2009年12月31日木曜日

第九-歓喜の歌  (レナード.バーンスタイン)


きょうは大晦日。といえば、何故か第九が聞こえてくる。その理由は、自分で調べてほしい。このページも今年も残り少ないのであしからず。私の音楽趣向は偏見なしの無節操である。いいものは聞き、興味の無いものは無理して聞かない、実に気ままだ。クラシックも同じ曲であっても、カラヤンや小沢はあまりに個性的で聞かない。もっぱらバーンスタインのような柔らかいモノをこのむ。この区切りも実に主観的で、自分勝手な仕切りであるが、この歳までそう言う聞き方をして来たので変わらないだろう。幻想交響曲のあとに、突然JAZZだったり、津軽三味線を聴いたりするのだ。こんな私に、来年もお付き合い頂ければ幸いです。では、よい御歳をお迎えください。

2009年12月30日水曜日

愛は限りなく (ジリオラチンクエッティー)

チンクエッティーの代表曲の”愛は限りなく”。なぜか、モノクローム映画の一場面で、ラストシーンにこの曲が流れ、残像がいつまでも残っている感じです。その当時は、方やリバプール旋風が吹き荒れ、ビートルズなどが大ヒットしていた。一方、ユーロビートなるソフトなロックも静かなブームを起こしていた。イタリアやフランスの若いアーティスト達が、アジアに進出して、ユーロ映画と一緒に日本に入ってきた。”アイドルを探せ”と言う映画や、イタリアン映画でマカロニウェスタンなどと言うイタリア製作のアメリカ西部劇なんかも流行した。チンクエッティーの可憐な魅力に魅了された男子は、私を含めて多かったのだ。

2009年12月29日火曜日

ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ)


その昔、日本でカンツォーネブームがあった。今でこそ、あちらこちらで音楽祭なるイベントがひしめき合っているが、元祖音楽祭のようなイタリアのサンレモ音楽祭で布施明さんが出場したのを思い出す。和製ボビーソロと異名をとったほど、注目された。そして、その本人のボビーソロであるが、清楚な好青年というイメージだった。現在のイタリア男性は、ジローラモさんに代表される、チョイ悪オヤジのイメージが強いが、昔はそうでもなく、好青年純情派という感じだったのです。この曲にしても純情そのもの、女性アイドルも、ジリオラチンクエッティという清純を絵に描いたような人が人気でした。

2009年12月28日月曜日

霧の摩周湖 (布施明)


布施明さんはデビュー以来のファンで、ホイホイミュージックスクール当時、ライバルの望月ひろし、に先を越され、それでもジリジリと人気を獲得してきた努力家として、今では世界のシンガーとして通るようになった実力派だ。代表曲の”霧の摩周湖”の大ヒットで、北海道の湖の代名詞となるまで有名にした。もちろん私も影響を受けた。この夢を果たすため、摩周湖の駐車場へワゴン車で乗りつけ、マーチンの携帯ギター(バックパッカー)を持ち込み、誰もいない真夜中の摩周湖の霧に包まれ、弾き語りをした。馬鹿な奴だとお思いでしょうが、馬鹿な奴ほど馬鹿をするものでございます。一生に一度でいいから、歌の世界に入ってみたかったのです。それで味をしめて、たまに歌の世界へ旅をしています。旅はいいですよ。

2009年12月27日日曜日

湖畔の宿  (高峰三枝子)


榛名湖は高峰三枝子さんの縁の地でもある。彼女の大ヒット曲である”湖畔の宿”はこの地で創作されたと言う事である。榛名山を湖面に写す高台に、それを記念した歌碑が刻まれている。人が近寄ると曲が流れる装置や、大きな鉄片を順番に叩くと、曲になる鉄琴か設置してある。作詞家の佐藤惣之助先生が、この地で創作されたそうである。以前、このブログで取り上げた布施明の”榛名湖の少女”と言う曲以前に、こんな名曲があったのを、この地を訪れるまで忘れていた。もっとも、私が生まれる前の曲なので、致し方ない事ではあるが、こうして聞いてみると旅愁あふれる素晴らしい曲である。

2009年12月26日土曜日

宵待草 (高峰三枝子)


竹久夢二記念館でオルゴールを聞いたら、必ず聞くのはこの曲だろう。夢二の詩は女性の絵と共に、大正浪漫の象徴として愛されている。この一体は(伊香保)夢二と係わる場所が多く、榛名の山をバックにした乙女の絵や、榛名湖のそばには、夢二のアトリエだった場所と言うのが現存する。宵待ち草の詩は、千葉県で創られたとの情報が有力だとされているが、榛名湖のほとりであったら、と妄想するのも一興ではないだろうか。大正時代は短い時代であったが、昭和、平成の時代に生きた私には、あの、裸電球、舞踏会、人力車などのノスタルジーがたまらなく恋しい。恋愛も命がけだったに違いない、まさに、命がけの恋だったんだろう。

2009年12月25日金曜日

清しこの夜 (オルゴール)


クリスマスの定番、”清しこの夜”(サイレント.ナイト)。この曲を聞くと本当に清い心になります。まして、中世のオルゴールで聞いたら荘厳な大伽藍に響き渡る、賛美歌のように聞こえます。このオルゴールと言うのはピンキリで、バイオリンのストラディバリウスやグアルネリのように格付けまで有るという。と言うのも、音を出す部分よりも、音を響かせる箱の部分の材質や構造で格段の差が出るらしい。私が感動したのは、伊香保温泉にある、竹久夢二美術館の中に併設されしオルゴール館である。種類の多かったのは勿論だが、場所が地下室なので、おとの響き方が尋常ではない。機会があれば一度入館をお勧めします。

