2011年7月29日金曜日

水族館 (サンサーンス)

サンサーンスが続きますが、こんな曲もありました。水族館と言うタイトルに、このあいだ行った北海道を思い出しました。旭川にあります旭日山動物園の水族館併殺の動物園では人気者のゴマフアザラシが水槽の中を縦横無尽に泳ぎ廻り、フロアーにある円筒形の水槽トンネルを行き来すると、歓声があがります。水族館には魚も居ますが、この水槽には魚はいません。一緒にするとアザラシが食べてしまいますからね。海の中では一緒の生き物も水族館では種類ごとに分けないと、とんでもない事が普通に起こるのです。

2011年7月28日木曜日

動物の謝肉祭 (サンサーンス)

謝肉祭とは日本では馴染みが無いかもしれませんが、呼び名を変えればよく聞くカーニバルです。日本ではサンバカーニバルを初めとするお祭り騒ぎの事を言いますが。西洋では食に感謝する儀式のようです。謝肉祭がカーニバル、ハロゥインがお盆でイースターが花祭りかな?。考えてみると宗教的儀式だが、西洋も東洋も基本的には変らないというのが分かります。ベネチアで仮装してお面をかぶるお祭りも謝肉祭だと言う事です。国が変ると変化して、日本ではカーニバルは浅草と言う事になってきましたが、あれは南米の謝肉祭ですね。

2011年7月27日水曜日

白鳥 (サンサーンス)

ある意味白鳥と言えばこの曲が二番目にきます。なんと落ち着く旋律でしょう、心が癒される思いです。そして、やっぱり映像が浮びます、白鳥が静かに湖畔を泳いでいます。白鳥の湖と違うのは、心が落ち着くのです、底知れぬ安堵感があります。チャイコフスキーの旋律は、これから何かが起こりそうな予感が感じられますが、サンサーンスの白鳥は実に穏やかでスイスイと湖面を泳ぎます。音楽が絵画の如く感じられるのは、人間の感情がすべて一体性があるからでしょう。花や鳥や風と月、すべて頭の中で創れます。

2011年7月26日火曜日

白鳥のまごころ (ブルースター)

この子は知る人ぞ知る、寺内タケシのコピー少年です。バックバンドは都我都我というセミプロのようですが、YOUTUBEを見るまではこの少年の存在は知りませんでした。私がこの少年の歳の頃は、兄貴のもっていたウクレレをコードも分からず、ペロンペロンと弾いていた頃です。こんな少年の頃から、私がはまったエレキギターを、エコーをギンギンに効かせて弾いてす。まったく羨ましいかぎりです。”白鳥のまごころ”とは意味深なタイトルですが、詳しい事はしりませんが。旋律が気に入って時々聞いています。

2011年7月25日月曜日

白鳥の湖

スワンと言えば白鳥ですが、白鳥で真っ先に思い浮かべるのは”白鳥の湖”です。この中の特に情景と言う章で浮んでくる湖が、わたしの理想の湖像であって、外国は別にしては北海道の湖に確定しました。霧深い湖の畔、一羽の白鳥が悲しげに泳いでいる、誰しもぐっと来るはずです。そして、そこに秘められた悲しい物語に興味津々で、とても気になるのです。わたしはオデットとジークフリートの、素敵な恋物語があるのを後に知りましたが、音楽だけで情景を思い浮かべる事が出来ました。今でも思い浮かべるのは北国の屈斜路湖や、摩周湖などです。

2011年7月22日金曜日

スワンの涙 (mi-ke)

この曲の中に♪遠い北国の湖に♪と言うフレーズがありますが、私は当時から北国に憧れていました。何か北国に対して特別な恋慕の気持ちを持っていました。何時か行ってみたい北国の湖に、歌の中で行くという、消化不良な状態でいたわけです。最近になってやっと北海道へ行けまして、やっと消化不良状態を解消して、北国の湖の神秘的な雰囲気に囲まれ、静けさの素晴らしさを味わって来ました。また反面、都会の雑踏が思い出させるような寂しさも感じました。

2011年7月21日木曜日

朝まで踊ろう (mi-ke)

この曲は、今は石原軍団の大番頭、舘ひろしさんが俳優になるまえに、”クールス”というバンド活動をしていた頃のヒット曲です。それをかわいい女の娘がリメイクして聞かせてくれるのですから(惚れてまうやろ!!)ですね。この他にもGSやフォークなんかをパロディにした曲や、当時のボーカルとコラボしたりで最高でした。でも、また時が過ぎ、mi-keも何処かに消えてしまいメインボーカルの宇徳ちゃんだけが頑張っている。むかしTVで”不思議な少年”という番組がありました。「時間よ止まれ」と叫ぶと時間が停止してしまうのです。出来る事なら時間を止めて見たいですね。

