2010年6月30日水曜日

夜霧のシルエット (クロード・チアリ)


クロード・チアリといえば夜霧と言う印象がある。クラシックギターと言うよりも、ムードギターというジャンルになるでしょう。映画やドラマのワンシーンを彷彿させる清らかな音色が、私の青春時代をギターと言う娯楽に引き込んだのです。あくまでもアマチュアの範囲ではあるけれど、人が聞いて、聞き苦しくはなかったと自負しています。最近、ネックを握る事も少なくなって、もう何年も弾いていないけれど、自転車と同じで、少し腕は落ちても忘れる事はないので、また弾いてみようかと思う今日この頃です。

2010年6月29日火曜日

夜霧のしのび逢い (クロード・チアリ)


今ではすっかり日本人になってしまった彼は、アコースティックギターの世界に僕らを誘い魅了した、外国人でした。日本が好きで帰化した彼は、日本人の名前に変えて玄人(クロウト)と名乗るほどの親日家でした。この”夜霧のしのび逢い”は石原裕次郎さんの”夜霧よ”の出だしに影響したと聞いています。私が練習した頃は、リール巻のテープレコーダーで、バックミュージックを録音して、それを流してメインを弾いたものです。ギターソロは貧乏青年にはけっこう暇つぶしになりました。あの頃のテープはどこに消えたのでしょう。

2010年6月28日月曜日

禁じられた遊び (ナルシソイエペス)


これは映画のタイトルで、この挿入曲は”愛のロマンス”です。モノクロームの世界で、戦火を逃れた家族が、とある田舎町で戦闘機の銃撃にあい、両親を亡くした少女と少年の田舎町でのひと時を描いた作品だった。中で聞こえてくるクラシックギターの音色に、何かとてつもない虚無感をおぼえ、若者はみなギターを買いにいったのです。ところが、意外とこの曲なんちゃってで、6弦を移動するだけでそれらしく弾けてしまうので大ヒットしました.正式に弾くと難しいのですが、我々の年代では一度は弾いた事がある”猫踏んじゃった”のような曲でした。

2010年6月25日金曜日

ミッシェル (ビートルズ)


ミッシェルをクラシックギターで弾いた事がある。何と落ち着いたいい曲なんでしょう。よくガットギターとも呼ばれ、昔は羊の腸で造られた弦を張ったので、ガッツ(腸)と呼ばれたらしいのですが、OK牧場とは関係ないです。むかしの日本は古賀メロディーなんかに使われるナイロン弦のギターが、とても弾きたくなる今日この頃なのです。音色とは年代によって変るものですね、PPMやボブディランに憧れた頃、エリッククラプトンやジェフべックのストラトキャスターに夢中になつた頃。そして今はガットギターなんです。

2010年6月24日木曜日

ノルウェイの森 (ビートルズ)


また起こってしまった、以前と同じように、このブログに書いた事が現実に起きた。去年の秋頃、加藤和彦氏の事が頭に浮かび、いま如何しているのかとブログに書いた次の日、彼は自殺した。今回はジョンレノンの事で、秋葉原事件の事を批判して、低級霊の話を書いたが、次の日、昨日、マツダ事件が起こってしまった。犯人の目を見て感じた低級霊の存在、どこかで見た事がある。そうだ、犬の敵討ちと称し、公務員を殺害した小泉だ。そして茨城の荒川沖、無差別殺人や、秋葉の加藤も同じ目をしていた。まだ人間として生まれるには未成熟な低級な霊魂。それが今どんどん生まれてくる。

2010年6月23日水曜日

ゲットバック (The Beatles)


この屋上ライブは、われわれの年代では忘れられない、思い出のワンシーンだろう。取り戻せ、と直訳してもいいし、カムツギャザーのように昔に返ろうでもいいが、テンポが抜群で憶えやすい。いまでも屋上にのぼると、ギターを抱えてまねをする。もちろんギターがある訳も無く、エアーギターってやつだけど、条件反射のようにポーズする。それだけビートルズは衝撃的だったのだろう。ポールの曲はバラード調がけっこういいので、アコギター(生)の練習にはよかった。ミッシエルとかイエスタディなどは生一本で出来るので手ごろだ。

