2011年2月28日月曜日

あの丘越えて (美空ひばり)


3人娘のもう一人は、勿論、美空ひばりさんですが、この歌は、昔から不思議に思っていたのです。とにかく、私は一人、と言う歌詞が多くて他の人は出てきません。♪私も一人ただ一人、青の背中で目を覚ます♪と言うところは、昔は犬はポチで猫はタマという名前があたり前で、馬は青が有名だったので青としたのでしょう。それは良いのですが、なぜ少女が馬の背中で目を覚ますのか?、そして、面倒を見る人はいないのか?、よく馬から落ちなかった?。いろいろ考えてしまう内容です。ん~、余計なお世話か、それにしても何故?。

2011年2月27日日曜日

酒場にて (江利チエミ)


江利チエミさんの歌で忘れられない曲があります。この曲を聞くまでは、けっこう孤独が好きで、子供の頃は布団に入るのが大好きで、頭から布団に包まり胎児のような格好をすると落ち着きました。40代か50代になると、独りぼっちと狭い場所が最大の恐怖になりました。ある日夢を見ました、誰も居ない真っ白な狭い部屋で、大きな声で呼んでも誰も来ない。その事がすごく恐くなり、ひとつの精神疾患のようです。だからこの曲はすごく恐い歌になりました。人はひとりで死んで行くのですが、それがもの凄く恐いのです。

2011年2月24日木曜日

テネシーワルツ (江利チエミ)


雪村いずみさんと言えば初代3人娘でしたね。美空ひばりさんと江利チエミさんで、当時は結構洋番の唄なんか唄ってました。江利チエミさんの定番は、このテネシーワルツでしたが、現代だと綾戸智恵さんが唄って定番になっていますね。図らずも、お二人とも智恵さんなんですね、不思議だな。アメリカを代表する、もっともアメリカらしいフレーズで、イーグルスのサウンドと、どこか共通する雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。旧き良きアメリカを感じさせるこのサウンドが、戦後の日本に流れていたのです。おかげで、アメリカやその他の外国が近くなったような昭和でした。

2011年2月23日水曜日

スワニー (雪村いずみ)


雪と創価学会で思い出しました。むかしジャニーズのリーダーである真家さんの家に遊びに行った時、電話が鳴っていたので、手が離せないので出てくれと頼まれたので電話に出ると、こんにちわトン子です、これから行きますのでよろしく、と言われ、一応伝えたのですが、何の事やら解らず真家さんに聞きました。ああ、トン子さんは雪村いずみさんだよ、メンバーの飯野おさみの奥さんだよ、と言う事でした。これから創価学会の会合があり、近所で雪村さんの妹の朝比奈愛子さんの家に集るらしいのだ。もちろん私も連れてゆかれました、入信はしませんでしたが、終ってからみんなでマージャンをしました。あれは確か神宮前だったかな。

2011年2月22日火曜日

雪は降る (サルバトーレ、アダモ)


この曲の思い出は,ある演奏会での事です。友人である女性のジャズ歌手のかたが、この歌を唄うのだけどギター演奏してくれないかと依頼された事です。この会は、実は創価学会の支部での文化交流という会だったのですが、わたしは宗教とは無縁の人間で、場違いな感じでした。練習したのに、いざ本番になると、飲み屋の弾き語りとは違い、一心に集る視線にすっかり上がってしまい、小節を見失ってしまい歌手の彼女が譜面を指示してくれて、なんとか無難に終りました。さすがにプロですね、歌っていても冷静でした。彼女、今頃どうしているかな?。

2011年2月21日月曜日

雪の降る街を (ボニージャックス)


まさにこんな光景の雪の日が、一体どれだけ私の上にふったのだろう。”私の上に降る雪は”そんな詩を残した中原中也も、雪と人生を重ねていたようですね。病で寝込んでいると、人間とは気が弱くなるものですね。もしこのまま死んでしまったら、とか、眠りから覚めなかったら、とか、ろくな事を考えません。去年亡くなった母の最期のことばに、わたしはどうなるんだろう、まだ死にたくないよ、と泣いていました。88年生きて来て、それでも生きていたいのが本音でしょうか。まだやりたい事があるうちは、生きる努力をするのが人間なんでしょうか?。答えは死んでも出ないのでしょうか。

2011年2月20日日曜日

復活

ここ何年も、こんなシツコイ風邪に罹ったのは久しぶりです。抗生物質も効かないひどい風邪でしたが、ようやく普段の生活に戻る事が出来ました。休んでいる間に雪の日がありましたね。そこで、復活は雪からにしましょう。

2011年2月13日日曜日

風邪で高熱が出ています

高熱が出て咳がひどいので、医者の治療を受けました。抗生物質を呑んだら何もやる気が起きません。しばらくお休みです。

2011年2月10日木曜日

虹色の湖 (中村晃子)


