2009年10月31日土曜日

『秋の童話』~Reason~韓国ドラマ 


ふと観てしまった病院のシーン。小さな男の子が、生まれたばかりの赤ん坊の、名札をいたずらしてしまう。後が気になって次週も観てしまった。そして、最後まで何週間もみつずけてしまった。それから韓流ブームが起こって、色々と観ている。まさに、きっかけとなったドラマである。今年米寿の母も、夢中になって見ていた。内容が分かり易く、お涙頂戴の展開が、老人にも愛される、親しみやすい作品だからだろうか。時代背景が、現代よりも、少し昔っぽいところがいいのかも。

旅愁  (西崎みどり)


テレビの主題歌としてヒットしたこの曲、毎週欠かさず観ていました。何が良くて観るのか、と言えば、悪の権化とも言えそうな、悪役を、必殺の連中が色々な手口で懲らしめる。と言うよりも、残酷な手口で仕返し殺戮を行う。正義だから許されてしまう。正しい事をした仲間は、毎回、笑いながら、反省のかけらも無い。悪党は処刑する、無法世界のテーマソングとして、若干15歳の女子が歌う。複雑な気持ちで観ていた。子供ながらに、悪人は叩き切るものとして認識した。まあ、現実には出来ないから好いとして、ほんとにやる奴いたらこまるよね。

2009年10月30日金曜日

東京ららばい (中原理恵)


ららばい、とは子守唄の事、知ってますよねぇ。なぜ”東京ララバイ”なんでしょうか?。そうです、東京は眠らない都市なのです。私の知り合いで”N”という友人が居るのですが、この男眠らないのです。飲み屋が終わって、行き場を無くしても、彼の部屋へゆくと必ず起きていて、レミーマルタンを燻らせながら、好きな音楽を聞いている。そして、朝は勤めに行くのだから不思議だ。聞くところによると、ぜんぜん眠くならないのだそうだ。一時、昼、会社に行き、夜はバーテンのバイトをしていた。そのころ知り合った友達だが、今も寝ていないのか、交遊が無くなってから、消息は分からない。

悲しみは駆け足でやってくる  (アン真理子)


作者によると、この曲を発想したきっかけは、なんと、お経だそうです。お経と言えば、どの宗派にも有りますし、外国にも同じようなものが存在します。まことに失礼な発言とは思うのですが、歌謡曲とお経の役割は、かなり近似値のような気がします。お経が、ただの棒読みでない事からしてそうです。抑揚の中にメリハリがあり、上手な僧侶はいい声をしている。そんな事で、お経に興味を持った事があります。字の読めない人の般若心経は絵文字で書いてあります。猿がほえて、手のひら、2回。お腹の絵がつずいて、”ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー”と読むそうです。(笑)(失礼)

2009年10月29日木曜日

思秋期  「岩崎宏美」 ピアノ:羽田健太郎 

 
この歌は造語である。思春期の春を秋にした事で、青春の憂いを表現したのだろう。阿久悠先生の渾身の名曲だ。そして、名作曲家の三木たかし先生とのマッチングも最高である。抜群の歌唱力を誇る、岩崎ひろみ譲と、この回のピアニスト羽田健太郎氏と、最高に贅沢な編成。そして、二度とかなわないグッドタッグ。有能な芸術家たちの、あまりにも早すぎる冥府への旅立ち。三人とも、現役でいて、突然の訃報と言う展開に、芸能界もショックを隠せない。いい仕事をした人には、もう少し長い寿命を与えて下さい。代りに悪い人を連れて行ってください。神様お願い致します。

sara  coba(コバ)


姪っ子(姉の子)に、いいアーティストが居るよと話をしたら、パルコで捜して買ってきてくれた。気が利いていて、いいのだが、代金2~3千円では済まないよなぁ。お礼を含めて結局5千円。高いものにつく、叔父さんはつらいのだ。コバを知ったのは、だいぶ前で忘れたが、タモリの音楽番組に出演していて、かなりの実力であった。ヨーロッパの権威有るコンテストで優勝するほどの技量である。日本のアコーデオンの印象といえば、横森良三さんのイメージがあって、彼が第一人者だったが、今はCOBAである。

2009年10月28日水曜日

鳥の背に (布施明)


人生の迷いや、行きずまりの時、こんな歌が流れていた。”傾いた道しるべ”布施明の曲である。確かに素晴らしい曲なのだが、聞いているうちに、裏(B)面の”鳥の背に”を聞いて、癒された。映像が見えて来るのだ。道しるべの方は切実で、傷口を広げるのに対して、鳥の背は心を静めて落ち着かせてくれる。音楽の役割の両極がここにある。高揚させる曲と、沈静させる曲。やはり、秋には沈静がいいと思います。紅葉の山肌が浮かんで来るようです。

燃える秋 (ハイ・ファイ・セット)


秋になるとピッタリの曲がこの歌である。ボーカルの山本潤子、同姓同名の人を知っています。かつて私の暴走ともいえる駆け落ち(偽装)に、警告をしてくれた人でした。婚約者から暴力を受けるという、言葉を間に受け、同情半分の失踪をしました。駆け落ち相手の彼女は、また別の男と消えました。元婚約者はボクサーだったので、尋ねてきた時はビビリました。彼女がもう居ないことを知り、九州に帰って、家を継ぐと言っていました。移り気は彼女の病気です、と言って、責めもしなかった。わたしも、山本潤子さんの忠告を聞いていればよかった。いまでは、いい思い出ですがね。

