2010年9月30日木曜日

若い朝 (日野てる子)


朝をテーマにしたドラマと言えば、モノクロームのテレビドラマで、”若い朝”と言う番組がありました。主演は日野てる子さんだったと思いますが、歌唱も彼女だったので、思い違いが無ければそうです。日野さんはハワイアンの歌手だったので、綺麗な裏声が素敵でした。ドラマの内容は、どっかに吹っ飛んでしまって全く憶えていませんが、この曲をyoutube で見つけて思い出しました。その当時からわたしはマイテレビを持っていましたので、自分の好きな番組を、イヤホーンをしながら見ていました。廃品回収の壊れたテレビを修理したのでした。中学の時は技術部の部長をしていましたから、お茶の子サイサイです。

2010年9月29日水曜日

寒い朝 (吉永小百合・マヒナスターズ )


わたしが子供の頃に、青年に憧れの的だった、吉永小百合さんのこの唄が流れていました。清純派と呼ばれ、灰汁の無い女優さんとして現在も大活躍しています。同年代で大女優と言われた人は、わたしの記憶ではいません、それほど大女優は少ないのです。その清純派の大女優が唄う曲ですから、ヒットしない訳も無く、この曲に勇気ずけられた人は多かった。たしか同名のドラマか映画をやっていたと思うのですが、わたしの記憶には残っていません。ただこの唄の舞台が冬で、冬の寒い朝には、この唄が口を突いて出てきます。

2010年9月28日火曜日

別れの朝 (ぺドロ&カプリシャス)


前野曜子さんのボーカルですが、彼女が諸般の事情で抜けてしまい、ヒットしていた真っ最中にボーカル交代と言う事態に驚きました。後任の高橋真梨子さんは、実力はありましたがタナボタだったのです。諸般の事情とは、前野さんは黒人の彼氏を追いかけて、アメリカに逃避行したらしいのです。この”別れの朝”は私の師である’なかにし礼’先生の作詞で、曲は外国でヒットした曲に、新しい詞をつけたものでした。普通、外国の唄の場合は訳詩をするのですが、礼先生は新しい試みとして全く別の詞を付けたのでした。然るに、その原曲のタイトルとは、”夕映えのふたり”という正反対の唄でした、おもしろいですね。

2010年9月27日月曜日

朝 (ペールギュント)


朝といえば、そのものズバリ朝ですね。昔よく、この曲が流れる目覚まし時計を使っていました。気持ち良過ぎて起きられないのが難点でした。その後、秋田のひなびた温泉で、鶏の声で起こされて、けっこう、気持ち良く起きられたので、こけっこう、の目覚まし時計を買いました。けっこうな洒落なんですけど解りましたか。最近は歳のせいか目覚まし時間の前に眼が覚めているので、逆に目覚ましが鳴るのを待っていて、鳴ったらすぐ止める日が続いているのですが、やっぱり目覚まし時計をセットしていないと、寝坊するのが不安で止められません。

2010年9月24日金曜日

夜明けの停車場 (石橋正次)


夜明けの曲で、ある歌謡曲をおもいだした。停車場なんて、今時のひとに、なんじゃそれは、と言われそうな古臭い呼び名です。しかし、これが昭和の言い方なんです。停車場という雰囲気に楽しいイメージはない。だから悲しい唄だという、文学的に決まっていた昭和文法なのです。’夜明けの停車場に、降る雨は冷たい。’という導入部で舞台は決定、そして悲しい物語は始まるのです。一種、太宰文学にも通ずる、たかが歌謡曲の作詞ですが、深く昭和文学を垣間見る、歌謡曲と言うものは、じつは素敵な読み物なんです。

2010年9月22日水曜日

夜明けのスキャット (由紀さおり)


この曲を聴いた時はある種、不思議な感覚に陥り、車を停車して聞き入ってしまった。スキャットと言うのを初めて知ったのは、テレビの11PMという番組のオープニングで、シャバダ、シャバダバ、シャバダバ、と言うのがスキャットだと思っていました。こう言う旋律を奏でる楽器のような歌唱法もスキャットとは違和感があるのですが、その後に洋楽で”天使のスキャット”と言う曲がヒットしたので良しとしましょう。この曲を夜明けの運転中に聴いたらとても危険です。絶対眠くなるし、気持ちよく天国に行けます。夜明けに運転する方々、ぜひ気をつけて運転しましょう。

2010年9月21日火曜日

夜明けのうた (岸洋子)


私が少年の頃、夜中は子供の時間ではなく、ほとんどの子供は寝かされていた。青年になり始めて、受験生なる人間が増えてくると、徹夜が出来るようになった。そしてこの曲の登場であるが、夜明けの清清しさや日が昇る素晴らしさを、この歌を聴きながら迎えたときの満足感は今でも憶えている。そして、成人してからも、徹夜でドライブした時などに、カーステレオのカセットに、夜明けに聴くテープが用意してある。夜が白んで来る東雲、朝日が射してくる曙など、夜明けはバラエティに富んでいる。夜明けの唄は色々楽しんでいました。