2010年6月22日火曜日

イマジン (ジョン.レノン)


ジョンが撃たれた時わたしは仕事場のラジオを聞いていた。臨時ニュースを聞いて、何故?と思った。人に恨まれることを嫌い、争いが嫌いで、インドに修行まで行った彼が撃たれる理由?。世界に愛を唄って平和を訴えていたのに。キチガイに刃物とはいうけれど、あの秋葉事件の犠牲者も同じ、何の罪もない人が殺される。平凡なピープルが憂さ晴らしのターゲットになる。冷静に考えて、その後どうなるか考えない低級霊の出没に、世は愁いている。真の自殺者は誰にも迷惑をかけずに死ねばいいのに、死ぬ前に憂さ晴らしをして、憂さを晴らしたら死にたくなくなる。なんと身勝手な犯罪者達だろう、たったひとつしかない命を無差別に壊すなんて。自分で自分の首しめろ。

2010年6月21日月曜日

ああ無常 (アン.ルイス)


この歌を唄ってアンルイスは世の無常を知ってしまったのでしょうか。ほかに生き方があるのではないかと、無常と無情は遠くて近きものなり、こんな宗教哲学にはまる事がある。わたしも幾度となくそんな事を思い、いまでは中途半端な人生を送っている。だけど、あの時とか、たられば的な後悔をしても、飛躍的に変化する運命なんてすくない、たいていは少しずつ所信からずれてって、気が付いたら死んでたりする。ジョンレノンなんてそれで殺された訳で、無情なのか無常なのか他人の思い込みで犠牲になってしまった。

2010年6月18日金曜日

六本木心中 (相川七瀬)


この曲はアンルイスの大ヒット曲ですが、彼女はこの曲あたりから鬱状態になり、離婚してハワイに移住してしまいました。ある意味世捨て人というか、芸能界に住みたくないという希望が強く、歌手活動を止めてしまいました。六本木の代表曲にもなったこの曲を、最近気になる女の娘がカバーしているので、そのアレンジを聞きましょう。最近妊娠が発覚5ヶ月だそうで、暫くは、こちらも芸能活動はお休みになるのでしょうか。携帯のCMがけっこう可愛いですね。

2010年6月17日木曜日

湾岸太陽族 (荻野目洋子)


調子にのってもう一曲、オギノメちゃんをいってしまう。いつのまにか連想ゲームのようになってしまった更新も、尻取りゲームにも変わったり、いい加減さが目立ってきたので、ここ一番、張り出し横綱じゃないけれど、張り出しメニューと行きましょう。この当時湾岸という名前が流行った事もあり、映画でも”湾岸道路”という作品がヒットしたり、その影響かは分らないのだが、湾岸戦争なんて戦争の名前にまで使われてしまった。東京湾の開発が進み、高層ビルやテレビ局の移設、お台場の開発、レインボーブリッジが出来、若者たちは湾岸に押し寄せた。明日は一日戻って、通常の連想つながりで、六本木からですよ。

2010年6月16日水曜日

六本木純情派 (荻野目洋子)


私達の時代には六本木神話なるものがあり,ここは時代のステータスシンボルのような場所だった。最近では鼠先輩なるアーチスト?のような、ぎろっぽん、とか業界言葉でひっくり語や、音楽業界の裏言葉でC千だとかG万なんて、金額表示を喋る人種が横行したのだ。私が青春してたころは、”最後の20セント”とかロアビルの向かい地下のビップスなんかに屯するのが流行っていた。それより前は、六本木族、野獣会なるグループが幅を利かせていた時代があり、グループから、有名な歌手や俳優が出るくらい、由緒ある場所だったのです。

2010年6月15日火曜日

ダンシングヒーロー (荻野目洋子)