2009年10月27日火曜日

さすらいの唄 (森繁久彌)


わたしのブログのタイトルにもある彷徨いに似た、”さすらいの唄”。大正時代に、あの北原白秋によって作詩されたこの唄。まさに私の好きな大正浪漫の世界である。最近の唄と違い、純文学の作家が歌謡曲を作っていた時代だ。何処から刺しても一遍の矛盾もない作品。白秋は老いと言う事実を白い秋と表現した。これは、青春を意識して、青や赤に勢いがあっても、最後には皆、白になる、と言う教訓を自らのペンネームとしたのではないか。ちなみに、赤ちゃんの誕生と黒冬は臨終かも?。

岩尾別旅情  (さとう宗幸)


高校時代からの親友が教えてくれた、岩尾別旅情。そこが何処かも具体的には知らず。北海道ひとり旅を決行して、初めて知ったのは、其の奥に地の果て温泉があって、そこが、一軒宿だった事だ。途中、バイク宿のようなところが一軒建っていたが、平屋造りで、営業しているかさえも判らない。この唄の舞台がここだとすると、複雑な心境である。その親友の想像では、なにか理想郷のような場所を想いうかべていたようだ。親友とも、数十年会っていないけれど、あそこへ行ったと言わないでおこう。

2009年10月26日月曜日

遠くで汽笛を聞きながら (堀内孝雄)


カラオケでよく歌った唄にこの曲がある。風邪で喉を痛めていた時に、この唄を唄わされて、のちに、快復が遅れて、十日も声がでなかった。唄に罪はないのですが、風邪で酒をのみにゆく。これは自業自得というものでしょうがないのですが、言葉を失う辛さをしみじみ感じた経験です。からだは動くのに声が出ない、電話も出来なければ、人を呼んだり助けも呼べない。あたりまえの物を失う辛さ、と逆に、有ることえの感謝、ありがたさを、この曲で思い出します。

ふれあい (中村雅俊)


映画関係の宣伝を仕事としてる連中と、エレキバンドを組んだ事があった。みんな、三十代だったので名前をシルバーシートバンドと呼ばれた。ある日、東映の宣伝部の方が、帝国ホテルで結婚式をするので、余興をたのまれた。式が終り、二次会には、角川春樹さんが提携してる銀座のクラブが、休日なので、そこへぞろぞろ付いて行った。メンバーや中村雅俊さん、もちろん角川さんや梨本さんオスギさん、豪華メンバーでした。角川さんが輸入してた、クイーンエリザベルは飲み放題で、ぐでんぐでん。芸能人も何も無く、雅俊さんはトイレで寝るは。思い出します、あの日の失態。

2009年10月25日日曜日

津軽三味線組曲 (高橋竹山)


昔、寺内タケシとブルージーンズのじょんがら節は、ステージで聞いた事があった。しかし、歳を重ねて来ると、やっぱり、日本人の血が目覚めてくるのでしょうか。公会堂で本物を聞く機会がありまして、ショックを受けたのです。エレキサウンドは偽者で、食べ易くした料理だったのです。本物食ったら、あれは、何だったの?、て言う感じですかね。凄い、のひと言でした。そして、東北の旅に行ってしまう事になるのです。でも、竹山さんは、とっくに東京で暮らしていましたけど、歌謡曲の”風雪流れ旅”の舞台が見たくて旅をしたのです。私の悪い病気みたいなものです。

江差追分 (不明)


幕末に江戸の戦艦で蝦夷を目指し、自由の新天地を求めた榎本武揚や土方歳三らが、最初に着いた港。それが、江差港だった。それ以前より、この唄は存在した。以前NHKの講座番組でこの唄の歌唱指導を放送していて、見るからに地元の漁師という感じの、青坂さんという方が出演していた。それが、上手いの何の、チャンピオンであった。民謡の最高峰、江差追分、尺八と歌唱がユニゾンで掛け合い、陶酔の域に達する。アポロシアターでやったら、絶対スタンドオべーション間違い無し。本物は、判る人には分かるのです。私も江差に行きました。まさに、青坂さんに惹かれて。

2009年10月24日土曜日

チャイコフスキー 弦楽セレナーデ(栄ゾリステン)


秋といえばこの曲。聞いていて秋しか浮かばないのです。新宿御苑の洋式ガーデンで、秋の日に、ベンチでひざまくら。夕日が落ちるのを見ながら語り合った、思い出。傍のカセットデッキからこの曲が流れ、なんと、落ち着いた、人間らしい安らぎの時間なんでしょう。学生時代からクラシックには縁が無かったのですが、その娘に連れられて、渋谷のライオン、中野のクラシック、吉祥寺のコンチェルトなどに行き、じょじょに飼いならされた気がします。私の聴き方は、好きな所聴き。退屈なところは飛ばす。半端聴きなんですが、この曲は思い出付きなんです。

バッハ バイオリン パルティータ (Sarabanda)


この曲を聴いたときに、背筋に寒気が走った。けして、金物でガラスを擦ったような、気持ちの悪さでは無く、心地よい寒気だ。誰しも、そんな経験があると思うのですが、物凄い好みの女性に出逢った時のような感じです。空想したのは、霧が立ち込めるレンガ造りの古城。ときどき垣間見える湖面に写る青空。なにか、前世で見たような光景がフラッシュバックのように点滅する。目を閉じて聞いていると、頭の中が回転してくるのです。これは、なんなんでしょうか?。よく判らないのです。

