2010年8月31日火曜日

銀河鉄道999 (ゴダイゴ)


ぞろ目と言えば999だ。以前にも更新したが、その時はテレビ版の999だったが、これは哲郎がイケメンになった映画版の主題歌である。ゴダイゴというのはキーボード奏者のリーダーであるミッキー吉野の名前から連想した。昔の日本で、南北朝時代に吉野という場所に、後醍醐天皇が朝廷を創った事に由来して名付けられたそうです。初めに聞いたときは歴史の中の天皇としか思えぬ名前に、外人の混じったバンド構成に、なにを考えてゴダイゴなんて名前にしたのか理解に苦しんだのですが、今となってはゴダイゴ=バンド名が定着しました。

2010年8月30日月曜日

22歳 (谷村新司)


日本のフリオと言えば谷村さんでしょう。フリオ繋がりではなく、ぞろ目(揃い)歳と言うことで33,22、で選曲しましたが、私のラッキーナンバーがぞろ目なんです。ふと時計を見ると4:44分だったり、前を行く車のナンバーが33-33だったりすると、物事が順調に進んでいる証で、特別良い事がある訳では無いのです。しかし、昔からこんな感じで、ぞろ目に出会うと、ほっと、安心するのです。そういう意味では、ラッキーナンバーてはなくセーフティナンバーかもしれません。九州で柳川に向かう途中に道にまよい、ルート444に出くわし、その道を行ったら柳川に着きました。まさに私のライフナンバーはぞろ目です。

2010年8月27日金曜日

33歳 (フリオ・イグレシアス)


私が、フリオにはまっていた頃、もうすぐ33になろうとしていた。時を同じくして”33歳”と言う曲が発売された。失恋してから台湾の女性に出会い、また失恋して今度は一回りも違う二十歳の女性と意気投合した。その人は京都の女子大で生物学を学ぶ女子大生で、夏休みに東京の友人とアルバイトで来ていた。行き付けのパブにバイトできていた彼女は、秋には京都に帰ってしまったが、私は仕事で大学や研究室への出入りが多く、京大や同志社大学に出張があり、彼女とOFFに東山あたりでデートしたのです。いま、フリオのこの曲を聴くと,あの頃が脳裏に、鮮やかに蘇えった繰るのです。

2010年8月26日木曜日

黒い瞳のナタリー (フリオ・イグレシアス)


まだイケメンなる言葉も無い頃に、クレイダーマンやフリオのような外国人アーティストが、ぞくぞくと日本人女性の心を魅了していました。当時のわたしは、人生で一番の恋愛に終止符を打って、傷心の底にあった頃でした。私もフリオの歌声に、どれだけ慰められたでしょう。あのころ、わたしが音楽好きだった事が幸いして、音楽によって荒む気持ちを和らげた経験が、音楽の素晴らしさを確認できて、人格形成に役に立ったのだと思います。フリオの本業が医師だったと知り、神様は人に二物を与えるのだと知りました。たまたま私には、大した物を与えずに世に送り出したのだと諦めて、平凡な人生を送っています。

2010年8月25日水曜日

秋のささやき (リチャード・クレイダーマン)


今日あたりは真夏の盛りで、もう幾つの真夏を越えてきたのかと、永い年月を生きてきた事を実感しています。クレイダーマンのこの曲は、一足速く、秋の訪れを知らせてくれる、季節の着メロでしょうか。秋が来て一年がまわる。このブログをはじめて、そろそろ一年になる。光陰矢の如し、とは良く言ったもので、過ぎてから、その速さを知るものです。初めの頃は一日2曲を更新していましたが、途中で1曲になり、最近では休日の更新は休みにしました。思い出ネタが少なくなって来たら、思い付き更新になるでしょう。継続の大変さが解りました。日記のように、その日の出来事を書き記すのならばいいにですが、思い出と言うのは、思い出したくないこともありまして、何時まで続けられるか、私の試練です。

2010年8月24日火曜日

渚のアデリーヌ (リチャード、クレイダーマン)


