2010年7月30日金曜日

東京の灯よいつまでも (新川二郎)


昭和の東京はこの歌にあるように、♪雨の外苑、夜霧の日比谷♪というように、夜霧がよくあったのだ。今はほとんどないのだが、当時はまだ、石炭やコークスをストーブやボイラーにつかっていたので、煙が出て、それを核にして水滴が出来、夜霧とか靄(モヤ)という現象を起こしていたのです。特に朝靄が多くて、車も電車も、朝靄で遅れることがありました。その後、スモッグなんて言われたりしましたが、スモッグは煙で、それに付いた水分でモヤが発生します。最近は太陽光線がスモッグにあたり、光化学スモッグなんていうものが出没しています。

2010年7月29日木曜日

あの娘たずねて (佐々木新一)


山手線といえばこんな曲があった。もちろん演歌派ではないが、この曲はあまりにもヒットしたのでよく憶えている。今ほど地下鉄もない時代、山手線は一種楽しみの一つでもあった。一度乗ったら、寝過ごしてもまた戻ってこるので、最低料金で結構楽しめる。もちろん、しょっちゅう乗ってたわけではないが、暇なときは一周してくるお遊びもあった。東京の風景を楽しみ、キヨスクのコーヒー牛乳を飲み、ちょっとした旅行気分が味わえる、山手線は庶民の楽しい乗り物だったのだ。

2010年7月28日水曜日

恋の山手線 (小林旭)


親父ギャグの極地ともいえる”恋の山手線”だ。自分の記憶では、この歌が流行った頃の山手線は、小豆色のコキタネー車両だったと記憶している。テレビも白黒で、娯楽に乏しい当時の日本国民は、花のスターが唄う駄洒落歌でけっこう満足したものです。何でも揃う現代は、金さえあればおおさま気分、勝手に、勝ち組とか負け組みとかに分けて、必要以上に負け組みとされる人間が落ち込む。私もそのつもりはないが負け組みらしい。勝った負けたの勝負をしたこともないのに、うまくいってる奴が勝ちで、つまずいたのが負けか?、くだらねーな。

2010年7月27日火曜日

自動車ショー歌 (小林旭)


彼のズンドコ以上に有名なのが、この”自動車ショー歌”である。晴海で開かれる東京モーターショーが始まった頃だと思うが、こんな親父ギャグみたいな、駄洒落た曲がヒットした。私はまだ免許を取れる年齢ではなかったので、自動車のことは知らなかったのですが、車種の名前はこの曲で憶えました。私たちの時代には、名前をもじって、トヨタ800をヨタ8とかホンダN360をエヌッコロとか、他にも色々なニックネームを付けたものでした。ブルーバードSSSなんかは、その格好から柿の種なんて言ってましたね。

2010年7月26日月曜日

アキラのズンドコ節 (小林旭)


こんなに足の長い人が居るのかと思ったくらいで、日活は特に揃っていた。それまでは、時代劇が映画の主流で、スターというかっこいい人種が憧れの的になったことはない。チョット不良で正義感が強い、ヒーローという存在とスターをダブらせた存在だった。ラッパズボンをなびかせて、スローモーションで蹴りを入れると二三人が吹っ飛ぶ。ポケットに両手を突っ込んで、下から覗き込む仕草が、子供のあいだでも流行して、のちのツッパリになって行ったのだろう。考えてみると、小林旭さんは元祖ツッパリだったのかも知れませんね。

2010年7月23日金曜日

ドリフのズンドコ節  (ザ・ドリフターズ)


毎週、夜の8時になるとTBSで全員集合を見ていた。あれは、ある意味昭和そのものである。コントや登場人物、建物なんかの大道具も、吹けば壊れるような長屋でした。下町で毎日繰り返される、日常の出来事を、面白可笑しくコントにして放送していた。家の中に雨漏りがしたり、家の壁が倒れたり、カナダライが落ちてきたり、少し危険なくらいの生活がそこにはあった。子供心にあれは嘘っぽいとか、本当に危険なものを見分けられた番組だった。当時はワースト番組の一位だったような気がする。

2010年7月22日木曜日

ズンドコ節


手を買え品を買え、時を超え蘇って来る曲にこんな曲があった。これは元歌のようだが、自分が聞いたのは、最初は小林旭さんのズンドコで、次がドリフターズで、最近は氷川きよしさんである。歌詞が変わって、曲も少し変わってリバイバルするが、この曲が元らしい。手拍子がぴったりで、伴奏もいらないので、宴会にはもってこいの曲であるが、時代的には”旭のズンドコ節”
が私の子供時代で、日活のヒーローがカッコイイ時代だった。そのころ、あんなに足の長い人がいるのに驚いた。今ではズボンを腰で履いて、それがカッコイイらしい、時代は変わった。