2009年12月24日木曜日

ホワイト.クリスマス (ビング.クロスビー)


クリスマスイブ、前夜祭。戦後生まれの私は、物心ついた頃にはクリスマスがあたりまえにあった。近所の友達が教会の日曜学校に通っていたので、誘われてたまに行っていた。ナザレの星とかの演劇を手伝ったりして、静かな聖夜を過ごしていた。我々の年代はこの曲が一番クリスマスを感じる。ジングルベルかこの曲かと言えば、聖夜の意味からも”ホワイト.クリスマス”なんだろうな、この暖かく包み込むような歌声が、昭和のクリスマスだったような気がします。ちなみに、私を教会に誘った友達は、その後イスラエルに行って、帰国後に牧師として世界を回っているそうです。イスラエルの土産の壁掛けが、まだ部屋に飾ってあります。

2009年12月23日水曜日

君が代 (合唱、雅楽)


今日は天皇誕生日である。国歌”君が代”については賛否両論ありますが、私の”君が代”は、今自分が他の人とコミニュケーションするために、日本国からお借りしている日本語、と日本人の印(エンブレム)、家紋のような感覚です。物心付いた頃より、感動の場面には常に”君が代”が演奏された。オリンピックで優勝した時。ボクシングの世界タイトル戦。いろいろな場面で日本人を感じさせてくれた。今、国旗や国家が問題視されているのは、強制する、しないが問われているので、旗や曲がどうのという事ではないと思う。とにかく、国旗国歌はいい思い出だけでないのは確かだが、戦争の戒めや激動の出来事を背負っているのは事実である。平成天皇のお誕生日を祝して、本日の名曲は”君が代”にしました。

2009年12月22日火曜日

真冬の帰り道 (ザ・ランチャーズ)


”冬の散歩道”によく似たタイトルで”真冬の帰り道”と言う曲がある。ランチャーズと言うグループの曲だが、この人達の中に加山雄三さんの従兄弟がいる。曲の作曲者でもある喜多嶋修と言う方、そのむかし、とんでもない事をしてくれたのです。我等がアイドルの内籐洋子さまをサラっていって結婚してしまったではないか。そして、その愛娘が、あの喜多嶋舞さんなのです。母子で妖艶な魅力のある、美形家族であるのだ。そうそう、曲のほうだが、従兄弟とはいえ加山雄三の一連の曲に酷似しているのは、血筋のせいなのか、環境のせいなのか、とても似ているのが印象的だ。そういえば顔もにている。

2009年12月21日月曜日

冬の散歩道 (サイモン&ガーファンクル)


12弦ギターの音色を聞いてギター弾きは、一度でいいから弾いてみたいと思うもんである。4輪免許を取ったら一度はフェラーリに乗りたいのと同じだ。私は運良く、中古品だが10万円程度で手に入れることが出来たが、チューニングに苦労した。通常の6弦のほか、細い弦でオクターブ違いで各弦の復弦の音合わせに苦労する。ツインギターと言って、二台のギターで同時に弾く奏法もあるが、二人か重ね録音するしかない。12弦でホテルカリホォルニアを練習したが難しく、この曲が単調だったのでチャレンジしてみた。今、冬に散歩をしているが、ふと、この曲のイントロを思い出すのである。

2009年12月20日日曜日

なのにあなたは京都へゆくの (チェリッシュ)


男女のデュオといえばチェリッシュでしょう。でも、この曲でデビューしたころは二人ではなかった。まだフォークグループ全盛の頃で、数人で活動していたが、リーダーとボーカルが出来てしまって(失礼)他のひとは、あてられっぱなしで、出て行ったと噂されている。未だに解らないのが、京都と恋人の愛を比べて、恋人よりも京都がいい、という男がいるのか?。そいつはどんな奴だ!?。と、そんな事はどうでもいい。その当時、私は12弦ギターを買ったのです。チューニングに倍以上の時間が掛かり、握る力も大変で手放してしまった。この曲を弾いていい音してたのを思い出します。

2009年12月19日土曜日

宗谷岬 (ダ・カーポ)


北の外れの岬には、北海道の最北、宗谷岬がある。この地をめざして、計画も適当にその場その場で気分しだい、風吹くままの旅をした。辿りついた宗谷岬の御土産やから流れたいた曲が、この曲だった。曲と一緒に景色まで潜在意識に刷り込まれ、この曲を聴くと風景が浮んでくる。宗谷岬には二回訪れたが、二回ともこの曲に出迎えられた。おそらく、また尋ねることがあっても、この曲の出迎えを受けるだろう。むかしは、宗谷といえば南極観測船の名前で知られていたが、平成の今はこの曲だろう。いつ塗り替えられるかは分からないが。

2009年12月18日金曜日

津軽海峡・冬景色 (石川さゆり)