ポール、モーリアのブームが過ぎると、ゆとりとか癒しが求められるようになる。そこで現れたのが、リチャード、クレイダーマンでした。ピアノもいいのですが、その容姿や雰囲気が、日本の奥様達に支持されて、爆発的なヒットを実現したのです。今で言う韓流ブームのように、いくつかのブームが入れ替わり訪れたのです。貴公子のような魅力と、柔らかいピアノの旋律は、日本女性の心を鷲掴みにしました。ギター、一筋のわたしも、この時ばかりはコルグ製のエレピアノを購入して、女性にもてようと思い、鍵盤の練習をしました。動機が不純だったので、ピアノはものになりませんでしたが、鍵盤はキーボードに変りましたが、今でも叩いています。

2010年8月23日月曜日

恋はみずいろ (ポール、モーリア)


原題はL'amour est bleu と言って、青い恋と訳せるようですが、日本で売りだすのに、そのまま直訳では味も素っ気もないので、営業担当者は日本語で歌詞を専門家に依頼したのでしょう。みごとに大当たりして、みずいろブームが到来しました。それ以来、結構みずいろの曲は出回るようになりました。ベッキーという女の子がヒットさせて、ポール、モーリヤの演奏はそれより後にユーロ音楽ブームの時に、日本のタイトルで再来したのです。イージーリスニングがゆとりなんだと、日本人が思い込んでいた時期に、オーディオが馬鹿売れして、それが過ぎるとバカンス,ブームが来て、日本もがむしゃらからゆとりに変っていったのです。

2010年8月20日金曜日

エーゲ海の真珠 (ポール・モーリア)


当時、画家の池田満寿夫さんが書いた、”エーゲ海に捧ぐ”という小説が馬鹿当たりして、猫も杓子もエーゲ海という時期がありまして、その影響でこのタイトルになったのではないかと思っています。この頃グループ交際なる事をしておりまして、ドライブのBGMに流すには、ポール,モーリアさまさまだったのです。試しにカセットを変えて、エリック,クラプトンなんか流したら、何これ?、馬鹿じゃない、とブーイングの嵐でした。女には、あの泣きのギターは理解されないようです。土肥温泉の一泊ドライブ、楽しかったな~、いい思い出です。

2010年8月19日木曜日

オリーブの首飾り (ポール.モーリア)


この曲が流れていたのは30年も前になるでしょうか。テレビでは聞かない日が無いくらい、連日かかっていました。あるテレビレポートの中で”いそのえいたろう”と言う人のレポートやマジックショウーのBGMにも使われたし、ストリップやダンスにまで使用された曲でした。まさに一世を風靡したポール,モーリヤでした。これは、中国のアルバムみたいですが、漢字で表現するとこうなるのですか。日本にはカタカナと言うのが、外国人の名前に使われますが、漢字表記にはビックリしました。よって、数ある投稿動画の中から、これを選んでみました。中身は世界共通です。

2010年8月18日水曜日

涙のトッカータ (ポール・モーリア)


よく聴いた癒し系の曲だったこの曲、というよりもポールモーリヤには随分おせわになりました。この曲をはじめ数々のヒット曲を世に贈り、わたしの青春を飾ってくれた名曲達のおかげで、楽しいドライブや恋愛を脚色してもらった思い出を、この曲たちを聞くたびに思い起こす。誰でもが思い出と共に口ずさむサウンド、このブログはこのひとの為に発想されたといっても過言ではない。しばらく、夏の特集として、彼の功績をつずって見たい。彼の曲が癒しとされる出来事も一緒に思い出していきたい。帰らざる夏を偲びながら、わが青春に乾杯。

2010年8月17日火曜日

トッカータ と フーガ ニ短調 (J.S.バッハ)


もうひとつフーガを有名にした曲がこれだ。ドラマや映画のなかて、状況が急転直下した時、必ずと言って良いくらいこの曲がながれる。何か起こった時に♪ジャジャジャジャ~ン♪とベートーベンの運命が掛かるのと同様、♪チャララ~チャラララ~♪という例のやつです。私は日常会話の中でも、この、口効果音は結構使っているのです。突然に起こる出来事や、順調に進んでいた出来事の時、これを使うと緊張感が盛り上がる。まあ、それも、他人の時だけで、いざ自分に降りかかるとそんな余裕はないのですが。次はトッカータを調べてみます。意味の解らない事実は検索するに限ります。