2010年9月17日金曜日

走れ歌謡曲 (文化放送)


深夜も未明に変わる頃、今度はこの番組の登場である。深夜族が寝る頃、徹夜族の為の番組である。私は若い頃、自動車メーカーのテストドライバーと言う仕事に従事していた。秘密厳守の発売前のテスト車で、夜中のテストが行われた。交代で高速テストをする周回コースで、夜明けの光が目に差し込んでくる朝方に、ヘルメットにサングラスという異様な格好で、朝焼けの鈴鹿サ-キットを爆走する。傍らのラジオではいつもこの番組が流れていた。そして、それが終わると宗教の番組で、心に愛が無ければ、どんな美しい言葉も、相手の心に届かない、というコメントが流れる。それを合図のように撤収するのが日課のようだった思い出がある。

2010年9月16日木曜日

オールナイトニッポン (パーソナリティ)


いまでも続いていると言うロングラン番組らしいのですが、今は夜中に聞く元気も残っていません。私たちの頃は糸居五郎さんとか高崎一郎さんが思い出に残っています。そしてこのテーマ曲が流れた時の安堵感は忘れません。いつも自分は一人じゃないんだ、このラジオを通じて、沢山の同世代の仲間が同じ時間を共有している充実感に包まれていた。リクエストと一緒にコメントを書くと、DJが面白可笑しく紹介してくれる。この形態は映画のアメリカン,グラフィティのウルフマン,ジャックやバニシング、ポイントのスーパーソウルに通じるものだ。

2010年9月15日水曜日

セイヤング、ハローパーティー(土居まさる&せんだみつお)


DJ天国のこの時代は数々の人気者を世に送り出した。私の友人で、DJを目指した者も居たくらいで、DJは時代の花形でした。現在は深夜にラジオを聞いている人は、夜間トラック便の運転手くらいで、それでもカーステレオなんかも利用して、リスナーも減ってきている。土居まさるさん、せんだみつおさん、みのもんたさん、それに大御所の高崎一郎さん等々、本当に現在でも活躍しているパーソナリティーのルーツは、あの深夜放送の恩恵だと思っている。昔の娯楽はみんな集中していたが、現在はグローバル化して、みんなインターネットで好きなことをして過ごしているようだ。

2010年9月14日火曜日

水虫の唄 (カメ&アンコー)


こちらは男性軍であるが、当時人気を博していた人気DJが、二人でユニットを組んでレコードを出した。その一人であるカメ(亀淵氏)は、現在ではニッポン放送の社長になっていました。少し前に、ニッポン放送買収問題でテレビをにぎわしていたので驚いた。この曲は、もともとフォーククルセダーズが唄ったものをリメイクしたのですが、深夜族の間ではかなりヒットした。深夜放送の全盛期に深夜労働していた私は、(某自動車メーカーのテストドライバー)眠気と戦うために、この手の深夜放送には本当にお世話になりました。

2010年9月13日月曜日

海の底でうたう唄 (モコ・ビーバー・オリーブ)


夜のラジオ番組で凄くヒットしたのが”パンチパンチパンチ”と言う番組で、パーソナリティに、女性三人組のモコ・ビーバー・オリーブというニックネームの、高橋基子、川口まさみ、シリア,ポール、の三人が交代で努めた。名前の通り。提供は平凡パンチだったが、当時平凡パンチを小脇にかかえて、VANジャケットをまとい、紐の無いモカシンを履いた若者が沢山いた。今で言う、石田純一さんのようなスタイルで、テレビよりラジオのほうが若者のファッションアイテムだったような気がする、正に昭和のいい時代だった。

2010年9月10日金曜日

受験生ブルース  (高石友也)


深夜族の多くは深夜労働者と受験生だろう。今は受験塾などが沢山あって、夜中まで勉強しなくても効率よく勉強できる時代になっている。私達の時代は、問題の傾向と対策が出来ていないのばっかりで、眼暗めっぽう、かたっ端から勉強していたので、合格と書いた鉢巻がシンボルになっていた。そんな受験生を風刺したこの曲がヒットするのも不思議は無い。また、それだけ受験生に指示されていたラジオの深夜番組から、次々とスター歌手があらわれてきた。今思い出してもかなりの数になるが、その辺を穿り返してみようかと思っている。

2010年9月9日木曜日

新・悲惨な戦い (なぎら健壱)