寒い岬と言えば、♪ごらんあれが竜飛岬北の外れと、見知らぬ他人が指を指す♪の歌詞が浮びます。作者の先生方はお亡くなりになってしまいましたが、歌は永遠に残ります。この歌の前に、太宰治の小説などで知っていましたが、竜飛岬には一度行ってみたいと思っていました。そして、この曲を聴いてなおさら気持ちが大きくなりました。ついに東北に彷徨い旅をして、青森の海沿いを見て歩きました。青森の青函連絡船の記念船、八甲田丸、の前や、竜飛岬の階段国道の上にも、歌碑と音楽が流れる装置が設置されていました。この曲は、それほどの名曲に数えられる、数少ない大名曲になりました。

2009年12月17日木曜日

襟裳岬 (吉田拓郎)

冬から春になる、そんな時に聞こえてくるのがこの曲だ。何年たっても廃る事のない印象的な歌である。私の友人で、サンケイスポーツの記者がいるが、この友人の十八番がこの曲だ。何処が好いのか聞いてみると、♪君は二杯目だよね、珈琲カップに角砂糖ひとつだったね♪という何て事ないフレーズがお気に入りだと言う。歌は生活だ、景色だ、くるくる回しているスプーンが絵になる。ホッとする瞬間だという。人にもよるが、♪飼いならしすぎたよね♪は理屈っぽいからいやだ、と言う。とにかく、発売当時は、♪何も無い春です♪は地元では評判が悪かったそうである。もっともだ。

2009年12月16日水曜日

虹と雪のバラード(トア・エ・モア)


冬の華といえば冬季オリンピック。そして、それを映画化してBGMとして創られた音楽がこの曲だ。映画のすばらしい映像のバックに、トワェモアの透明感漂う声で歌われた”虹と雪のバラード”。この曲が流れるたびに、条件反射のように、あのジャンプのメダル独占やフィギャーの妖精たちが、昨日のように蘇えってくる。あの頃は人類が月に行ったのと相まって、地球人全体が目標を持っていたような気がします。先に見えるもの目指して突き進み、金メダルや月世界や、未来に期待して頑張る時代がうらやましい。現在のように温暖化が進んで将来が危ぶまれ、若者は不況で就職出来ない闇の時代に、この曲は一腹の清涼剤となるかも知れない。

2009年12月15日火曜日

氷雨  (日野美歌)


冬が近ずくと雨に混じって降ってくるもの、それは霙(みぞれ)と言います。硬く凍ったものは雹(ひょう)と言いますが、雹は冬の現象ではあまり起こらないようです。しからば氷雨とは何ぞや、と考えてみる。気象学的にはそんな言葉は使われてはいない。聞いたそばから寒そうで、悲しくなりそうな言葉、これが言葉絵の具というものです。歌謡曲を作詞する時、どれだけの言葉絵の具の調合が出来るかに才能が出ます。普段から言葉の調合を楽しみ、言葉遊びをして鍛錬すると、荒木とよひさ先生の”悲しみ本線日本海”みたいに、ありもしない♪シベリア颪♪や♪悲しみ本線♪と言う嘘のように美しい詩が生まれて来るのです。これが歌謡作詞の極意なんです。だから私も言葉遊びを楽しんでいるのです。

2009年12月14日月曜日

秋冬 (三ツ木清隆)


秋が来れば冬になる。その、ほんの短い季節に別れてしまう。この時間まで、どれだけ積み上げた季節。恋心の初めから終りまで、楽しい時間が多かったのか、苦しい時間が多かったのか。人はいつも考えているが、恋について反省ばかりしていて、一番あざやかだった、あの瞬間に生きる事を忘れている。結果的にあっけなく終っても”あの素晴らしい愛をもう一度”しようではありませんか。秋は反省の季節ではありません。過ぎた愛を思い出す季節です。あの映画の一場面のように。

2009年12月13日日曜日

秋風のバラード、夕月  (黛ジュン)


真夏の次は秋、秋の川原にはススキがたなびき、冴え渡る夕月。かってそんな情景を唄った曲があった。黛ジュンの”夕月”である。しかし、この曲の原曲は、リサイタルの中の演出用に披露された、組曲形式の四季、四部作の秋のパートである。ギターを実兄の故三木たかし先生が奏でて、語り風に台詞で始まる抒情詩だった。その後、評判がよかったこの曲を、弱かったテーマイメージを、夕月と言う強烈なイメージに変更して、大ヒットに繋がったという、裏話が噂されていた。その曲をyuotubeで捜したが無かったので私がUPしました。古いカセットからの摘出ですので、音が悪いのはお許しください。

2009年12月12日土曜日

真夏の出来事 (平山みき)


ばんばんの奥様と言えば、変声歌手の平山みきさんだ。どうして二人は出会ったのか、どうして結婚生活が永くつずいているのか。?まことに失礼千番な謎なんですが、おなじ歌手同士で、歌番組で出会う事もあるでしょう。私からすれば、中島みゆきさんと森進一さんが結婚したら、くらい不思議な組み合わせでした。まさに縁は異なものと言いますが、芸能界はまさにそのとうりです。性格が合わなそうな人ほどくっつきます。芸能人の結婚は、いわばスポーツ紙や週刊誌、テレビ局にレポーター、の飯の種で、これで生活してる人もいるくらいです。私の周りにもその種の方が多く居ました。芸能人の結婚が騒がれなくなつたら、何人の人が飢え死にする事か、みなさん、どんどん派手にやりましょう。

2009年12月11日金曜日

「いちご白書」をもう一度  (ばんばん)