2009年10月23日金曜日

潮風の吹く町 (森田由美恵)


作詞講座で、なかにし礼先生の作詩法が思い出される。それは、カメラワークの手法と言って、この曲が例題に出された。♪故郷は遠い北の果て、潮風の吹く街♪で小さな港町が映し出される。♪荒れた手をして網を編む、小さな母の肩♪で老婆の手元を写し、しだいに肩へ流す。シーンは移り、都会の女性に替わる。と言ったように作詞して行く。これは技術的なプロの技です。この歌手の方、先日、スリム体操の先生で、テレビに出演していました。人生すべての人に遍歴あり、と言う事ですか。私も、ずいぶん色んな事を経験してきました。だいぶ、軌道を外れましたがねぇ。(笑)

北信濃絶唱 (野路由紀子)


作詞家修行の一環として、もっぱら聞いたのが純歌謡と言うジャンル。聞きなれない言葉ですが、歌手志望の若者が、全国にたくさん居るのです。自分もそのひとりだった事もありました。その人達の為には、作家は量産力を着けなければならないのです。好き嫌いなく、何でも勉強だと言う事で色々聞きました。この人は、このコブシを自在に回す歌唱法が、実に心地よい。聞く人の心を癒す治療薬のようです。今時では、流行らないのでしょうが?、当時の地方歌謡ではかなりのファンを持っていたひとです。心が癒されますよ。信濃の夕景が浮かんできます。

2009年10月22日木曜日

スローなブギにしてくれ (南佳孝)


♪ウオンチュウお~れの肩を♪よく唄ったあの頃。今では、こっぱずかしくて、よう唄わんわ。あれ、なんで関西弁なんや。実は、この映画、関西の女性と観にいったんや。その時はなぁ、関西弁が移ってもうてな、そりゃもう、たまらんかったわ。飲み屋の娘で、どうしても連れて行ったってくれとたのまれて、映画観て食事して、それだけやったけど。この映画観ると、なんや関西弁が聞こえてくるんよ。あの、耳障りのいい、心地よい柔らかないいまわしが。あの娘、どうしたかなぁ。

SUMMERTIME - Janis Joplin


サマータイム、作者ガ-シュウインは驚いただろう。クラシック(一級品)音楽として作曲したものが、R&Bとして、こんなにも大勢のひとに聞かれるなんて、思いもしなかったろう。作品は自分を離れた瞬間から、命を持って一人歩きを始める、と、なかにし礼先生がおっしゃった。生まれた子供が、親の思いどおりに成らないように。この言葉は、私の人生の教訓になった。ジャニス.ジョップリンの渇いた歌唱と、正反対の潤いのあるスミ.ジョーのサマータイム。どちらも元は同じ曲です。
 スミ.ジョー   http://www.youtube.com/watch?v=qW-5wv3CiYE

2009年10月21日水曜日

さいはて慕情 (渚ゆう子)

べンチャ-ズといえば、日本の曲を作って来たが、そのヒット曲のおかげで人気の出た歌手も多い。渚ゆう子もその一人だった。京都慕情、長崎慕情、と慕情つながりでヒット。さて、べンチャーズも忙しい。当時はエレキサウンドが流行っていたから、何々風と言う事でスプートニクス風の編曲をした慕情。それは、北の最果てをイメージした、この曲である。その頃はいい歌だ、程度の感動であったが、最果てを旅してから、どうしても聞きたくなったが廃盤になっていた。youtubeは有り難い、廃盤になった曲をUPしてくれる方がいる。ひさしぶりに聞きました。

北国の青い空 (ザ・ベンチャーズ、奥村チヨ)

自分が、どうしてこんなにも北海道に憧れを持つのか、考えてみると、この曲がきっかけだったのだと思います。♪北国の空と湖♪や♪白い小舟にノバラを飾る♪、そんな映像が頭から離れ無い。橋本淳先生の絶妙な言葉絵具の使い方に、心臓をえぐられてしまったのです。頭の中の映像と、おんなじ場所を探しに旅に出ました。そして彷徨いつずけて、ある日、大雪山のふところに有る、糠平湖という湖に行き、白い朽ちたボートを見つけました。思わずここだ、と感じました。そばにはせせらぎが流れ、空は快晴。あの時、思いは完結しました。いまでもこの曲とそのビデオを楽しんでいます。

2009年10月20日火曜日

小さな日記 (岡田可愛)


これでも学生時代は山岳部の連中と、丹沢表尾根縦走や北アルプス涸沢経由上高地。いろいろ行きました。当時流行っていたこの曲は、山に行くと思い出します。山言葉と言うのがあって、女性が花を摘みに花畑へ行くと言ったら、けして、付いて行ってはいけません。な~んでか?、それはね、トイレの事だからです。男は、雉を射ちに行く、とか、大雉、小雉、空っ雉、なんて、はしたないことを。失礼しました。テントの中から、満天の星を眺めて、この曲を歌ったものです。

想い出の九十九里浜・・・Mi-Ke(ミケ)