本来の曲は発禁、放禁の内容で、相撲の立ち会いで、まわしが取れて云々、という下ネタである。私達の若い頃は深夜族といって、深夜放送を(ラジオの)聴くのが日課で、学校の話題と言えばほとんどがオールナイトニッポンなどの中で扱われた内容でした。受験勉強と称し、実体はナガラ族(聴きながら)死語かな。その頃のBGMはフォークが多く、特に和製フォークなどが流れていた。ベトナム戦争の最中だったので、反戦歌などが多い中、こんなコミックソングが受けていました。悲惨な戦いは戦争の歌では無かったのでした。

2010年9月8日水曜日

いっぽんでもにんじん (なぎらけんいち)


この曲は、”およげたいやきくん”のB面にリリースされた曲で、なぎらっち、の作曲したもので、通常の著作権契約をしていれば、権料がたんまり入って来たものを、丸ごと譲渡してしまい、何万円かの作曲料しか貰えなかったという、いわく付きの曲である。A面が大ヒットすれば、枚数分のおこぼれに預かるレコードの時代、懐かしいです。作った本人は、まさかこんなに売れるとは思わず、他人の褌で、大もうけしたのにと残念がったいた。こんな事って、永い人生一度ぐらいはあると思いますが、それを運が良いとか悪いとか言うんでしょうね。

2010年9月7日火曜日

およげたいやきくん (子門真人)


ちょうど同じ年だったと思うが、こんな曲がヒットした。仕事に追われ、高度成長を支えたサラリーマンが、別の世界に逃げ出したいという願望を歌にした、大人の童謡である。この低迷期の現在から見ると、逆に仕事があるのは羨ましい事である。私が社員旅行でシンガポールへ行った時、土産屋の集るプラザでこの曲が流れていたのを思い出す。遠い異国の地で、聞きなれた”およげたいやきくん”を聞いてホッとした気持ちになったのは、世界中に愛された音楽だと言うことで、鯛焼きを知らない国でもヒットしていたのだ。

2010年9月6日月曜日

ビューティフル・サンデー (田中星児)


そのむかし、こんなHIな曲がヒットしました。平成の現在ではダサイといわれそうな、非常に健全で爽やかな青春ソングです。歌い手の田中星児さんも、曲に輪を掛けて好青年で、チョイ悪なイメージも無い。なぜそんな歌がこの時代にヒットしたか、それはまだ日本が健全だったからに他ならない。健全とは何かというと、真直ぐでひねくれていない。青年は将来に大きな夢を持ち、そして、努力すればより良き未来が約束されていた。そんな時代背景の中から生まれてきた曲なのです。ある意味そんな時代に青春時代を過ごせた事に感謝しています。あの頃の珍曲を思い出している今日この頃です。

2010年9月3日金曜日

ビューティフルネーム (ゴダイゴ)


だいぶゴダイゴが続いたが、私の友人で芸能記者のS社のI氏が西巣鴨に住んでいる。そこの近くに深夜喫茶でスナックを営業している”××○○”という店があった。深夜の常連であった私とI氏の根城のような店だが、近くに外語大があったのでデビュー前のゴダイゴのメンバーがこの店の喫茶時間に良く来ていたのです。時間帯が別なので逢った事はないのですが、店の客として応援していました。人気が出てから、そして卒業してから来なくなったそうですが。外語大も移転して、私達も疎縁になり、店には行かなくなりました。最近その場所を通ったら、その店の場所に、マンションがたっていました。

2010年9月2日木曜日

ガンダーラ (ゴダイゴ)


この曲はゴダイゴ最大のヒット曲といえるだろう。エスニックブームの真っ只中に、名前だけは聞いたことがあるが、ほとんどの人が所在を知らない”ガンダーラ”と言う場所を、宗教的に言う楽園とした内容だ。ガンダーラ佛という仏像に推測すると、西洋と東洋がシルクロードにより結ばれた西と東の文化がぶっかった辺りのようです。その仏像は肋骨が剥き出しになったお釈迦様で、その鼻は高く、顔はキリストのような風貌の仏像である。文化の違いを乗り越えたのではなく、ごく自然に混ざり合った、心の理想郷なのだろう。

2010年9月1日水曜日

モンキー・マジック (ゴダイゴ)


この曲のヒットに繫がるテレビ番組”西遊記”は私が子供の時、父親の腕にて、子守唄代わりに聞き覚えのある物語であった。キンカク、ギンカクや牛魔大王のキャラクターや如意棒や芭蕉扇などのグッズなども、小学生の頃から知っていて、この番組は欠かさず毎週見ていました。その後に何度かリメイクして、孫悟空の役や三蔵法師の役も代わりましたが、何と言っても夏目雅子さん玄奘三蔵が忘れられません。坊主頭の彼女の美しさは、神々しくもあり、こんな尼さんが居たら、女性の髪は煩悩とは関係ありませんね。番組の中で、お釈迦様が出てきますが、なんとこの役も女優の高峰三枝子さんでした。