2011年9月30日金曜日

通りゃんせ ケメ(佐藤公彦) 

フォーク界の郷ひろみとか言われ、女性ファンを獲得した歌手がいた。私が見たところは三好英二という感じでしたが、この頃のファッションそのものでした。今生き残ってる人はイルカくらいでしょうか。オカッパでオーバーオールのジーンズをはいて、それもベルボトムの裾の広いズボンです。まるでチビッコスタイルばっかりの一時期がありました。わたしもそんなスタイルをした思い出がありますが、今考えるとはずかしい。

2011年9月29日木曜日

野菜が食べたい  ( ピピ&コット)

変態フォーク全盛の頃、ひとつのグループがやけに売れてきた。お笑い出身のようなコミックバンドで、真面目にやれ、と言いたくなる様なバンドでした。とくにグループのリーダーが、板さんと呼ばれ、今で言うとオードリーの春日って感じかな。こんな歌でも平和なバブル前の穏やかな時代、ヒットしたんですね。板さん板さん、と囃し立て、よいしょの歌の見本でした。

2011年9月28日水曜日

雨あがりの夜空に (RCサクセション)

先日亡くなった忌野清志郎がボーカルをしていたRCサクセション、このグループのギター担当が、あの古井戸の仲井戸氏なのです。清志郎ブームが起きたときには古井戸を解散し、サクセションに合流、この曲も参加していたと思う。なにか意味深な歌詞でファンも多かったこの曲を聴き、楽しい曲だと思いました。清志郎は反原発の曲も唄っていますが、原発事故の前に亡くなってしまい嘆いているかも知れませんね。

2011年9月27日火曜日

さなえちゃん (古井戸)

泉谷しげるが春夏秋冬を歌っていた頃、まさにフォークブーム真っ只中でした。テレビ番組でもフォーク番組があって、中でも私が良く見ていた番組で人気があった古井戸というグループがいました。今で言うコブクロみたいな感じで、仲井戸というギターの上手い人がいたのでした。この”さなえちゃん”という歌は、ふざけ半分に唄ったのが発展してヒットしたのです。なにか意味があるようで無い様で、結局最後には、みんな消えてしまうと言うばかばかしいネタでございます。要するに授業中に勉強していないと言うことでした。

2011年9月26日月曜日

春夏秋冬 (泉谷しげる)

タクローがフォークの特攻隊だった頃、地味な存在であったが過激な性格で売り出した歌手が居ました。この歌は彼の作品の中でもおとなしい曲で、意外と大ヒットしました。こういう曲も作れるのに、過激さが売り物で、しょっちゅう喧嘩を売っていた泉谷しげるでした。最近は、役者としてもいい味を出していますので、役者の面でいうとタクローより上になりました。詳しいことは知りませんが、足がお悪いようですが、失礼ながらそれも役の上で味になっているようです。四季というのは良くあるテーマですが、彼の歌には四季がないのです。

2011年9月22日木曜日

たどりついたらいつも雨ふり  (ザ・モップス)

タクローが提供した曲でヒットしたGSの曲がありました。この曲もタクローなりの理屈っぽさで固めた、思わせぶりな曲です。現実の旅と精神世界の旅をダブらせ、そこまで行っても満たされない、いつも欲求不満だって怒鳴るのです。この歌を唄ったザ、モップスのボーカルであった鈴木ヒロミツ氏も、若くして亡くなってしまい、この歌の生命も終わってしまった。歌手と歌は一心同体ですから、世に出た時点で作者から巣立っていきます。ですからこの曲はもうタクローの物ではなく、鈴木ヒロミツのものなんです。

2011年9月21日水曜日

今日までそして明日から (吉田拓郎)

人間なんて、所詮いつかは消えてなくなる。何て言いながら、とりあえず”私は今日まで生きてみました”という感じです。拓郎のガナリと囁きの静かな方の歌ですが、やっぱり拓郎の歌は理屈っぽいのです、だから拓郎なんです。自分は理屈よりもペーソスのほうが好みだったので、井上陽水や小椋圭派だったのですが、レコード店(死語)に行くとタクローの方が圧倒的に前面に有るのです。メジャー、マイナーで行ったらタクローはメジャーだったのです。反戦歌だって歌いますからね。余談ですが”夏休み”という曲は原爆反対の歌なんです、知ってますか?。