20代の後半だったと思いますが、男ばかりの友人達と、九十九里浜に軟派サーフィンに行きました。もちろん、ボードを持っている友人も居たので、やった事も無いのに沖へ出て、えらい目にあってしまった。波が来たら、波にあわせて、両手で勢い良く漕がなければいけないらしい。いくら乗ろうとしても波の瀬が過ぎて行くばかりで、どんどんビーチから遠ざかってゆく。助けを求めて手を振っても、奴らは楽しんで手を振ってると思ってる。そこへ、ビッグウエーブが来て、浜辺に押し戻された。助かった、下手したら死んでたかも。命拾いをした、思い出の九十九里浜でした。

2009年10月19日月曜日

津軽のふるさと (塩田美奈子)


この曲は、美空ひばり歌唱、米山正夫先生の故郷の歌である。17才の頃歌手になりたいと思い、バイトをして歌謡教室へ通う計画をした。資料を調べ、米山正夫歌謡教室が浅草の旭ビルにある事を知った。さて、次はバイトですが、バイト就職大辞典、と言う本を平凡と言う歌謡雑誌で買い求めた。バイト捜しといって友達をあつめ、4人くらいで、条件のいい仕事を見つけて、会社に行くと担当者不在。第二候補の郵便局にゆくと、募集していないらしい。何軒か電話して、その、バイト就職大辞典は、詐欺デタラメだと解かった。引っかかったのだ。それで、高校生の夢は儚く散ったのだった。

イムジン河 (新生フォーク・クルセイダーズ)


5日ほど前の投稿で、”8月の濡れた砂”の中で、思い浮かんだ言葉が、悲しくて悲しくてやりきれない、と書いた。ふと、脳裏に加藤和彦氏が浮かんだからだ。この、”イムジン河”は、若い頃に作詞の勉強をしていた時、四番の歌詞を作った事が有る。もちろん、自分以外誰も知らないが、加藤氏が歌ったらこんな感じかな、と想像した事はあった。テレビを見てびっくりした。加藤氏の自殺。彼の悲痛な思いが、あの時に私の脳裏にも飛んで来たのか?。この一年、考えた事も無かった加藤氏の近況を、ふと、思い出した直後だったので驚いている。

2009年10月18日日曜日

償い (さだ まさし)


最近こんな曲が話題になっています。さだまさし繋がりで思い出しました。これが本来の歌の役割かもしれない。歌をとおして大切な事を伝える。歌の力で感動を与える。歌の不思議な魔力は、このような曲に込められているのです。字余りなんか気にしない。飾り言葉もいらない。嘘の無い心からの叫びが、人として生まれ、人として育てられた、心の真髄を打つのです。この歌を聞いて、こみ上げる感情が無いとしたら、ニヒルで刹那的な生き方を強いられて来た人でしょう。極普通の人になる難しさ、普通の人でいつずける葛藤。この曲は、それを教えてくれました。

無縁坂 (さだ まさし)


私がまだ飲み歩いていた頃、ある、地下の小さなパブスナックで、この歌を唄った。Uの字カウンターの向こう側で、溜息と嗚咽が聞こえた。東京に出てきた大学生であろうか。急に、コップの酒をあおり、「すみませんもう一度お願いします」、と言って来た。この歌が好きなら、ご自分でいかがですか、と返したら、素直に、「はい、そうします」、と言ってマスターにリクエストしました。何があったのかは知りませんが、彼は、泣きながら唄っていました。周りの客も、事情を察し文句を言う人もいないどころか、もらい泣きしてた客もいました。いい人ってけっこう居るんだな。

2009年10月17日土曜日

群青 ぐんじょう   (谷村新司)


一度目は同棲。二度目は台湾の女性。三度目のマジ恋が終わった時、この曲が世に流れていた。”連合艦隊”と言う戦艦大和をテーマにした映画の主題歌である。ふたりでよく行ったパブクラブで、付き合いを止めてからの偶然の再会。お互いに軽い会釈をして、離れた席に着いた。両方が友達連れで、みんな事実を知ってる連中なので、気まずさが走った。前からリクエストしていたこの曲が流れ、私はカラオケのマイクをにぎった。あれだけ、気持ちが入った歌はひさびさだったのを覚えている。その後、すぐに店を出て、仲間と飲み直した。あれから、あの娘には一度も逢っていない。

遠くへ行きたい (芹 洋子)


わたしの彷徨い癖は、この歌が原点のような気がします。仕事などの出張で、知らない街に行くと、裏通りを歩いたりする。誰でもがそうだと思うのですが、自分の場合、他人の生活を見るのが好きなんです。そう言うと、なにか覗き魔のように聞こえるが、そうではなくて、知らない街の人になってみたい願望です。一時でいいのです。その街の市場で買い物をしたり、共同浴場で隣の人の会話に、耳を傾けたりしたいのです。その、知らない街の風になる。うまく言えないけれど、前世で、ここに住んでいたのでは、という感覚を求めて旅をしています。何となく、解かりますか?。

2009年10月16日金曜日

スカボロー・フェア (サイモンとガーファンクル)