ばんばん、の曲で「いちご白書」をもう一度、と言う曲があった。映画「いちご白書」を、学生時代の恋人が見たけれど、現実社会に出てゆく時、ただの大人になってしまった。という内容の曲だが、映画は違う。ボート部でも入って楽しいキャンパス生活を送るつもりで、入学した主人公が、学生運動に巻き込まれる。彼らの抗議に対して学校側は、君達の意見は子供のおねだりだ、「いちご白書」でしかない。と言って跳ね除ける。彼等は体育館を占拠して、床をたたいてストをはじめる。学校は機動隊を配備して、いわゆる”ブッコヌキ”を行った。催涙弾の煙の中、生まれて初めてノウを言えた主人公が、強制的に排除される。映画はそこで問題定義したまま終わる。実に消化不良の映画だったが、印象的だった。ラストシーンがありました。 http://www.youtube.com/watch?v=6s8OOEqI5h8

2009年12月10日木曜日

♪SACHIKO♪ (kirarana7na2)


サチコと言う曲が、同時期にもう一曲存在しました。検索しているうちに、懐かしい映像を見つけました。かつて、自分がやっていた、スナックでの弾き語りの光景にそっくりで懐かしい。だけど、この人みたいに、アルペジオやハンマーなどを自在に操り、歌も、高音域をカバーして安心して聞けるが、私の場合はこれほどのレベルではなかった。この方は、プロのスタジオミュージシャンかヒットに恵まれない歌手の方ではないでしょうか。商品で言うと無印良品と言うところかな。曲の方は少し異論があります。♪幸せを数えた片手にさえ余る♪こんな不幸な幸子さんがいるのでしょうか。幸か不幸かは気持ちの持ちようですよ。何でも無い様な事が幸せなんです。詩の内容が大袈裟なようで、ばんばんに一言いいたかったのだ。

2009年12月9日水曜日

サチコ     (ニック.ニューサー)


元カノと言うのは、どこまでの関係をいうのだろう。同棲していた女性は限りなく元妻に近いし、デートして食事して、家まで送る程度は元GF(ガールフレンド)だろう。その人は、少なくとも土肥温泉で一泊した事があるので、元カノと言えるだろう。名前がサチコ、だったので、当時流行っていたこの曲を、カラオケで歌って迷惑顔されたのを思い出す。彼女はパブスナックでバイトで働き、私はその店の客という、良くありそうな関係だった。球場へは良く行きました。その人は野球好きで、男の私より詳しかった。私の仕事環境が変わったので、店にいけなくなってから、どちらともなく遠ざかっていった結末でした。その後一度だけバイクに乗っていたとき、逢いました。それ以後は逢えません、運命かな。

2009年12月8日火曜日

未来予想図Ⅱ(ドリーム.カム.トゥルー)


車のライトで意思表示と言えば、この曲。♪ブレーキランプ5回点滅、愛してるのサイン♪。この曲が浮かんで、偶然出くわしたモトカノに、さようなら、のサイン5回送ったことがあった。5回と言うのは、いろいろ理解できるので、ありがとう、にも、ばかやろう、にも取れるので、どう思ったかは定かではない。また、それを確かめる術もない。もう二度と逢うこともないだろう。あんなに仲が良かったのに、友達でいることも出来ないなんて、恋愛なんかするものか、と思いながら懲りもせず、幾つになるまでするのだろう。バイクもだいぶ重くなってきたので、最近は車が主流だが、車でブレーキランプ5回点滅は、ちょっと難しい。

2009年12月7日月曜日

男と女   (フランシス.レイ)


この曲も映画の主題曲ですが、今回の思い出は車です。その当時は高速道路はまだ少なく、前車を追い越す時は、クラクションを鳴らして警告していました。この映画の中で、遠くから真昼にライトを点滅して、恋人に合図した。当然ライトのスイッチは、昔の引っ張るやつ。引いたり押したりして点滅させる。私の知る限りでは、今のようにライトで意思表示をしたのは、この映画が初めてではないかと記憶する。今でこそウインカーのスイッチを手前に引けば、いろんなライト警告が、暗黙の了解でセオリーとなっているが、その意味では、この映画の貢献度は高いだろう。フラッシャーの軽い点滅も、ありがとうの挨拶に使われているが、いずれも公安上の法規に定められている訳ではなく、常識の範囲で交わされている。

2009年12月6日日曜日

ある愛の詩 (フランシス.レイ)


愛の定番。この映画を観ずして、愛を語るな、と言われるくらいの作品です。曲を担当しているのはフランシスレイと言う方は、名を上げたら誰でも知っている、名画の音楽を担当して来た。その美しい旋律も相まって、映画がヒットしたと言っても過言ではない。私もこんな曲が創れたらと尊敬しています。(愛は決して後悔しない事)と言う、有名な台詞も、人生に刻み込んで生きてきた。作詞の師が、なかにし礼先生、音楽の師がフランシスレイ、恋愛の師が○○麗子さん、(勝手に認識)なんと、阿吽倶流の人生に影響を与えた人々が、礼、レイ、麗と同じキーワードが絡んでいる事でしょう。この先も、れい、をチェックしておきます。

2009年12月5日土曜日

冒険者たち  (アランドロン)