今日は風邪をひいて体温が39,5度ある、朦朧としてつらい。良くなるまでお休みします。

2011年2月9日水曜日

行けレインボーマン (谷山紀章)


七色と言えば虹ですが、このキャラクターも七つに変身するのです。よく、ラッキーセブンとか言いますが、このセブンとは虹から来ているのではないでしょうか。七つの姿に変身する主人公が大活躍する、子供だましな番組のようですが、この歌の内容は決して子供だましではありません。♪インドの山奥で修行してダイバダッタの~♪この内容、聞いたことありませんか。大人ならわかる仏教の話です。ある一説によると、あのオーム教の浅原教祖も子供の頃に観ていたと言う噂がある、不思議な中身の物語でした。

2011年2月8日火曜日

七色仮面 (キング小鳩会)


テレビでは子供のヒーローだった仮面シリーズがたけなわで、この番組がトップだった気がします。今の縁日の出店では、セルロイドのお面というのは売っているんでしょうか。当時はこのお面が一番売れていました。駄菓子屋の店先でもあったように記憶していますが、とにかく人気があり、童子からオジサンへとヒーローが変ったのでした。歌の中でも♪七つの顔のオジサンの本との顔はどれでしょう♪、と言った具合でオジサンの時代が来たのです。阿吽倶流(アンクル)としてはオジサンが出てくると嬉しいのです。

2011年2月7日月曜日

風雲黒潮丸(映画の主題歌)


これは映画館で観たのだと思いますが、いまでも憶えているのが歌の中の一節です。♪ルソン、アンナン、カンボジア、遥かオランダ、エスパニア♪。色んな国の名前が出てきますが、カンボジアやオランダは判るのですが他のは何処なんでしょう。子供の頃から口ずさんで何十年、いまだにアンナンが判りません。安南なんでしょうか。たかが歌の歌詞なんで、特別に調べようともせずにこの歳まで来ましたが、今は便利ですよねインターネットで検索すればいい。昔はやった百科事典も売れなくなったと聞きます。今日ネットで調べてみましょう。

2011年2月4日金曜日

紅孔雀の歌 (井口小夜子)


こんな映画もありました、紅孔雀とは何ぞやと言うことですがよう解らん。とにかく長編で、青い鳥のように幸福のシンボルみたいなものですか?。その鳥を追いかけていろいろある、と言う物語なのですが、時代劇のようでそうでもなく、なんか不思議なストーリーでしたがよく覚えていません。覚えているのは、中に葦船とかチチカカ湖という名前が出て来て、わたしは子供だったので、チチカカは父母の事だとおもっていました。今でも不思議な物語でして、こんど機会があったら調べたみたいと思っています。でも、此れは恐らく海外の民話か何かをアレンジしたもので、それはペルーではないでしょうか。ペルー人の子孫は日本人だと言う説があるからです。

2011年2月3日木曜日

風小僧 (ポリドール)


風小僧なんて、一体どう言うタイトルなんだろう。童子が今度は小僧ですよ、アンビリーバブルですね。だけど、その当時はそんなこと関係なく、ただ夢中でテレビを見ていました。キッドや童子がヒーローだから小僧まで使うとは、あきれた時代でした。この番組の主役は、いま調べたらメグロユウキと書いてありました。と言うことは、近衛ジュウシロウの御曹司、と言うより松方ヒロキさんの弟君だったのでしょうか。全然記憶にありません。憶えているのは、♪ひゅーひゅー、ひゅーひゅー、風を呼ぶんだ正義の風を~~~♪と言うフレーズです。ガキの頃に聞いた歌が、頭の隅にこびりついていたのですな。人の記憶には今更ながら感心してしまいます。

2011年2月2日水曜日

白馬童子 (コロンビア少年合唱団)


童子といえば子供の事ですが、当時は正義の味方の事だと思っていました。英語でも何とかキッドなんて同じですよね。この映画はヒットして、テレビでもシリーズで放映されました。主演の山城新伍さんはこれがデビュー作だったと思いますが、その山城さんも亡くなられて、時代の流れを感じずには居れません。子供の頃に遊んだチャンバラごっこを、今でも覚えている記憶を、凄いとしか言い様がありません。ゲームなんて無い時代、将棋とトランプに飽きた子供達は、空き地で竹の棒を振り回しチャンバラするしか無かったんです。

2011年2月1日火曜日

笛吹童子 (上高田少年合唱団)


ゴッコ遊びと言えばチャンバラが主流で、その頃の楽しみと言えば近所の映画館でした。弁天座とか万歳館という名前の、小さな映画館がいくつもあって、記憶では150円くらいで3本立が見られた時代です。でも、私たちは子供なので小使いが少ないので、親に連れられて行く程度でした。一日10円の小使いではいけませんよね。でも、見たいのは笛吹童子や鞍馬天狗はすこし古くて、テレビが家に来るまでの娯楽のトップでしたね。ヒーローがテレビに出る前のゴッコ遊びは映画の影響がつよく、時代劇が多かったようです。