映画、卒業の中で、不思議な感覚を覚える挿入歌だった。もちろん、サウンド.オブ.サイレンスやミセス.ロビンソンの名曲もこの映画からヒットしてている。私がはじめてビデオデッキを購入した日に、卒業をテレビ名画劇場でオンエアーしたのだ。それから、ビデオライブラリーが始ったので相当の量の名作を所有している。流石に、VHSが2000本以上も貯まると、部屋はすごい事になってしまった。イチローの2000本安打の凄さが解かる。この部屋の狭さは卒業からはじまったのだと関心している。スカボローの市場に行こう、と言う、デイドリームのような旋律に、今でも押しボタン式の、ガチャンと音がするビデオデッキを思い出す。

ちなみに、中国語版があるので、聞きたい方は。http://www.youtube.com/watch?v=skWBsrQ9sXI

人形の家  (弘田三枝子)


自動車メーカ-の契約ドライバ-に従事していた頃、同僚で麻布のお坊ちゃまがいた。実家の近くにリベルタンと言う喫茶バーがあって、弘田三枝子さん家族がやっているらしい。たまに誘われて飲みにいった想い出があります。その当時、流行ったのがこの曲だった。お会いした事は無かったのですが、ポスターでは可愛い人でした。現在は少しいじり過ぎて不自然に変わりましたね。その同僚は、マセラッティに乗っていて、テストドライバーとレーサーを同等に考えていたみたいです。地味な仕事に嫌気がさして、結局辞めました。けっこう、彼とは遊びました。彼のおごりで。この曲、英語版もあるので、興味のある方は。 http://www.youtube.com/watch?v=esvIc6A50K8

2009年10月15日木曜日

ジョーのダイヤモンド(朱里エイコ)


朱里エイコはもう、この世にはいない。さみしい最後だったと、ネットで観た。R&Bを歌わせたら、右に出るものはいなかった。左に出る者がいる、歌謡曲の世界で勝負したから良くなかった。和田アッコのように、舎弟でもいっぱい作って、自分の世界を維持する人もいる。しかし、流行歌というように、流れ行く歌は、いつか消えて行く。そして、歌とともに歌手も忘れ去られ、世代交代してゆく。”北国行きで”で一世を風靡した彼女の死は、歌謡曲自体の宿命を写し出している。

ミスティ、トワイライト(麻倉未稀)


麻倉未稀さん。デビュー当時、こんなハイセンスで綺麗な方は、なかなかお目に掛かれない程の美人。そう思い、LPレコードを購入させて頂きました。その後”ヒーロー”など、ヒットがつずいて、順調にして居られると思っていました。そして、写真集、最近のお姿。これは、ファンにとってのおおきな裏切りです。私も人の事は言えませんが、女性は、なぜ、ある程度の年齢になると、体形が変化するのでしょう。あんなに美しかったお体が。他にも、亡くなった、朱里エイコさんにしても、ずいぶん変わりましたね。これは悪口ではありません。今でもフアンの溜息です。

2009年10月14日水曜日

榛名湖の少女(布施明)


布施明の代表曲といえば”霧の摩周湖”ですが、関東圏の人間には遠すぎて実感が無い。榛名湖は何度も訪れた事があるし、昔の歌で”湖畔の宿”の舞台でもある。北海道に行った事が無かった頃。もっぱら、湖愁を味わうのは榛名湖だった。実際の摩周湖を観た今では、たしかに素晴らしいと思うが、財力と休日のすくなかった若い頃、榛名湖で癒された時期があった。竹久夢二のゆかりの地でも有る榛名、”榛名湖の小女”と言うタイトルに、夢二の小女が重なるようでもある。

時代遅れの酒場 (加藤登紀子)


夜明けまで飲み明かす元気はもうない。三十代にはよくやった朝帰り。行きつけのスナックや、ミニクラブなんかで、閉店したあと、店長や支配人と延長戦。よく肝臓がもった物だと思う。まるで、この歌の世界観を地で言ったような感じ。閉店時にお愛想(会計)をすまし、あとは期限切れのボトルで乾杯。ギターを弾いて、歌いまくり、プロなみの歌唱力のマネージャーもいた。店の連中も、私と飲むのを楽しみにしていた。ある意味、好かれていた。こんな事がいつまで続くのか、この時間、時期がいつ終わるのか。噛みしめながら飲み明かした。そして、第二、第三の恋もしたりして、その季節は五年ほど続いた。そんな日々も突然終わった。この歌を聞いたから。

2009年10月13日火曜日

八月の濡れた砂 (石川セリ)


井上陽水といえば、必ず思い浮かぶのが奥方の石川セリさん。”八月の濡れた砂”もよく聞いた曲であるが、今時になって聞くと辛いものがある。青春の真っ只中で聞いたこの曲は、そのものストレートで染み込んできたが、青春が過ぎ、白秋に近ずいて来た今、悲しくて悲しくてやりきれない。youtubeで最近の石川セリさんが観られるが、ずいぶん変わられて、オバサマになっていた。て言うか、自分がけっこうな、阿吽倶流(アンクル)に成ったということだ。若い頃、結構遊んだつもりなのに、もういいか、つて思えない。これが、人間の煩悩なのかも。

結詞 むすびことば  (井上陽水)


よく晴れた日に、前橋あたりをドライブしていた。突然、FMから流れ出した曲に、翻弄された。陽水の曲は初期の”こころ模様”から”リバーサイド”まで、弾き語りでもやってたし、よく知ってる方だった。何も考えず、ボーっとドライブしていたら、CD探しの旅になった。この歌の中身。今の自分の環境、心情を貫かれた感じだ。二三軒はしごして、やっと見つけたCDを早速チレンジャーに挿入。何度も聞いた帰り道。いちど火が着くと止まらない性格。直したいなぁ。