2011年7月20日水曜日

思い出の九十九里浜 (mi-ke)

以前にも書いた事があるが、九十九里浜には生死を分ける思い出がある。忘れもしない、テストドライバー仲間とサーフィンに行ったのです。私は無経験で、波に乗る時にパドリングと言って、板の上で波の速度まで漕ぐらしいのだが、全然知らなかった。友人が持っていったイギリス国旗のデザインボードで、沖に向かって一目散。友人達が小さく見える、ここからカッコよく浜に戻る予定が、無情にも波は通り過ぎてゆく。でも、神は見捨てなかった、予想外の大波が私を巻き込んで浜に打ち上げた。よかった、生きている、助かったのだった。

2011年7月19日火曜日

ブルーライト ヨコスカ (ミケ)

ヨコハマとかヨコスカとか言うとこの曲を思い出す。往年の大ヒット”ブルーライトヨコハマ”のなんちゃって版である。暑い夏が続くので、すこし爽やかなmi-ke特集でもやろうかと思います。20代後半だったか、悪友のKとIの3人でよくヨコスカ行ったり、青山辺りでナンパしたり、引っ掛けた女達と九十九里浜に行った思い出とか、どんどん蘇えってくる。それは、走馬灯のようにグルグルして思い出すのだ。あの頃はほんとうに楽しかったし、将来の心配も無く、若い者にはバラ色の時代であった。今の若い人は気の毒である、と言うのも就職難や震災、原発事故など喜べない心配事ばかりだから。

2011年7月15日金曜日

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (ブギウギB)

このグループが出現して車屋さんのシンボルであるツナギ作業服がメジャーになりました。わたしはH技研のテストドライバーをしてた頃のツナギを持っていました。その後の会社の社内旅行で、余興のひとつで、この曲をやったのです。浴衣の中にツナギを隠し、4、5人でサプライズ演奏。浴衣を脱ぐとツナギで、ギターを抱え唄が始まりました。ネタは当時キャバレー狂いをしていた、旅行に来なかった技術部長の浮気でした。社内では噂になっていたゴシップネタなので大爆笑、おまけに喧嘩がはじまり、最後にドッキリカメラの看板を出して、またまた大爆笑で、ホテルの板前まで見物に来るくらい好評でした。

2011年7月14日木曜日

横須賀ストーリー (山口百恵&ブギウギB)

清純で、チョット不良を匂わせ、不思議な魅力の百恵さんでした。わたしの好きな曲の中で、特に好きなのがこの曲です。これっきりを繰り返し何だろうと思ったところでストーリーがはじまる。そして、作曲者が作詞者の旦那さんで、不良の権化の様な要望の竜堂さん。雰囲気抜群の二組の個性がコラボした、めずらしい音源があったのです。宇崎さんの巻き舌に影響されてか、意識してかわかりませんが、百恵さんの巻き舌には痺れます。引退した百恵さんは静かに暮らしてください。でも思い出の中の百恵さんには登場していただきます。

2011年7月13日水曜日

青い果実 (山口百恵)

これは彼女のデビュー曲でしたか?、よく憶えていませんが、この曲の詩は衝撃的でした。この曲を書いたのは私の兄弟子の千家和也さんでした。なかにし礼先生の内弟子で私は外弟子ですから、私が勝手にそう思っているだけですが、同じ師を持つもの同士です。この詩は♪あなたが望むなら、わたし何をされてもいいわ♪こんな不謹慎な事を、と言われそうな曲を中学生の女の子に提供するのですからビックリしました。しかし、結果として大ブレークのきっかけになったのは間違いありません。今現在でしたら、女の子は平気で男言葉をつかい、友人をテメーなんて言っていますが、当時は大変な事でした。

2011年7月12日火曜日

狂った果実 (アリス)

昨日と同名の曲ですが、おそらくあの作品を意識して創られたのでしょう。私が飲み歩いていた頃、この曲が流行っていました。よく飲みにいったサパークラブで、エレキの弾き語りの人が私と意気投合して、店が閉まった後、新宿に飲みに行こうと誘われ、真夜中に新宿のステージ付きのクラブへ行きました。そこで彼に誘われて”アリス”を3曲ばかり歌いました。彼がべーヤンで私がチンペイ、バンドはラテンバンドでしたが上手でした。真夜中のライブは好評で、アンコールまで要望され、この曲を唄いました。拍手喝采の夜でした。

2011年7月11日月曜日

狂った果実 (石原裕次郎)