2011年9月20日火曜日

人間なんて (吉田拓郎)

人間と言えば、タクローの”人間なんて”と言う曲を思い出した。この曲は、ライブの時間稼ぎでもあり、終わろうとすればすぐ終わる。この辺りからタクローはエレキを持ち出し、フォークからロックに以降し始めた。いわばフォークロックである。かなりのガナリ声でしぼりだす声が、みんなを引き寄せたのだろう。バックのギターは、完全にディープパープルのハイウエイスターを弾いているが、観客は気付く様子もない。ここに来ている観客はフォークのファンであるからハードロックはわからないかもしれない。人間なんてららら~ららららぁ。

2011年9月16日金曜日

人間の証明 テーマ曲 (ジョー山中)

角川文庫の企画物映画のはじめでしょうか。最初に入る語りで、僕の麦藁帽子、何処に行ったのでしょうか、霧積の谷底に落ちたあの帽子。と言う台詞が思い出されます。やはり私が少年の時、亡き父に連れられて横川の駅から霧積温泉まで、歩いて雪の道を行きました。雪道で滑って転び、私が谷底へ落ちるところでした。胸のポケットにあったチョコレートが、勢い良く谷底に滑っていきました、父はそれから私を放さずに歩きました。温泉について父は新しいチョコレートを買ってくれましたが、今考えるとあのチョコレートが私だったら、父は如何したのでしょうか。いまでも思い出しますあの日の事を。

2011年9月15日木曜日

転校生 (角川映画)

この年代くらいでしょうか大林監督が脚光をあびて、広島県の尾道が有名になって観光客が飛躍的に増えたのでした。はじめてこの映画を観たときに、感情が入れ替わる、心が他人の中に入る、なんて夢物語のような超常現象を題材にした映画が流行りました。時間とか空間ならまだしも、人格が入れ替わりまして男女が逆転するなんて。これが本当だったら大変な事ですよ、歳を取ったら自殺志願の若者に体を貰うことだってありうる。それとか、自衛隊が戦国時代に迷い込むなんて奇想天外な映画まで出来ました。あれってバブルの好景気の発想なんでしょうか。最近は時間を越えるのはクレヨンしんちゃんくらいです。

2011年9月14日水曜日

時をかける少女 (原田知世)

おそらくこの映画の原作者も、時空間ことで夢を巡らせた一人ではないでしょうか。この映画の中で、ラベンダーの香りがキーポイントになるのですが、わたしもラベンダーで実験してみたところ、不思議な事が起こりました。あまり口外しないほうがいいのですが、その実験とは、ラベンダーのエッセンスをタバコに染み込ませ、乾いたところで一服、しばらくすると、何か凄く心細くなり夜も怖くて寝られません。一人ぼっちが怖くて怖くて仕方がないのです。おそらく精神状態に何かが影響して不安になるのでしょうが、大変な発見をしてしまったよぷで封印していました。このブログを観た人にだけ内緒で教えます。

2011年9月13日火曜日

不思議な少年(boy wonder)

この映像をずいぶん捜したのですがYOUTUBUにはありませんでした。唯一見付かったのは、この番組の原作らしいコミック本を紹介する映像でした。私が子供心に記憶したものは、主人公の少年が時間よ止まれと言うと、周りのもの全てが止まってしまい、その間に事件を解決すると言う物語で、白黒画像でした。今のわたしは大人になって良からぬ想像をしてしまいますが、当時は少年ですので、真剣に世の中の為になるように時間が止まったらいいと思いました。それがきっかけで、後にアインシュタインなんかに興味を持ちました。

2011年9月12日月曜日

トワイライトゾーン (TVテーマ)

このテレビ番組は日本では”ミステリーゾーン”というタイトルで放映されていました。原題はトワイライトなんですが、日本人には馴染みが無かったのでタイトルを変えたのでしょう。今ではよく知られたトワイライト、夕暮れ時の明かりが灯る前の薄暗がりとでも言いましょうか。いい言葉が日本にはあるのです、黄昏です。日本人は黄昏に恋人同士がいちゃつく、なんて創造しますが、西洋では不思議な異空間のイメージがあるのです。国が違うといろいろちがいますね。このタイトルの雑誌もありましたが、そこにはあの麻原ショウコウ氏が載っていた記事もありました。

