2011年10月31日月曜日

サントロペのお嬢さん (ビビグラ)

大笑い、といえばこの人を知っていますか?。笑いの帝王といえばチャップリンですが、この人は別格です。とにかく面白くてお腹がよじれます。チャップリンは何処か哀愁が漂いますが、この人のは爆笑そのものです。わたしが青年の頃、映画館が近所にたくさんあって、ほとんどが3本立て50円くらいでした。昼間の半分は映画館で暇つぶしできたし、喫茶店でも同じくらいの料金で、そんなにいると昆布茶が出てきます。ちなみに喫茶店の昆布茶は早く帰れという、暗黙のサインでした。この人の大混戦シリーズは最高でしたね。

2011年10月28日金曜日

男はつらいよ 名場面

とにかく大笑い出来て、ストレス発散には最高の映画でした。有名な女優さんでマドンナに成らなかった人は無いでしょう。それに、後半では甥っ子の彼女のことまでかかわって、ほんとうにおかしな寅さんでした。あれこれ書いてもしかたがないので、まずはご鑑賞あれ。

2011年10月27日木曜日

男はつらいよ (渥美清)

今週紹介した女優さんたちが、すべてかかわった映画と言えば”男はつらいよ”です。この映画は、覚えているだけで青年時代から、年二回程度で興行していると思います。いつも楽しみで,年に何度も無い大笑いの時間だったのです。僻みっぽくて惚れ易い、いつまでたっても大人になれない寅さんが、わが身に照らして大人気ない自分を振り返ったりする、いい機会であったのかも知れない。俳優の渥美さんは、決してそう言った性格ではないのでしょうが、その人が本当に存在するかのような、迫真の演技が笑いを生み出し、人の心を包んでくれるのでしょう。ほんとうにいい役者さんでした。

2011年10月26日水曜日

下町の太陽 (倍賞千恵子)

そのほかに私と縁がないわけではない女優さんがいます。むかし近所に住んでいて何度か見かけた事があります。まさにあの場所は下町で、この歌のような場所でした。おそらく、山田洋次監督は、この歌を聞いて寅さんの妹に抜擢したのではないでしょうか。倍賞さんはSKD出身でしたが、SKDとは松竹国際ダンサーズでしたか?うろおぼえです。歌も上手く踊りも出来て演技も出来る大女優ですね。

2011年10月25日火曜日

いつでも夢を (橋幸夫 吉永小百合)

世に言うサユリストという種類のファン層です。いまの60代後半のほとんどがこれにあたります。前にも書きましたが、熱狂的ではありませんが、一時期このひとに憧れて未だにファンだという人達です。最近でもテレビコマーシャルや鶴瓶さんなんかと映画を撮りまして、絶賛されています。幾つになっても綺麗で、本当に大女優です。

2011年10月24日月曜日

夕陽の丘 (石原裕次郎 浅丘ルリ子)

日本の大女優と言えばいろいろいますが、私の兄貴の時代にはこの人でしたね。日活の中でも、清純派と大人派がいまして、この浅丘さんは大人派の一番です。小林旭さんや石原裕次郎さんの相手役として活躍していましたが、私たちガキにはその魅力はまだわかりませんでした。清純派のトップ、吉永小百合さんのことも年上のお姉さん位しかわかりませんでした。

2011年10月21日金曜日

私のアイドル (松坂慶子)

今回は音楽ではありませんが、私は松坂さんのファンでした。すこし年上の世代では、吉永小百合ファンが多く、サユリストなどと呼ばれていましたが、私たちの年代では松坂さんでした。熱烈なファンではなく、誰がいいかと言われれば当然彼女を選ぶ感じです。あの舌足らずで、喉が乾いているような、フランス訛りのようなしゃべり方も魅了です。

2011年10月20日木曜日

愛の水中花  (松坂慶子)