恥ずかしながらファンでした、て言うかお姉さんのファンでしたが、彼女がデビューしてから音楽方面でしたので両方を支持したわけです。彼女が出た頃はテクノサウンド全盛期で、YMOなんかが活躍していたので、彼女の曲も当然テクノだったのです。だから今聞いても遜色なく。今年の新曲としても通用すると思います。とにかく何と言っても可愛いのが大きな武器です。お姉さんはあまりブレークしなかったけれど、彼女は声優出身で大ブレーク。私の人生であの時もっと若ければ、もっと応援したのにと思っていました。

2010年6月14日月曜日

ダンシングオールナイト (もんた&ブラザーズ)


ダンシングで忘れられない曲は”ダンシングオールナイト”です。しゃがれ声のもんたのシャウトは絶品です。恵比寿のディスコクラブで名前は忘れましたが、鏡張りでレーザー光線ギンギンの店に言ったのは幾才の時だったのだろう。この曲がかかっていたのは鮮明に覚えているのに、そこに誰といたのか忘れている。恵比寿だから、近くに住んでいたM子だということは解かるが、ほかに誰が居たのか思い出せない。ただ、その一瞬だけが強烈にフラッシュバックするのだ。特に意味の無い場面が曲を聞くと飛び出してくる、脳みそというのは不可解な物質だ。

2010年6月12日土曜日

ダンシング・クイーン (アバ)


本日は更新は休みなんですが、この曲も名曲なので載せておきましょう。

2010年6月11日金曜日

マンマ・ミーア (アバ)


アバのマンマ.ミーヤと言えばこんな事があった。姉の娘がカリフォル二アにホームステイした事があった。代りに半年後、アメリカから中学生の女の子が我が家にステイした。彼女は日本語が全く出来ないから大変だ、車で東京を案内したのはいいが、オジサンでは警戒してあまり喋ってくれない。姪とは片言の英語で会話は成立しているようだが、私は完璧に運転手になりきっていた。車のオーディオからはホテルカリフォル二アが流れていたが、彼女は眉間にしわを寄せていた。雰囲気を変えようとアバを流したら、マンマ.ミーアが聞こえてきた。オー、マンマミーア、と言って、突然機嫌ががよくなり唄いはじめた。母親を思い出したのかもね。

2010年6月10日木曜日

木枯らしの少女 (アバ)ABBA


アバを最初に聞いたのはこの曲だったと思う。2+2のダブルデュオでABBAという、名前の事は印象的で、その後リリースしたマンマ.ミィアという母さんの曲の言葉にはエピソードがある。旧い友達で津軽の人がいるのだが、あちらでは母さんの事を、アバと言うらしい。彼は母さんが母さんの歌を唄っていると冗談を言っていた。アバの本人達も、日本の方言でアバが母さんだと知っているかは解からない。おそらく知らないだろうと思うが、アバがママの歌を唄うとは偶然は面白い。ちなみに、津軽では親父さんの事は、オド、と言うらしい。

2010年6月9日水曜日

木枯しの二人 (伊藤咲子)


木枯らしで、こんな歌を思い出した。まさに昭和の女の子、って感じの伊藤咲子さんは、小学校で隣の席にいた下町の、令嬢ではないフランクな少女。イメージで言うとそんな感じになるんだけれど、手のとどきそうな気さくな娘を売りにした、新しいタイプのアイドルだった。阿久悠先生と三木たかし先生のゴールデンコンビの作品で、ヒットしないわけが無い。けっして美人ではないが、親近感は抜群でこれから、と言う時にあの事件があった。スキャンダラスなその事件は、彼女をアイドル席からひきずり落とした。その事件は内緒の話で、興味のある人はググッてしらべよう。

2010年6月8日火曜日

だれかが風の中で (上條恒彦)


TVのまえで食入るように夢中に観た時代劇、”木枯らし文字郎”は、始めてみた汚い時代劇だった。それまでの映画やドラマの時代物は、貧しい農民や下町の庶民が、けっこう身奇麗で新品のモンペを着たり、破れた襖が破れたばかりの新しさで、なんかチグハグだった。市川昆、監督の”股旅”と言う映画を見た時、なんと汚い映画なんだと思った。しかし、現実はこれが本当の姿だとも思った。その影響もあってか、この文字郎シリーズはヒットした。群馬県新田郡三日月村と言う場所は、群馬県の藪塚と言う所に再現されて、園内では古銭で物を買える趣向があり、何度か遊びに行った思い出がある。