2009年10月12日月曜日

ガットギターメドレー (ベンチャーズ)


私がギターを始めたきっかけは、ベンチャーズです。友人から、古いテスコのエレキを、安く譲ってもらい”パイプライン”のポンパポンパの、繰り返しから入りました。一般では、”禁じられた遊び”なんでしょうが。最近、このビデオに出てくる、ジェリーマギーの弾いている、サウンドホールに彫刻の入ったギター。その音色に興味深々です。どこのメーカーの何と言うギターなんでしょう。彼のテクも素晴らしいのでしょうが、ギターも最高です。ぜひとも知りたいのです。

プロジェクトX 地上の星 【中島みゆき】


試験運転手は影武者、表に出る事は無い。NHKのプロジェクトXと言う番組で、メカニック(技術屋)が脚光を浴びたが、その時、三交代体勢で車を転がした人間もいたのだ。夜中はきつい、睡魔との戦いだ。走行中ミントを舐めて、唾を瞼になすり着け、眠気を止める。とにかく結果を出さなければ、と言う思いで団結していた。あの番組で、メカニックが陽の目を見た事は、ドライバーにとっても誇りに思う。その後偶然、テスト車を運んでいた、運送屋さんに逢う事があった。そうか、彼らも影の、縁の下を支えていたんだと、いまさらながら、プロジェクトの大きさを知った。

2009年10月11日日曜日

The Beatles - Live In Japan 1966 2_4


この時、私は中学生。姉の汗止めVAN(ライオン製薬)の懸賞で、入場券のB賞にみごと当選。一人で、日本武道館へ行ったのです。ステージの正面、右二階に、その席はあった。前後、左右とも若い女性だが、当時はまだ少年、年上の女性には興味はなかった。それよりも。歓声がうるさくって、振っている手で頭は叩かれるは、ぶっかって来るはで、散々な目にあった。あの会場に居た事は、青春の記念碑である、とともに、自分が音楽と言う物に目覚めた、出発点のような気がする。歌謡曲くらいは口ずさんだ事はあるが、ギターやドラムなんかの、楽器に興味を覚えたのもこの頃だった。

風が落とした涙 (小川ローザ)


レーシングドライバーの福沢幸雄の事故死から四年後。川合稔ドライバーが鈴鹿サーキットで事故死。人気タレントの小川ローザと結婚半年での出来事だった。事故の車がトヨタ7、恋人が小川、と因縁めいたものを感じる。私は福沢幸雄氏の事故から四年目、メーカーのテストドライバーとして、夜勤仕事で鈴鹿サーキットにいた。その頃の鈴鹿は、夜間照明の水銀灯が集中ではなく、照明の足元スイッチを入れないと点灯しなかった。川合が事故った、ヘアピン手前の110Rで車を止め、夕暮れの草むらへ走り、照明を点ける作業を、ジャンケンで決めたのを覚えている。負けたけど。

2009年10月10日土曜日

モルダウ (スメタナ)


クラシックはこのブログのコンセプトにはどうか、と悩んだが、youtuveで時間制限があるため、いい所取りで結構UPしている。本当は、一滴の水が滴るところから始まるのだが、水が集まって大河になる処から、だけである。優雅なモルダウ川の流れが、スロバキアを出るまでの物語である。叙情詩を音で表現した、心の映像詩ともいえる。これからは、人生を変えた交響曲なんかもとりあげたい。

セントドミンゴ (クスコ)


クスコといえばペルーの都市である。それをグループ名にし、シンセサイザーを駆使した、環境芸術家集団。BGMの域を越えず、陶酔のぎりぎりで収める。なにか不思議な世界観をかもしだす存在だ。このアルバムは”バージンアイランド”だが、他にも”デザートアイランド”など大自然をテーマにした作品が多い。曲と曲の間には、波音が入っていたりして、なにか作業をしている時、とても捗る気がする。都会の渋滞時には特効薬だ。自分は車に常備している。

初恋 (村下孝蔵)


中一の時、後の席の女の子に消しゴムを投げたり、わざと、いじわるしたり。ある日、音楽室で当番の楽器掃除をしていたら、その女の子と先生が、二人きりで話しをしていた、内容に驚いた。転校すると言うのだ。まさか、自分のせいでは、と思いつつ、よくよく聞けば、家の都合で岐阜のほうに越すらしい。心の中に隙間風が吹いた。あれがもしかして?。初恋を歌う村下孝蔵は、やはり若くして亡くなった。大塚博堂と同じ脳内出血が死因だった。この曲は、自分にも起こった初恋の記録と合致する。

2009年10月9日金曜日

めぐり逢い紡いで (大塚博堂)カバー


弾き語りを趣味にしていた頃。この曲を、自分なりのアレンジで、よく唄っていた。アレンジなんて大袈裟なものではないが、ギター一本でイントロからエンディングまで、何となくカッコをつける、ただそれだけ。布施明のカバーだと声が辛い。博堂さんは声を張らないので、まさに、弾き語りだ。やっと通しで出来るようになった時、彼の訃報を聞いた。それからこの曲を封印してしまった。あの若さで、召される事があるんだ。なんか、人事ではなく、自分にも起こりうるかもしれない現実として、命の事を、考えるようになった。