2010年7月21日水曜日

夢は夜ひらく (園まり)


この歌は自分がまだ子供時代にヒットしたものでした。カラーテレビではなく、白黒テレビがやっと普及した頃の、二代目三人娘のひとり、園まり、さんの代表曲です。自分用のテレビを持っていた私は好きな番組を観ていました。自分用といっても、廃品を500円で買ってきて、それを修理して観ていたのです。アマチュア無線に興味を持ち、簡単な故障なら直せたのです。高電圧の部分から放電していたので、絶縁体である醤油皿をその部分に置いてやっただけで修理出来たのです。故障なんてそんなもんです。

2010年7月20日火曜日

圭子の夢は夜ひらく (藤圭子)


とくにファンではなかったが、彼女の衝撃的な歌詞と巻き舌で、爆発的なヒットになった曲でした。♪15,16,17と、あたしの人生暗かった。♪まだ若い女性が、こんな台詞を口にする事自体衝撃でした。当時、クールファイブの前川清さんと結婚したのも衝撃的でしたが、すぐに離婚、その理由というのが、前川氏のペットであった鯉に餌をやらなかったらしいのです。演歌の女王に、それは無理です、普通の女性と結婚したほうが幸せです。その後、ニューヨークに越したとかで、女王に座から降りてしまいました。ウタダヒカルさんの登場まで、消息も知らなかった。

2010年7月16日金曜日

新宿の女 (藤圭子)


○○の女で連想したのは、ど演歌のこの曲だった。彼女は現在では、宇多田ママで有名だが、私が20代の頃は、演歌の女王として、芸能界に君臨していた。私が六本木の交差点にある、アマンドという喫茶で友人とお茶していたら、2階の入り口から彼女(藤圭子)が入ってきた。待ち合わせらしく、席を一望して3階へ行った。友達も自分も確信が持てないで時間が過ぎた。店を出るにも気になって仕方がない、意を決して3階へ確認に行くと、奥の席に背中を向けて座っている。さすがに、そこまで図々しくはないので、未確認である。あの日の事が、未だに気になる。

2010年7月15日木曜日

アルルの女 (ビゼー)


この”アルルの女”が曲者で、ファランドールと言うらしいのだが、とても女というイメージではなく、大男が闊歩しているようである。クラシック音楽で、この曲の最後のようにジャンで終わる事が、定番のような印象がある。だから話の終わりにジャンジャン、と言う人が居たり、物事のおしまいを、すべてがオジャンになったとか、無意識に使っているが、クラシック音楽が元になっていると、誰かが言っていた、ジャンジャン、となるわけである。あまり名曲とは関係ないかも知れないが、これを聞いたときは、な~るほど、と思った。

2010年7月14日水曜日

チゴイネルワイゼン (サラサーテ)


張日妮の二胡による演奏がめずらしい。私がクラシックを正式に聞いたのは中一でした。クラスの郷田君の家で、ステレオプレーヤーの前に座り、かなりの音量で聞かされた。それなりに感動はあったのだが、この曲は暗すぎて初心者の私には重すぎた。不安な旋律がどんどん攻めてきて、これでもかと押し寄せる。すこし太目の郷田君には悪いが、この曲の良さを知ったのは大人になってからだった。そして、その後の駄目押しで、アルルの女を聞かされて、中学生でのクラシック.デビューは出来なかった。

2010年7月13日火曜日

ピアノ協奏曲第一番 (チャイコフスキー)


ホルンのような音で始まるこの曲は、車のコマーシャルなんかでよく使われる不朽の名作です。さすがにこの曲は練習できるレベルではありませんが、エレピを購入してから、コードの練習やハノンなんかも少しやりました。けっこう欲張りな性分で、あれもこれも手を出して、そのうち飽きてしまうのですが、いろいろチャレンジしました。まあ、ギターが一番ながく続いたようですが、そのギターも最近弾いていません。狭い家に引越しをしてから、楽器も音楽も聴かなくなりました、なんか、さみしい。

2010年7月12日月曜日

ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)


わたしが大人になってからバイオリンを始めたのは、いつもの好奇心である。いろいろ調べたら鈴木のバイオリンが一番安い。そして教本をみると、誰でもが一度は弾く楽曲に、メンチャイ、と書いてあり、バイオリンはメンコンだと書いてあった。専門用語かと思い、ツタヤで検索したら、メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトを訳してメンコンだと判った。という事は、メンチャイのチャイはチャイコフスキーのピアノコンチェルトだと判明。その数ヵ月後に、コルグのエレピを購入する事になる。