2010年6月7日月曜日

出発の歌 (上条恒彦)


出発(旅立ち)の歌、出発を旅立ちと読ませる、あたらしい日本が始まる。昭和がまた遠くなって行くような気がするのは、私だけではないだろう。政治家で変る国って本当の我国なんだろうか。一人一人が夢を持ち、それに向かって進んでゆく、それでこそ私の国、我が祖国ではないだろうか。♪さあ今、銀河の向こうへ飛んでゆけ♪この歌がヒットしたのは高度成長期のど真ん中、ヤマハのポプコンだと思うが、グランプリを取った最優秀曲だった。今日から日本のリーダーが変る。平成が、また高度成長期を迎えられるかは、総理大臣ではなく、私達にかかっているのだ、さあ、出発だ!。

2010年6月4日金曜日

Take HEART (鳩山由紀夫)


時を同じくして、大きな変革が起こった。記念にこの歌をこのページに残しておこうと思った。情熱は人一倍ある人だったが、政治家には向いていないと感じた。時の流れと運命は、こんな所まで人を運んでしまうのだ。ここまで来た責任は自分にもある、とは思うのだが、この歌を唄っていた頃は、まさかこんな形で政界を後にするとは、夢にも思わなかったであろう。私の人生の中でも、思わぬ事が侭あった。まさか貸し切りの鈴鹿サーキットを走ったり、映画俳優と酒をのんだり、時として思わぬ場所に居る事がある。人生、先の事は運命しだい、自分でもどうにも成らないのだ。

2010年6月3日木曜日

さよならの向う側 (山口百恵)


卒業といえば区切り、さようならの意味ですが、終りではありません。そこには、その後があります。言い換えれば出発、スタートでもあります。卒業は新しい世界に行く前の儀式なのだ。その儀式を、あれだけ派手にやった百恵さんは、簡単には戻れませんし。卒業した人は学生には戻れないのと同じです。だから、現在の百恵さんをネットで検索しないほうがいいです。もう、あの時の百恵さんでは無いのですから。別れた恋人の残像は大切にしまっておきましょう。時間が過ぎたプロセスを理解するには、大きな時間がかかります。

2010年6月2日水曜日

卒業 (キャンディーズ)


乱数幹と書いてキャンディーズの方程式です。なんてギャグがありまして、彼女達が活躍していた頃は、私達もハツラツ年代でバリバリ生きていた頃でした。幹は別として、乱数はいい女優になりました。でも、老いてゆく彼女達を見ると、必ず自分に置き換えるので、なるべく、あの時のキャンディーズの人とは別の人なんだと思う事にしています。先日、中学のクラス会の知らせが届きました。でも、行きたい気もあるし、変ってしまったクラスメイトを見たくない、そんな複雑な気持ちが交錯して、結局いきませんでした。変った自分も見られたくなかった、タイムトンネルをくぐって、浦島太郎のように、なりたくなかったのかも知れません。

2010年6月1日火曜日

卒業 (渡辺美里)


はっきり言うと、美里に女を感じた事は無い。彼女は男みたいな性格だから、女の弱さ、頼りなさが感じられないのかも知れない。でも、この曲はよく聞きましたよ、失礼しました。ところで、このブログを始めて今日まで、何ヶ月過ぎたでしょう。毎日更新してきて、そろそろ疲れを感じてきました。六月一日がきりがいいので、明日からは、不定期、思いつき更新にしたいと思います。出来る限り毎日更新したいのですが、そうネタが続くとも思えませんし、メインブログの”彷徨い旅”も新シリーズ九州編がスタートします。そこで、基本、土日休は更新無しで、不定期、思いつき更新にさせて下さい。なるべく永く存続するために、皆勤賞は卒業します、あしからず。