2010年8月16日月曜日

恋のフーガ (The Suzuki Band )


終戦記念日が終わり、普通の日に戻りました。ラプソディーの次は、風雅です。漢字でこんな風に書きそうですが音楽用語なのでフーガです。輪唱のように最後まで行っても会いません。ずれたままです、恋の結末を予言しているようです。私の人生の師匠”なかにし礼”先生の作品で、先生いわく、フーガという言葉の響きと、判りそうで判らない意味が、よいのだそうです。手の届くか届かない位の看板は、飛び上がって触りたくなる、という心理からフーガにしたそうです。ザ,ピーナッツのオリジナルですが、かなりの人達がカバーしているので、洒落で選んでみました。そういえば車にもありましたよね。

2010年8月13日金曜日

玉音 (昭和天皇)


ついに戦争は終った、おおきな犠牲を出して、日本の終わりと始まりが一度に訪れた。その後に誕生した私は記憶はないが、生まれていた兄でさえ記憶はない。この放送が何を語っているかも、聞いていた人の大半は判らなかった様だ。その後の解説により敗戦を知ったのが現状らしい。この半月ほど後に、ミズリー号の甲板で、敗戦の調印が行われ、正式に戦争は終了したが、空白の半月に、まだ不幸は続いたのだ。敗戦も知らされず、南方の島で生存した日本兵までが居たのだ。戦争は破壊があるのみで、憎しみ以外、何も生み出さない。

2010年8月12日木曜日

同期の桜 (鶴田浩二)


このような戦争を題材にした映画や歌が、いつの時代も作られているが、内容はかなり奇麗事で飾られている。今年の春、私は鹿児島県の知覧町に行ってきましたが、そこには特攻平和記念館という場所があり、ゼロ戦などが展示してありました。そこにあった一遍の短歌に、アリランのという一節があり、朝鮮から軍事徴用された人が、帰り道のない特別攻撃隊に行かされた事を知りました。爆弾代わりに自爆しろと、現在の何処かでもやっているテロ攻撃を、当時の日本もやっていたのです。死んで天国の良い所に行けるのなら、苦労しません。馬鹿げた戦争が、この世から無くなって欲しいと、心から願うばかりです。

2010年8月11日水曜日

異国の丘 (合唱団)


子供の頃に電車に乗ると、戦争で負傷した軍人が、アコーディオンを弾きながら、松葉杖をついてお金を貰っていた。その頃からこの曲をなんとなく覚えて、意味も知らずに口ずさんでいた。大人になって、シベリヤの抑留のことを知り、終戦の後に捕虜となって強制労働を強いられたことを、この曲で、希望を捨てずに頑張った人達がいたことを知った。ソ連も良くないが、その戦争を起こした日本の責任もある。しかし、それにしたって責任を取るのは国民ではなく、そのときに政治をしていた人達だ。いつでも戦争の被害に苦しむのは、一番罪のない国民の力の弱い人達だ。

2010年8月10日火曜日

風に吹かれて  (Bob Dylan)


風に吹かれてどうするかと、理屈をこねている話ではなく、風と言う現象から時の流れを知ると言う内容です。どんな時も風は吹いているが、この心地よい風の中でも争いは耐えない。世界平和を風に例えて唄う、フォークソングの中の代表曲だ。たしか、”学生街の喫茶店”という曲の中に、ボブ,ディランの名前が出て来たくらい、当時の若者に支持されていた。それくらいベトナム戦争は衝撃的だったのに、世界は教訓を忘れ、再びアフガンや、イラクで戦闘を行った。それ以外にもきな臭い話が蔓延している。どれだけ風が吹いても、人間は争うのか?。

2010年8月9日月曜日

花はどこへ行った? (Mr.Children )