2010年7月9日金曜日

パルティータ第3番より ガボット (バッハ)


この曲が耳について離れない時期がありました。何のコマーシャルだったのでしょう、思い出せません。かなり前にバイオリンに興味をもちまして、西武百貨店の楽器売り場で、安価なバイオリンを見ていたら、女性店員が「先生、生徒さんの楽器ですか?」、と話しかけてきたので、いい加減な話でその場をごまかした事があった。いい歳をして、これからバイオリンの練習なんて言えませんよ。それに、先生と言われて気分がよく、先生に成りきり見栄をはった。その場は、生徒に選ばせると言って切り抜けた。ヒヤヒヤものだった事を憶えている。

2010年7月8日木曜日

前奏曲集 7番 Prélude  A-dur, イ長調 (ショパン)


ずいぶん長ったらしい曲ですが、この曲もずっと、大田胃散という胃腸薬の曲と認識していました。子供の頃からですから、ずいぶん永く愛聴されてきたものです。もともとこの薬事態古そうですが、効き目はともかく、この曲は、日本人の認識というか、永年テレビなどで洗脳されてきた経緯から、誰もが大田胃散を連想する曲である事は、間違いない事なのである。そもそも、何故この曲がコマ-シャルに使われたか調べると、イ長調、胃腸、と言う、バカバカしいネタだそうです。調べて馬鹿をみた、下らない宣伝マンに振り回されていました。

2010年7月7日水曜日

乙女の祈り (パダルジェフスカ)


乙女といえば私は乙女座ですが関係ない。昔、ラジオの宣伝で、桃谷順天館という化粧品の会社が流していた曲です。その頃は子供心にいい曲だと思いました。まさかクラシック音楽とも知らないで、これは桃谷順天館の曲だと思い込んでいました。今思うに、そんな曲は沢山あって、大人になってから真実を知り、子供の頃の他愛無さが懐かしく思い出されます。学校の校内放送でも流れていたり、音楽室で女子生徒が弾いていた記憶もあるのに、私には、桃谷順天館が、頭から消えません。

2010年7月6日火曜日

乙女の儚夢 (あがた森魚)


ノスタルジーと言うか、懐古趣味というか、大正浪漫なんていう言葉が流行り、このアルバムを友人に借りた。彼女も懐古趣味で、古いものが好きで趣味が合った。この曲の♪乙女の父さん人力車夫♪と言うくだりがあるが、平成の現在にも人力車は存在する。すると言うよりも、復活したというほうが正しいだろう。なぜ大正時代のものが復活するのか。私でさえ本当の人力車の時代は知らない、なのに、観光地は人力車でゆっくり見物するようだ。結局知らない人たちには新しい存在なのだろう。スカイツリーもいいけれど、浅草の風情も無くしてはいけない、と言うこと。

2010年7月5日月曜日

赤色エレジー (あがた森魚)


この曲が世の中に流れていたのは、まさに♪昭和余年は春も宵、桜吹雪けば情も舞う♪と唄っているように、昭和の歌のようですが内容は明治そのものです。まあ、明治と昭和のあいだは16年しかなかったので、昭和元年の20年前は明治だったのだから、雰囲気は似た所もあるでしょう。私が20代の頃、危険な、自動車の実験走行を職業としていた時代、鈴鹿という遊園地にあるホテルで聞きました。モノクロームな世界観が車のニューモデル開発と相反して、新鮮に聞こえたのです。歌の中身は死語ばかりで、現代では使われなくなった言葉ばかりで、それがヒットの要因かもしれません。

2010年7月2日金曜日

昭和柔侠伝の唄 (あがた森魚&緑魔子)

http://www.youtube.com/watch?v=wW2E7illVdg&feature=related
 
 ◎昨夜、姪が早産して2ヶ月も早く男子を出産した。更新が遅れたことは仕方ない、それに、昭和の曲を選んだのに、直張りしか出来ませんでした。

2010年7月1日木曜日

私だけの十字架 (F.チリアーノ)


特捜最前線の挿入歌のこの曲は、よくクロードチアリと間違えて、誰もそうだと思っていた。実際は別人で、番組でもその事が話題になり、本人を登場させたのだ。この特捜物は、古くは特別機動捜査隊という番組のながれで、警察捜査番組は人気があった。こんな番組をyoutubeに投稿してる人もいるんですね。私もVHSビデオで撮り貯めた、映画はいっぱい持っているのですが、テレビ番組は持っていません。見ていると、懐かしい女優さんの緑摩子さんが出ているではないですか。彼女、妖しい魅力の女優さんでしたね。