冒険旅行と言って思い出すのは”冒険者たち”というフランス映画だ。鉄屑屋の男と冒険屋、そして、がらくた芸術の作家である女性が、宝船の沈んだ地図を手に入れる。宝をめぐり事件に巻き込まれ、女性レティシアは銃弾に倒れてしまう。彼女の遺体を潜水服に収め、暗い深海の底へ沈める男たち。私は観ていて、何ともやるせない無情感を覚えた。愛する人を失うと言う。仏教で表される四苦八苦を感じた。そして。映画のフラッシュバックか、それから、潜水服のような狭い密着した空間が怖い、閉所恐怖症になったのです。車は大丈夫なんですが、狭いエレベーターなんかは恐怖です。感情移入がこんな結果になるとは思いませんでした。

2009年12月4日金曜日

北の国から  (さだまさし)


北といえば、阿吽倶流の人生に影響を与えた最大の”北”、それはこのテレビドラマだった。倉本總さんの原作をドラマ化して、俳優も成長したり年老いてゆく様を、毎年のように描いていた。観ている視聴者も感情移入して、まるで自分や親戚の物語のように感じていた。いつしか富良野という土地に行きたくなり、ついに実現にいたった。その過程をブログにまとめましたので、ぜひ見てやってください。

◎”阿吽倶流の彷徨い日記”  http://anku-samayoi.jugem.jp/

この旅で、物語の中心になった麓郷にも行きました。そこの、りょくほう、と言うお土産やさんの人に、田中邦衛(黒板五郎)さんに似ているといわれました。

2009年12月3日木曜日

北へ帰ろう   (徳久広司)


TBSのTVドラマのなかの劇中歌として登場した曲で、のちに”昭和枯れススキ”などの超ヒット曲なども生み出している人気番組があった。寺内貫太郎一家2、である。この番組がオンエアーされていた頃は、阿吽倶流も働き盛りの遊び盛り、そして、テレビ盛りだった。と言うのもこの頃から人間関係の会話の中で、テレビ番組の話題ができないと仲間はずれにされたからだ。毎日、人気番組をチェックして、コミニケーションしていたのだ。現在もそういう傾向はあるようだが、話題はもっと自由化してきたようだ。この歌をカラオケで歌える人は、かなりマニアックであった。作曲家として、徳久広司先生は、先生が付くほど出世した。

2009年12月2日水曜日

ヘッドライト  (新沼謙治)


ここまで来たら、この人が出てこない訳にはいかないでしょう。訛りタレントとしては、千昌夫、吉幾三、先輩ともども、ローカル歌手として名を轟かした謙治くん。そんな親しみのある存在でした。私なんかも歌手を目指したり、作詞家の勉強をしたりしたけれど、チャンスがなかったので,活きる為にいろんな仕事をして来ました。彼も左官という技術を学んで仕事をしながら、芸能界のチャンスを掴んで歌手となった。そして、現在はスポーツ選手の奥様と悠々自適な人生を送っていらっしゃるようです。チャンスを掴んだ男と、私、チャンスを逃した男の違いはあっても、若き日の情熱は絶対に同じだったと、確信しています。 

2009年12月1日火曜日

ああ宮城県 (吉川団十郎)


ご当地大使タレントのはしり、と言えばこの男。私が”トラック野郎”と言う映画に夢中だった頃。望郷編の挿入歌で人気が出て、一発屋ではあったがかなりヒットした。吉幾三の”おらぁ東京さいくだ”や、ハナワの佐賀県の唄、さいたまんぞう、とかいろいろ出てきたが、元祖は吉川団十郎だと思う。千昌夫や新沼謙冶は岩手県だが作品で岩手を強調した物はなかったと思う。吉さんの♪テレビもネ~~五所川原♪みたいに、地域の名前が出る唄が観光大使の条件だと思う。とにかく、その当時は面白おかしく聞かせたもらったこの曲。何人の人が覚えているか?。

2009年11月30日月曜日

夕焼け雲 (千昌夫)


千昌夫さんといえば、天国と地獄を味わったタレントとして、いまでも苦労人大臣として浮いたり沈んだり。この曲がヒットした当時は、絶好調の上り坂の頃だったと思う。奥様は外国人で、自称金髪ころしと言っていた。私もこの頃は順調に人生を積み上げていた。カラオケが普及し出して、どこの店に言ってもカラオケ、第一興商の独壇場といったところでした。なにか十八番を用意しておかないと恥をかいたものでした。そこで、”夕焼け雲”が私の十八番でした。二ユーミュージックなんかは居酒屋ではご法度、酒は涙かの世界が存在したのです。ケースバイケース、ど演歌ではないが、ソフト演歌くらいたしまないと仲間はずれにされたのです。この曲は結構受けて、地方出身者はお涙ものでした。

2009年11月29日日曜日

海峡  (吉幾三)


船で海峡を渡ったのは最近のことで、ただ海を渡るのと違うという実感を知りました。以前は海峡と言うと海の底が深い、とか潮の流れがきついぐらいの認識でしたが、実際にこの曲のように津軽海峡を渡ってみて、その海峡の意味が分かったような気がします。海峡とは区切りとか決別、覚悟などを含んだ新しき旅立ちの意味で、渡る意味のある海なのです。素晴らしい歌なのですが、若干、吉さんの津軽弁が気になります。吉幾三ファンにはたまらない魅力でしょうが、楽曲としてはすこしマイナスでしょうね。そんな事はともかく、雪国や海峡は冷たい悲恋の代表作で好きです。

2009年11月28日土曜日

狙いうち~SHAKE HIP (米米クラブ)