水中花といえばこれ、テレビのドラマの劇中歌として大ヒットしました。大女優の松坂慶子さんがレオタード姿で唄う、これがヒットの大要因でしょうか。先日NHKの連ドラで、50代の貸し本屋の奥さんを演じていましたが、彼女はいい歳を取っていましたね。幾つになってもいい女優さんです、おばあさんになってもファンです。

2011年10月19日水曜日

水中花 (井上忠夫)

ブルコメの井上大輔さんも、自殺と言う天才の死に方をしましたが、この歌は好きでしたね。ポップスなのか演歌なのか、ふしぎな雰囲気の曲でした。でも、本当に惜しい人を亡くしました。

2011年10月18日火曜日

本牧メルヘン (鹿内孝)

本牧というと私的にはこの曲がすきでした。歌は鹿内孝さんという人ですが、むかし人気があった人で、ブルーコメッツが人気が出る前は、この人のバックバンドをしていた位の人です。その関係もあって、ブルコメの井上忠夫さんが曲を提供したとの事です。この曲のイメージも、本牧はリトルアメリカンですね。

2011年10月17日月曜日

再び、本牧ブルース~長い髪の少女 (ザ・ゴールデン・カップス)

柳ジョージの死にこの話はしなければならないだろう。このゴールデン,カップスというグループは、横浜の本牧に同名のクラブがあり、そこの専属バンドでありました。後半には柳も参加していましたが、時代はGSブームの終わりを告げ、彼らも解散しました。キーボードのミッキー吉野は”ゴダイゴを結成、柳はみずからのバンド、レイニーウッドを率いて再デビューして活躍していました。この曲は以前に投稿しましたが、柳の追悼として再び投稿しました。

2011年10月15日土曜日

FENCEの向こうのアメリカ (柳ジョージ&レイニーウッド)

”追悼”--- 柳ジョージが亡くなった、特別な心境である。ほぼ同年代で、デビュー当時から気になって聴いていました。一時は湘南の海の家の居酒屋で、彼の風貌が私と似ており、ジョージファンの女の娘から身代わり交際を申し込まれたりして、モテキを過ごしたのも彼のおかげである。特に親友のMKとは気が合い、よく本牧通いしたものでした。あの頃からここではガソリンスタンドはセルフで、それがカッコウよかったのです。スタンドにはノータックスと書いてありましたが、米軍の証明書が無いので通常料金でしたがね。とにかく当時の和製アメリカンの訃報であります。

2011年10月14日金曜日

花のサンフランシスコ (スコット・マッケンジー)

サンフランシスコといえば、日本語で書くと桑港だったですかね。私が中学生の頃。クラスの仲間はみんな洋楽狂いで、この手の曲をよく聴いていました。親友のK君は、深夜番組のDJに憧れて、将来は文化放送に入社して、みのもんた、みたいに成るのだと言っていました。高校も一緒だった彼は、卒業すると製薬会社に入社して、営業マンとして働き、そのうち音信普通となり、今は何をしてるやら?。夢は叶わず、彼の好きだったこの曲を聴くとそのことを思い出します。

2011年10月13日木曜日

カリフォルニアの青い空 (アルバート・ハモンド)

カリフォルニアと言えば一番に来るであろうホテルCFですが、以前に紹介しているので検索バーで移動していただき、今回はCFの青い空でいきます。青空を音で表現した曲は、幾つか思い浮かべるとアルフレッド、ハウゼの碧空とかベンチャーズの北国の青い空などが浮かびます。この曲たちも以前に取り上げています。今回のCFの青い空は、それらとは違いメジャー進行で明るいのです。青空の二面性を紐解くと、どこまても引き込まれる神秘性と、何処までも陽気な精神的快楽です。とにかく健全な人間で青空の嫌いな人はいないと思います。

2011年10月12日水曜日

夢のカリフォルニア (ママス&パパス )