2011年9月9日金曜日

アウト・オブ・リミッツ (ザ・ベンチャーズ)

このメインになっている戦慄は人の恐怖感を増幅させるようです。この曲もそれを繰り返し奏でていますが、世にも不思議な物語にしても、その続編のミステリーゾーンという番組でも使っていた手法です。ミステリーは当時日本向けにタイトルを変えたようです。本当はトワイライトでしたが、当時の日本ではトワイライトよりミステリーのほうが理解し易かったのでしょう。この旋律は円谷プロのウルトラQにも使われましたし、あのベンチャーズまで使いました、アウトオブリミッツ、限界を超えたとか訳すのでしょうか。

2011年9月8日木曜日

世にも不思議な物語

このテレビ番組を知っているでしょうか?。子供心に毎週、眠れぬ夜が来るのです。むかしは、家族の楽しみといえばテレビですが、末っ子にはチャンネルの権利は無く、上の兄弟の好みで選ばれる。この番組を9時ごろ観て、布団に入っても怖さが残り眠れません。あのオープニングのおじさんの声が頭から離れないのです。そして、あの奇妙な音楽も寒気がしてしかたありませんでした。かと言って、昔の家なんてものは長屋のようなもので、テレビがある部屋しかいるところが無いので、震えながら観ていました。

2011年9月7日水曜日

ウルトラQ (テーマ曲)

ウルトラという言葉をはじめて聴いたのは、東京オリンピックの体操で女子のチャスラフスカ選手の演技が、とても難しいのでウルトラCと呼んだのが最初に思う。そのときはウルトラブームで、すごい事を何でもウルトラを付けた。それ以前はスーパーであったのがウルトラと呼ばれ、今では、超ヤバイになってしまった。いま造るヒーローだったら”チョーヤバマン”でしょうかね。このテレビ番組はウルトラマンが出来る前に、不思議な出来事をオムニバスで放映したもので、モノクロームだったと思う。

2011年9月6日火曜日

ウルトラセブン (円谷プロ)

セブンブームの最中にウルトラ7も生まれました。ウルトラマンの次回作に悩んでいた円谷プロは、世のセブンブームに乗っかりセブンと名付けたのです。しかし、セブン以降8や9はありませんし、123もいません。ウルトラの家族が集合してもセブンだけ浮いてしまいました。その後の父や母と太郎はつながりがありそうなんですがね。変身もはじめは懐中電灯みたいな器具でしたが、セブンはメガネでした。そのうえ頭のブレードをブーメランのように飛ばし、怪獣を真っ二つにする技を持ち、ウルトラ兄弟の中では異色の存在でした。

2011年9月5日月曜日

ヤングセブン (東芝)

そのむかし、私が子供の頃にトランジスタという半導体が実用化され、日本でも携帯ラジオが発売されました。その時のコマーシャルで”ヤング7”という曲が使われました。テレビコマーシャルで今でも憶えているシーンが、三角帆のヨットを上空から撮影して、そのBGMとしてヤングセブンが流れたのです。その後セブンブームが来て、タバコのセブンスターやウルトラセブン何かが生まれたのです。いまでは安価なトランジスターラジオも当時は高価で買えませんでした。ちなみに、それから小さい人のことをトランジスターといい、反応の鈍い人を真空管という様になりました。

2011年9月2日金曜日

エイトマンの歌 (克美しげる)

ハヤブサのような超人漫画でエイトマンなる人物が活躍する番組もあった。歌はまるで高校野球の応援歌のようですが、演歌の歌手が歌っていた。この超人がすごい速さで走るのだが、その足が見えないくらい速いので、画像の中では丸を描いた感じで表現している。何故空を飛ばないのか、そんな事を考えると、もしかしたら作者は人間に近ずけたかったのではと考える。子供だましから脱却して、人の持つ力を増幅した超人像を描きたかったのかも知れない。

2011年9月1日木曜日

海底人8823 (テーマ曲)

宇宙人の反対に海底人なんていうのもいましたね。いま話題の惑星探査機ハヤブサ、がブームですが、その昔8823はやぶさ、という海底人で正義の味方という特撮番組がありました。原作は漫画だと記憶していますが、これは実写番組ですのでかなり無理もやっていました。特に水中撮影を極力排除するが、時には海底も造らなければならないので苦労があったようだ。それに8823でハヤブサとは、最近の634で武蔵のようですね。