目立ちたがり屋バンドの地位を確立したのが米米クラブだ。私の姪は、米米の女性ダンサーに憧れて、自分のダンスを録画して遊んでいました。今でこそ、youtubeに投稿ダンスがいっぱい流れていますが、その姪も二児の母になりました。まさに、こういう時代を経て目立ちたがり屋の時代が到来したのであります。元歌の山本リンダさんも驚いているでしょうね。まさか自分の過去歌がこんな形で再来し、野球の応援歌にまでなるなんて思わなかったでしょう。現在、若者のあいだで流行っている”噛むんとニャンニャン”のルーツは、辿って行くと、米米クラブから山本リンダまで辿れるかも知れませんね。

2009年11月27日金曜日

ACT SHOW (スペクトラム)


このバンドを始めて見たとき、じっさいにブッタマゲタ。普通は、メインの歌手がいて、バンドは奥に引っ込んでいるものだった。楽団は陰の立役者だった筈が、こんな衣装を身にまとい、目立ちたがり屋の集団になるとは思いもしなかった。エレキギターのグループならけっこう居たが、管楽器なんかふりまわし、スパルタカスのような格好でおどりまくる。その後、米米クラブや女性だけのブラスバンドなんかも目立っていたが、元祖目立ちたがりバンドは、スペクトラムだろう。ついていけないオジサンバンドは羨望のまなざしで観ていた。

2009年11月26日木曜日

フレンズ  (レベッカ)


この曲の思い出はメディアという言葉。この曲を購入したのがCDであった。その前まではレコード板かカセットテープであった。CDプレーヤーを初めて購入して、それのメディアを買ったのがこの曲だった。針がトレースする音がまったくしないので、突然ガ-ンと来るのにはおどろいた。そして、夏の車に放置して、湾曲したのもこのCDだった。しっかり新しいメディアの注意事項を学んだのもこのCDであった。したがって、私の音楽環境で記念すべき一枚である。それから時代は流れ、今では、メディアをダウンロードする時代へと変化して、ますます、ついて行くのが大変になった。

2009年11月25日水曜日

好きさ好きさ好きさ  (カーナビーツ)

 
カーナビーストリートから名前を取ったグループで、かん高い声でがなり立てるアイ高野という、ドラムス兼ボーカルがメインだ。我がバンドのメイン曲にしたのは、♪好きさ好きさ♪を繰り返し、終わったと思わせ、また繰返す受け狙い的なものだった。東スポの流血○○はメインボーカル兼リーダーとして、東スポ的センスでこの曲を初めと終わりにうたった。聞くほうも、半ば迷惑と付き合いで聞いていた。カーナビーツの原曲から程遠い、我々独特の”好きさ好きさ好きさ”は業界では、笑い者の種になっていた。

2009年11月24日火曜日

青空のある限り (ザ・ワイルドワンズ)


加山雄三といえばワイルドワンズの名付け親、と言う話は有名だ。この曲は我がバンドでもレパートリーになっている曲でして、私がリードギターを弾いて居る曲でもある。この曲の特異性というのは、ギターにエフェクター(効果装置)をつけて、音を歪ませる事だ。この曲をリクエストして唄っているのは、東京スポーツの文化部にこの人ありと言われた、流血○○である。本人と周辺の人だけ分かると思うが、まだ、現役かは定かではない。私達のバンドで最高に傑作な曲は別にある。今度はその曲にスポットをあてる事にしよう。

2009年11月23日月曜日

夜空の星   (加山雄三)


グループサウンズとは少し違うポジションに、加山雄三がいた。当時のエレキブームに乗っかってヒット映画の若大将シリーズに”エレキの若大将”という作品をリリース。エレキの神様、寺内タケシ巨匠のバックでこの曲を演奏した。作曲は弾厚作、加山本人だ。もうとっくに還暦を過ぎた加山雄三ですが、いまだにエレキを抱えて活動しているのは素晴らしい目標でもある。我等がSSBバンドでも、レパートリーに入っているが、どうしてもアップテンポな曲なので走り出す。曲の終わり頃には”夜空の流れ星”になっている。というようなバカバカしいネタで御座いまして、もう、若大将のように格好よくいきませんで、所詮、貧乏人は馬鹿大将くらいなもんです、はい。

2009年11月22日日曜日

スワンの涙 (オックス)


オックス、意味は単なる牛。他のグループがタイガーやジャガーと動物名だったので、そうしたんだろうが、今で言うと嵐って感じの坊や集団。あまり大人びた所はなく、メルヘンチックなグループだった。だから、男のファンは少なく、女の子ばっかりのコンサートで、失神者続出の大変あぶない状況だった。それも、ブームが過ぎると変るもので、ボーカルの野口ヒデトは演歌に転進した事もあった。”スワンの涙”は後半、♪何時か君が見たいと言った遠い北国の湖に♪彼女と行く筈だった歌だ。私もスイスの湖に二人で行く筈だったが、未だに叶わぬ旅となってしまった。ひとりで、北海道の湖で唄った事がある。

2009年11月21日土曜日

エメラルドの伝説 (ザ・テンプターズ)


このテンプターズと言うグループのボーカル、萩原健一と言うひとは、高校が同じだったのでよく覚えています。直接は知らないのですが、噂では、かなりの暴れん坊だったと聞いていました。今でもすこし感じはしますが、男子校ですから、致し方ないとも思います。我々も椅子を投げたりした事もありますしね。ただ、俳優にまで成られるとは思いませんでした。もともと、個性的な人とは言われてましたから、いい役者になられて同学卒業生としては誇りです。がんばってください。