もうすぐ終戦記念日だが、自分が生まれた頃は戦争も終わり、復興の機運が高まっていた頃で、父は石川島播磨に従事していて、その頃あった朝鮮戦争の軍事需要で徹夜で働いていた。私が少年の頃から、青春時代までベトナムで戦争があり、我が家の近くの米軍基地にも、たくさんの負傷兵が、ヘリで運ばれてきた。その当時、アメリカで流行った、フォークソングの中にこの歌があった。完全に反戦歌である、その内容にも、アメリカと言う国は肝要で、抑え付けはしなかった。本当に、どれだけ風が吹いたら平和が来るのやら、??。ん、これは、”風に吹かれて”だったっけ?。

2010年8月6日金曜日

戦争を知らない子供たち (ジローズ)


私の年代の人間は実際の戦争は知らない。この曲にもあるように、♪戦争が終って、僕らは生まれた♪のです。記憶にあるのは、家の近くに進駐軍の司令部があって、私の幼稚園に、軍服の米兵がチョコレートをお土産に、子供をかまいに来ていたのを微かに憶えている。いま、大人になって、日本が何をして、アメリカが何をしたのか学習した。それによると、日本は戦国時代から戦を繰り返し、原爆の怖さを知り、戦争をしない国になったのだということだ。一瞬にして大量の人を殺傷する兵器が、これ以上エスカレートしないような、平和な地球になってほしい。

2010年8月5日木曜日

反原爆の歌 「原爆を許すまじ」


ここで、連想更新をいったん停止して、終戦記念日がちかずいたので特集をやってみよう。おそらく、小学生の頃だったと思うが、千羽鶴の映画を見たのだ。ひとりの少女が病気で入院して、知り合いや友人から、多くの千羽鶴を送られる。みんなの願いも届かず、その娘は死んでしまう。その時流れた音楽がこの曲だった。♪ああ許すまじ原爆を♪というフレーズが耳に張り付いた。その時、自分は鳥肌が立ったのを憶えている。まだ餓鬼だもの、何にも知らずに、ただ、何か恐ろしい存在だけを感じていた。子供なのにメガトンを知っていた時代だ。

2010年8月4日水曜日

大阪ラプソディ (海原千里・万里)


パクリと言うには当たらない、見事な模造品と言うのも違うし、作ったときにはかなり意識して”東京ラプソディ”をモチーフにしたのだろうが、出来上がったら、かなり立派なものになり、洒落の利いた別物のヒット曲になってしまつた。歌手の歌唱力もあいまって、西の代表曲にまで成ってしまった。そもそもラプソディとは何ぞや?、調べてみると狂詩曲と書いてあった。要するに、適当にその土地の雰囲気に合わせて作られた曲、だそうである。まあ、だから曲の前に地名が入っていたりする訳だ。難しい音楽用語も、またひとつ理解した。

2010年8月3日火曜日

東京ラプソディ (藤山一郎)


私が赤ん坊の頃の曲であるが、いつ記憶に刷り込まれたのか分からない。車に乗っていて鼻歌交じりに、突然飛び出してくるので、いつも不思議に思う。突然飛び出してきたら、歩行者だったら危険だが、鼻歌なので安全だ。埼玉に花崎公園というところがあるのだが、知り合いの家に行くとき通るのです。その花崎という名前を見ると、条件反射のように飛び出すのです。♪花咲花散る宵は、銀座の柳の下で♪てな具合です。東京でもないのに、ハナサキという言葉が引き金になるようです。もちろん一人の時だけですがね、馬鹿みたいですから。

2010年8月2日月曜日

東京ドドンパ娘 (渡辺マリ)


子供の頃に、空き地に集まってこんな曲をよく唄ってました。ほとんど意味も分からないのに、大人が喜ぶので、お調子者の私は物まねなんかもしていました。ドドンパというのは、日本が世界進出を狙った、タンゴとかマンボのような、日本人が考えたリズムらしい。やっぱり、世界には通用しなかったが、日本では爆発的に流行った。そのチンドン屋の奏でるようなリズムが、日本のそして昭和の平和を物語るようで、実に楽しいリズムであった。そして、振り付けもあったと記憶しているが、どんな踊りだったのか忘れてしまった。