2009年10月8日木曜日

再会 (金子由香利)


いまはもう無くなってしまった、銀座の巴里、銀巴里。その、ちいさなステージで、こんなにも普通の日常会話が、歌に発展してゆく様に仰天した。私が尊敬する’なかにし礼’先生もシャンソンの訳詞をしていたと言う。作詞の勉強がきっかけで、アズナブールやピアフを聞くようになったが、和製シャンソンでパンチを食らったのは、彼女がさいしょだ。この、語りかけるような、囁きかけるような歌唱に、本物の、大人の女性ならではの、魅力を感じてしまった。そして何故、シャンソンには、晩秋が似合うのだろう?。不思議だ。

涙の季節 (ピンキー&キラーズ)


この曲が流行った頃、けっこうタンゴにはまっていた。”真珠とり”と言うタンゴの旋律に失恋のストーリーを重ね、作られたような曲である。作り手は意識していなくても出来てしまう。その頃に、作曲家協会の人と作品を創った事がある。曲先だったので何度も曲を聞き込んで、イメージを創造するのだが、サビが”白鳥の湖”にしか聞こえなかった。作曲家に疑問を投げたら、じぶんも気になっていたらしい。本人いわく、メインテーマから展開すると、これがベストらしい。チャイコが先に創っただけで、真似をしたつもりはないらしい。言葉と音符の数を比較して、なんとなく解かる気がする。

2009年10月7日水曜日

この素晴らしき世界 (ルイアームストロング)


ルイアームストロング。直訳すると、強腕のルイでしょうか。とっくの昔のジャズトランペッターですが、すごいだみ声なのに、味がある。名前が長いので、通称サッチモとよばれていた。数々の名曲を演奏して唄っていたが、エコロジーの時代に、この曲がTVCMなどで、リサイクルされている。資源も音楽も再生の心が大切だ。ウイアーザワールドのように、人にやさしい事も必要だが、世界、地球に、もっとやさしくならないと、手遅れになるかも知れない。サッチモのやさしいだみ声が、訴えている。

青い影 (プロコルハルム)

20代の頃、北アルプスの上高地が好きだった。夜中に中央高速を飛ばして、朝方に着いた。釜トンネルを抜けて、帝国ホテルを過ぎ、終点のバスターミナルで、明るくなるまで仮眠。こんな山奥でラジオが聞こえてる。夜間運転の疲労で、眠気眼でうたた寝状態。聞こえてきたのが、この曲だった。それからと言うもの、この曲を聞くと秋の上高地が、頭の中に浮かんでくる。精神医学的に言うと、刷り込みと言うやつで、条件反射である。目が覚めた時には、白いクラウンハードトップが、唐松の黄色い落葉を、どっさり被っていた。

2009年10月6日火曜日

神々の詩(姫神 海流バージョン)


日本の音楽に、変革を求めていた人は他にもいた。喜多郎、宗次郎、そして姫神。山奥にスタジオを造り、そこにこもって仙人のように曲作り。扱う楽器は、科学技術の最先端のシンセサイザー。なによりも、森の精霊を動員したかと想わせるような、無数の女性の声。聞いて行くうちにトランス状態になり、カルト宗教の儀式にでも引きずり出されたような心境だ。怖いような衝動を覚えるのは自分だけだろうか?。昔の姫神は軽やかで、モダニズムのある軽音楽的要素があった。現在は完成形の催眠音樂の様なきがする。絶賛を超えた、恐怖さえ感じる。http://www.youtube.com/watch?v=QPaeRCEnP0A

"NEW ASIA" (東儀秀樹)


亜細亜の音楽と言うからには、日本はどうなんだろう、やはり、古来の雅楽がこんなにメジャーになったのは、この人の功績だろうと思う。堅苦しい仕来たりから、本来の音を楽しむ音楽へと開放し、庶民も楽しめる芸術に、いい意味で引き下げた。ひちりきは神の声を感じさせる。笙の音は天から差し込む光を想わせる。日本人の条件反射なんだろうか?。クラシックでも、オーボェと言う楽器の音色は、天空からの光とか天使の声と言われている。双方の楽器は高音の木管リード楽器である。

2009年10月5日月曜日

古筝 伍芳 Wu Fang (ウー・ファン)


中国の音楽を聞くようになり、古筝の魅力にも引き込まれました。日本の琴より短めで、流し引きが多い。その音色は、日本でいう極楽、楽園。中国で言う桃源郷。英語圏の田園、パラダイス、アルカディア、のような、心の休まる場所。世界中の人の、共通した安らぎの根源。大げさかもしれないが、伍芳(ウー・ファン)の奏でる古筝には、そんな魅力がある。もしも死んで天国へ行ったら、こんな音楽が流れてるんだろうな。それは判らないが、そんな気がします。

燕になりたい (チェン・ミン)陳敏


若い頃には、アジアン音楽などぜんぜん興味も無かったし、聞きもしなかった。胡弓と言う楽器も良く知らず、音の低い二胡という種類があるのも知らなかった。この曲をFM放送で聞き、車の運転中であったが、背筋に電流が流れた。その足でCDショップに駆け込んで、この曲を買い求めたのを覚えている。これが、中国の音楽。知らなかったとはいえ、恥ずかしい。いい曲は何でも聴く、何でも屋の自分が、世界の広さを感じた。その後。女子十二樂坊などもメジャーになった。