2009年11月20日金曜日

本牧ブルース (ゴールデン・カップス)


グループサウンズのブームが起きた頃、異色のバンド、ゴールデン・カップスと言う、ライブハウスと同名のグル-プがいた。この店の常連バンドだったので、横浜の本牧まで聞きに行ったことを思い出す。今でこそ、あたりまえのようなセルフのGASスタンドも、NO・TAXスタンドとして本牧には存在した。自分でガソリンを入れて、店の中で勘定をするのがカッコよかった。そして、カップスの店内で、GOGOを踊り、外人みたいなハーフに呼び出され、渇揚げされた嫌な思い出もある。だけど、悪は悪でも、電車賃だと言って1000円返してくれた。変な不良達だったな~。

2009年11月19日木曜日

アランフェス協奏曲  (川井郁子、村治佳織)


アランフェス協奏曲はどうしてこんなに物悲しい旋律なんでしょう。有名な話ではあるが、作曲者のロドリーゴが、この曲の創作中に、わが息子の死を知らされたからだ、と言う説が有力だとか。ギターを趣味にしていると、この曲やアルハンブラ宮殿の思い出なんか弾きたくなる。しかし、ほとんど挫折に終る。禁じられた遊びすら最後まで弾けないのに、これらの曲が弾けるわけも無い。そこで、なんちゃって奏法だ。どうせ、この曲をあまり知らない人に、聞かせ様アレンジ。それらしく聞こえるように、いい所取り演奏。本当にいい加減な性格に反省ひとしきり。駄目な性格だ。

2009年11月17日火曜日

君に会いたい  (ザ・ジャガーズ)


このグループのボーカル岡本信君は亡くなった。まだ私と同年代で早すぎた死であった。我々のバンドでもこの曲は定番で、何度も演奏している。六本木の交差点にある有名なアマンドのビル、そこの最上階に”泥棒貴族”と言うクラブがあった。そこのオーナーが昔ジャガーズのマネージャーをしていたそうで、飲みに行った時カラオケで歌った記憶がある。六本木もかわったなぁ。”泥棒貴族”も無くなっていた。グループサウンドには想い出が多い。少し集めてみようと思う。

More than Words(ARMS) (ヤードバーズ)


ロックギタリストヒストリー。興味のある人は知ってるでしょう。クリームのエリッククラプトン、ジェフべックグループのジェフべック、レッドツェッペリンのジミ-ページ、これだけの№1ギタリストがいたバンド、知ってますか。それぞれのバンドはかなりのヒット曲を持ち知名度も高い。ヤードバーズ(庭の鳥)はギタリストの登竜門としてマニアのあいだでは知られている。この人たちに憧れて、日本からも数多くのギタリストがコピーで腕を磨いて、その実力を世界に見せつけるようになった。ビートルズが不変的バンドなら、ヤードバーズは産出的バンドだ。阿吽倶流も練習したけど挫折しました。クラプトンのホワイトルーム少し出来たよ。

2009年11月16日月曜日

灰色の季節 (加藤登紀子)


このシュチエーションは女性だが、阿吽倶流が青春の頃、自分に照らしたこの唄。情熱を燃え上がらせる季節とその炎を消そうとする青い影。その正体が解からないまま時は過ぎ行く。正体を見た時に、大人としての妥協やらしさを身に付けて、すっかり良識人になりきって、若者批判をしていた。あの頃、いったい何がしたかったのかも忘れている。あの時はこの唄の人のようにピュアであったはず。今からでも、決して遅くは無い。気持ちだけでも戻りたい、好奇心と欲望の季節に。

2009年11月15日日曜日

あなたと生きる (八代亜紀)


女性演歌はあまり聞かないのだが、この曲は聞いてしまった。最近女性の結婚詐欺師が横行しているが、男って馬鹿な生き物で、この歌のような女が近寄ってきたら、見事に遣られるだろうな。別に、八代さんがそうと言ってる訳ではなくて、男心をくすぐる以上に、本能に胸から飛び込まれたら、全財産注ぎ込んでしまうかもしれない。もちろん、いっぱい持っていればの話だが。八代亜紀さんの名曲はかずあれど、まさに私の名曲は、地味でYOUTUBEにも少なかった。

2009年11月14日土曜日

涙の連絡船 (都はるみ)


都はるみのファンではないのですが、前に”魚影の群れ”と言う、相米慎二監督の映画を観た時。女優の夏目雅子さんが、長い坂道をこの歌を唄いながら、海岸通りまで下りてくるシーンがあった。その景色が忘れられずに、下北半島のはずれ、大間の町まで旅をしました。緒方拳主演、佐藤浩市、十朱幸代さんなどの名優が織り成す人間模様。私の知る限りでは、その映画のあと、こんなに大間のマグロが騒がれるようになったと記憶しています。大間の丘にある公共温泉で、TVに出てくる漁師さんと、ご一緒に入浴したのがいい思い出です。

2009年11月13日金曜日

ソウル.トレインのテーマ (MFSB - TSOP)