アメリカン.ドリームとは少し違うかも知れないが、近い感じもあるこの曲は、わたしの多感な青春期にかなりの感動を与えてくれた。最初に12弦の生ギターで導入部が響き、コーラスで歌がはじまり、怒涛のように進行してゆく。あの盛り上げ方はかなり熟練した達人たちだ。その名もママ達&パパ達だから熟練はあたりまえです。なにかこの歌が流れると、どんな夢も叶うような気がしてきます。あの頃の日本もアメリカも希望に燃えていました。

2011年10月11日火曜日

ビーナス (ショッキング、ブルー)

"恋よ×3”の間奏を聴くと何故かこの曲に行き当たる。どこか連想してしまう要素があるのでしょう。そしてこのグループ名のショッキングと言う言葉が、いつしか独り歩きしはじめ、ショッキングカラー成るものが流行したのです。街には度派手な色のファッションが氾濫し、眼がチカチカして大変でした。なかでもショッキングピンクというのは、かなり興奮いたしましたし、ショッキンググリーンは、現代でも交通指導員のブレーカーなどで活躍しています。

2011年10月7日金曜日

恋よ恋よ恋よ (ザ・タックスマン)

このバンドのおかげでタックスが税金だという事を知りました。この人たちは税務署員ではありませんが、深夜放送でヒットしましたね。♪俺には何も無い、お金も無いけれど♪、ですから税金は払えません、と言う歌ではありません。深夜遅くなるとラジオからこの曲が聞こえてくると、ああ、夜中だな~と実感するのです。

2011年10月6日木曜日

若者たち (ザ・ブロードサイド・フォー)

テレビの白黒放送が当たり前の時代に、すごい人気の番組がありました。親の無い家族でそれぞれががんばって、生きている様を描いたストーリーだったと記憶していますが、その番組の主題歌がこの曲でした。うろ覚えですが”北の国から”の黒板五郎さん役の田中邦衛サンが出演していたと思います。我々の昭和の生活をそのまま、いい意味で貧乏ったらしく展開していました。この歌のボーカルには、たしか黒澤明監督の息子さんが参加していたようです。今でもたまに歌われて居ますが、今の時代には嘘っぽい歌になりました。

2011年10月5日水曜日

白いサンゴ礁  (ズー・ニー・ヴー)

いろいろなバンド天国だった時代に、真面目な恋歌を歌ったグループもありました。でも、未だにバンド名の意味が不明です、ズー・ニー・ヴーとは何でしょう、ブーフーウーという豚が主人公の漫画がありましたが、ズー・ニー・ヴーは解りません。でも歌の方はさわやかで、南の島で恋をする二人の風景が見えてきます。そして、この曲の作詞家は阿久悠さんで、会心の出世作だったんです。ながいあいだヒットしていた記憶がありますが、次回作がイマイチのようで、いつの間にか萎みました。はじめがでかすぎたようです。

2011年10月4日火曜日

海は恋してる (ザ、リガニーズ)

おとぼけソングの代表のなかには、名前までふざけたグループがいました。私が高校生くらいで深夜放送を聞いていた頃ですから、40年以上前になります。ザ、リガニーズというグループ名なんですが、ザ、ザリガニとかザ、ロブスターならわかりますが、すべてでザリガニ達というなまえです、完全に駄洒落ーズです。歌の内容もあほっぽい内容で、海も恋するのかな?とか、馬鹿馬鹿しいネタでございまして、はい。こんな歌が流行ったのも平和だった証拠でしょうね。

2011年10月3日月曜日

ケメ子の歌 (ザ・ダーツ)

われわれの年代でケメといえば、やっぱりケメ子の歌だと思います。ほんとに平和を絵に描いたようなふざけた歌で、フォークだか歌謡曲だか訳の解らないジャンルのバンドが多く出て来た時代でした。お手々つないでハイキング、大きなお結び10個持ち、ケメ子が8つに僕2つ、何てふざけた歌詞なのにヒットしたのです。この時代はグループが大量にデビューしては消えてゆきました、一発屋ではなくても2~3曲で消えたグループも多かったのでした。いわば大学生の小使い稼ぎのようなものがほとんどでした。