2009年10月4日日曜日

悲しき街角(Runaway ) ザ・ベンチャーズ


新宿のスナックから始まった。なにが、と言うとバンドである。飲んで騒いでいるうちに、装飾のギターを持ち出だすと、箸でドラムをたたくやつ、歌うやつ。話を聞けば、みんなアマバン経験者。常連は映画関連の仕事してる連中。トントン拍子ですぐ結成。新橋ヘラルド映画の試写室で音合わせ。六本木ピップスでパーティー。数年やりましたが、そのうちみんな、昇進したり、偉くなると、忙しくなって、解散しました。SSBバンドは第二の青春でした。我らの代表曲Runawayです。

レッドリバーロック(ジョニ-&ハリケーンズ)


ミドルスクールの頃、アマチュア無線にはまり、短波7MHzを聞いていた。某局のオーナーが、定時にこの曲を流してDJまがいの番組をやっていた。それに憧れて、部活は技術部に転入。初級アマチュア無線技師の試験を受けて、いざ。気持ちはそこまで。機材、設備に金が掛かるのです。当時、東京12CHが開局して、ハローCQと言う番組を放送したり、人気がありました。現在はインターネットが普及して、世界中と会話ができます。でも、当時はCQCQがステータスだったのです。こんな時代でも、JA1OOOさんは。やってるのかなぁ?。短波7MHzはどうなったんでしょう?。

2009年10月3日土曜日

ジェットストリーム(ミスターロンリー)城達也


子守唄のように、ふたりを包んでくれたこの曲。シングルベットに幸せな絶頂期のふたり。枕元から流れるこの曲は、将来の夢へと誘う。いつか、余裕が出来たら、スイスへ旅しよう、と約束をしました。ミスターロンリーになったその後、この曲を聞くと思い出す温もり。寝返りで目を覚ます習慣も、暫くすると慣れてきて、普通になったあの頃。突然訪れた破局は嵐のようだった。次の恋をするまでの侘しさは、言葉に出来ないものだった。その後、何度か渡航した時に、機内でこれを聞くと、心が締め付けられた。おそらく、この先も、スイスに行くことはないだろう。

旅の終わりに (冠二郎)

テレビドラマの挿入歌である。海峡物語という作品であるが、役者の方は、あまり歌がお上手でないのか、吹き替えである。歌手を、いかに売り出してゆくか。そんなドラマなので、後援会の経験者としては、毎週見ていたものだ。そのうち、この曲が好きになり、カラオケに行く時は十八番になった。これを作詞したのが、立原岬(五木寛之)、あの作家である。青春の門などは有名であるが、歌手の五木ひろし、はここからのスライドである。この曲の誕生秘話をUPしている方がいるので、興味のある人は、こちら。http://www.youtube.com/watch?v=BLVVJ32KFW8

2009年10月2日金曜日

まりもの歌 (水森かおり)


阿寒湖の遊覧船で流れるこの曲。土産物やのCDでも売っている。摩周湖には”霧の摩周湖”、阿寒湖には”マリ藻の唄”、といわれるくらい有名である。特に、芹 洋子さんの透明感のあるカバーが絶品である。まるで湖面から、いつも毬藻を眺めているような気分になる。YOUTUBEの承認が取れないので、水森かおりさんでどうぞ。九条万里子さんはこちら。
  http://www.youtube.com/watch?v=ycep_L_SWv0

赤ちょうちん (かぐや姫)


あの頃二人のアパートは。そんな歌い出しのこの曲は、本当にあの頃を思い出す。君はキックボクサーの婚約者がいて、暴力を受けるので逃げたいと告白。二人で逃げたのは、高円寺のコミューン呼ばれる安アパート。一年に半年だけ働くN君や、キャンバスが買えなくてベニヤに絵を書くH君、バカボン漫画の御弟子さんや、同棲先輩のKさん。みんなで赤提灯で飲みましたね。あそこに居たのは、たった数ヶ月でしたが、私の人生の思い出ランキングでは、上位の方です。その先はまたの機会に。

2009年10月1日木曜日

めぐり逢う日に (水沢有美)


この女性、デビュー当時は白いセーラー服で、潤んだ瞳にやられてしまったのです。西郷輝彦さんとデュエット曲”兄妹の星”と言う曲をリリース。雑誌の写真を見て火花が飛んだ。ファンクラブに入会するや、トントンと副会長にまでなってしまった。テレビ局やレコード会社に出入りするようになり、ファンとの集いで、大形バス二台を手配して石和へ葡萄狩りを決行。ハイスクールの身でなにをやっちょる。その後、就活の為お役御免いたしました。この曲はその後風の噂で知りました。”兄妹の星”は承認が取れませんので、直接どうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=MPeVs68qbww

チャペルに続く白い道 (西郷輝彦)


この曲が流れていた頃、ハイスクールのど真ん中だった。青春歌謡花盛りで、学園ソングや初恋ソングが氾濫していた。クラウンレコードの月刊誌を読んでいたら、作詞投稿コーナーがあり、それに応募したら佳作入選した。その時、本に自分の名前が載ったのが嬉しかった。想い出の本の特集にこの曲が紹介されていたので、記念の曲になった。それから、西郷さんのファンになったのだ。レコードも買ったし、平凡、明星も買って、歌も覚えました。