さすがにこのへんの映画は観た記憶がありません。兄の年代の人は観たと思います。わたしが大きくなってから映画の事や”太陽族”という言葉も知りました。不思議なもので、この当時は、ちょっと不良な正義の若者がもてていたようです。言わばガキ大将が大人になったような存在だったようです。石原兄弟が脚光を浴びた作品という事で、映画も天然色ではなくモノクロですね。ちなみに、私の時代の族とはカミナリ族にみゆき族、六本木族なんて言うのもありました。その後にサーキット族とかタケノコ族なんて言うのも出て来ましたね。

2011年7月8日金曜日

真夏の果実 (サザンオールスターズ)

唄はサザンの桑田さんですが、昨日の映像は長門さんと南田さんの若い頃の作品です。なぜそんな話をするかと言うと、長門さんの若い頃の容姿に、桑田さんが激似であることを知っていますか本当に良く似ています。話は変わりますが、長門さんと南田さんの愛情物語は今年完結してしまいましたね。ほんとうに羨ましいくらい仲の良いご夫婦で、天国でも仲良くやっているでしょうね。桑田さんも原ボウと幸せにして欲しいです。桑田さんも病気が良くなってよかったです。そろそろ梅雨も明けそうなので雨から真夏に変わりましょう。暑い真夏はヤング(死語)の季節です。

2011年7月7日木曜日

雨のブルース (淡谷のり子)

まさかこの曲が流行っていた時代には、赤ん坊だったと思いますが、テレビの物真似番組では、淡谷さんのこの曲は、真似しやすいのか、子供らまで真似をしていたのです。おかげでこの曲を覚えてしまったと言うことです。ものまねのコロッケさんなんか未だにやってますよね。もともと声楽家の淡谷さんですから、オペラの蝶々婦人なんか歌う歌手だったのに、流行歌を歌う歌手が不足していて、音楽関係者は宴会に呼んだ芸者さんまで歌手としてデビューさせた時代でした。その頃の若者でしたら、希望はあったかもないかも?。

2011年7月6日水曜日

雨の日のブルース (渚ゆう子)

どう聞いてもこれはブルースではありません、ポップスです。何ゆえブルースと付けたのか、それは詩の中にブルースがあるだけです。♪暗いブルースを口ずさみ♪舞台は青山あたりの坂道にあるクラブでしょう。要するにここでのブルースは小道具です、”よこはまたそがれ”みたいにブルースがあるだけで絵になるのです。むしろ”よこはまたそがれ”のほうがブルースっぽいですね。この曲の凄い所は、その当時クラブと言うのはクに強調してクラブと呼んでいたのが、最近はクよりも後のラブを強調して呼んでいるのです。当時この曲を聞いて違和感があったクラブも今は全然違和感がありません。時代を先取りしてたんですね。

2011年7月5日火曜日

雨のバラード (湯原昌幸)

GSブームというのがありまして、これはガソリンスタンドではないのです。我々の年代はエレキギターという文明の利器にしびれて、エレキバンド=不良と言われた時代です。珍しいものや経験した事の無いものに出会うと、不良や悪いものししてしまう、島国根性の悪い所が、文明開化いらい続いていた時代です。この曲はいい唄ですが、GSと言うだけで大人には不良に見えたのです。彼がソロになったら、結構いい奴じゃないかと勝手な事を言っていますが、それが大人なんだと最近わかりました。わたしも大人になったのでと思います。

2011年7月4日月曜日

九月の雨 (太田裕美)

六月は梅雨、九月は秋雨の季節ですが私の生まれ月が九月なので、なぜかこの曲に惹かれるのです。若い頃、同棲していた彼女も九月生まれで二日違いでした。正式に彼女と付き合う前は、あの手この手のプレゼント作戦で、苦労しましたが、今はいい思い出になりました。恋愛は付き合うまでがワクワクして、結ばれるとお互いの欠点が目立って来て、またそれを許せない若さという愚かな感情が、今度は破壊に加勢する。今の寛容さがあれば彼女を掴んで居られたのに、彼女もあんなに剥きになることも無かっただろうに、若さのいたりですね。

2011年7月1日金曜日

六月の雨 (小椋 佳)

このところ暑い日がつずいているのに梅雨が明けない、そんな”六月の雨”は今日でおしまいなのでこの曲の思い出を。印象深い曲ではありませんが、この曲は親友の結婚式で2回唄いました。それも、無伴奏のソロでした、けっこう緊張しましたが出た処勝負で唄ったのです。こういう曲は聞き込まれるので唄うまでは酒を飲みませんでした。一生に一度の事ですから、親友として贈りたかったのです。♪幾つ春を数えても、幾つ秋を数えても、二人で居たい♪ここのフレーズが結婚にぴったりだと思います。”君といつまでも”ではありきたりですからね。