曲を選んでいます。まだ冬将軍が腰を下ろしていますが、早くこんな風が吹いてくれないかと待ち望んでいます。

2012年1月10日火曜日

春よ、来い (松任谷由実)


おなじ”春よ来い”でも春よと来いの間に句読点が入ると別の歌になる。ユーミンが作った、NHKの連続ドラマの主題歌なんです。たしか、脚本家の橋田壽賀子さんの自伝だったと思います。途中で主役が交代したりして大騒ぎになったのを覚えています。今では東北大震災の復興促進の曲として再浮上しています。

2012年1月6日金曜日

春よ来い  (NHK)


♪春よ来い、早く来い、歩き始めたーーー♪いくつになっても思い出す春の歌です。しかし、この曲が出来たときの、歩き始めたお嬢さんは、現在はいったい何歳に成っているのでしょうね。人の人生の儚さを感じてしまう今日この頃です。

2012年1月1日日曜日

一月一日 (唱歌)


 明けましておめでとうございます、
   本年もよろしくお願いいたします。

         阿吽倶流