わたしは黒人を特別な感情で見たことは無かった。子供のころには、近所に米兵がいたりしたから、そんなに違和感は無い。テレビでソウルトレインと言う番組をよく見ていた。ペアの黒人が一組ずつ踊りながら、カメラの前に出てくる。楽しそうだった、みんな踊りうまいしね。あの頃、アフロヘアーでベルボトムのジーンズはいて。あの番組でファッションのセンスを磨いたものだ。国内でも、黒人の活躍はどんどん増えて、差別は排除された。飲料水のカルピスマークから黒人が消えたのも、その事実を表している。みんな、仲良くやろうや。

2009年11月12日木曜日

過ぎてしまえば (森田公一とトップギャラン)


このひとも若くして逝ってしまった、残念な逸材です。詩を書いた阿久悠先生も、今はもういない。それだけ阿吽倶流も高齢にちかずいたと言う事ですか。この詩はわたしが書きたかった。自分の頭の中をスプーンで、全部掻き出された思いだ。すべてが相槌、納得、同感、共鳴。なんでそんなに自分の事を知っているのかと、不思議に思うくらい一致する我が思い。だから、阿久先生は天才なんだ、としか言い様が無い。願わくば、自分もこんな詩が書けたら、と思っている。

2009年11月11日水曜日

二ューヨークシティ・セレナーデ(クリストファー・クロス)


この人は、幼少期に日本で暮らしていた。父親が軍医のクロス先生、米軍司令部やキャンプを周っていた。当然一家で日本に暮らすクリストファー君は、私の地区にあった司令部にいたのだ。何かの音楽番組で、子供の頃の思い出を話していて、聞きなれた地名が出てきた時はおどろいた。阿吽倶流と彼は同年代、基地の開放日なんかで逢ってたりする事は有りうる。それを知った時から、不思議な親近感が沸いてきて、彼の曲を好きになったのだ。彼も頭、薄くなったなぁ。

2009年11月10日火曜日

しれとこ旅情 (森繁久彌)


今、ニュースで知りました。あの名優の森繁さんが、冥府の旅に出られました。キ-ボ-ドで、もりしげ、と入れただけで一発変換されるほどの偉人です。九十六歳と、高齢でしたので、阿吽倶流の名曲の中で取り上げたのも束の間、現世の修行を済まされて、西方に旅立たれました。私が知床の地でくちずさんだ”知床旅情”も、この唄の影響でこの地に行けたのです。かずかずの名作を残し、後世の為によき指針を示していただき、有難う御座いました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

島原地方の子守唄 (岩崎宏美)


まだ二十歳前の頃、大親友と、一人の女性に両方が好意を抱き、トライアングルな関係になった事がある。その女性は島原の出身で、この歌を良く唄っていた。今思えば、親友は全然違う女性と結婚。今は消息不明で、私は婚期を逃し独身。その女性もどうなったか?。有楽町の日劇の地下にあった映画館で”雨の朝パリに死す”と言う映画を二人きりで観た事を思い出した。親友に後ろめたさを感じながら、だけど、幸せいっぱい、な気分。想い出は奇麗だ、この歌も奇麗な想い出だ。

2009年11月9日月曜日

うさぎとかめ(唱歌)


突然どうした、狂ったか。そうではありません。この曲には深い思い出があるのです。そして、お世話になっているのです。自動二輪の検定の時、幅30cmの板の上をゆっくり走行して、脱輪せず、なおかつ11秒以上の時間をかけておりる。こういった難関を突破しないと、免許が取れません。この歌を頭の中で唄いながら、下を見ないで前を見て、♪もしもし亀よ亀さんよ、世界のうちでお前ほど、~~~どうしてそんなに鈍いのか。♪で12秒くらいだと、白バイの教官をやってた人に教わって、一生懸命この歌で、平均台を走りました。この歌のおかげで二輪免許を取得しました。(笑)

2009年11月8日日曜日

Phaedra (タンジェリンドリーム)


最近、芸能人の薬物汚染が話題になっていますが、思い出したのがこのグループです。薬を使わずに恍惚に導く。音の覚醒剤なんて噂されている、音楽だ。タンジェリンを知ったのは、だいぶ昔になるが、車で聞いていて事故りそうになった事がある。夜中の高速では絶対に聞かないで、家で危険の無い状態で聞いてください。高速道路でカセットを間違えて、タンジェリンを聞いてしまった。助手席の同乗者が、うなされて、突然に手を振り回した。危なくハンドルを切り損ねるところだった。すぐに正気に戻ったが、恐ろしい夢をみたらしい。臆病な人は聞かないで下さい。

2009年11月7日土曜日

Snow Goose Excerpts組曲白雁(Camel -キャメル )


キャメルは知る人ぞ知る、偉大なバンドである。廣済堂出版の友人が、これを聞いてみろ、と貸してくれたレコード。聞いて衝撃が走った。少女フリーダと白雁の物語だ。胡桃割人形や白鳥の湖のように組曲構成になっている。洋津辺には10分の制限があるので、最初の部分だけだが、全部聞くとかなり聞きごこちはある。楽器の構成は現代風で、エレキギターとかシンセサイザーを使っているが、これは立派なシンフォニ-である。クラシックとして聞いても遜色ない。

2009年11月6日金曜日

マンボ天国(Tokyo Panorama Mambo Boys)


ラテン音楽の王道マンボ。そして、このバンドの名物男、パラダイス山元。何が凄いか、と言うと、掛け声。ア~~~ウッ、とか、ウッ。これが抜群にすばらしい。これだけでゲストに呼ばれる事もあるくらいだ。もちろん、彼らの演奏は卓越の域にあるが、何と言っても!ウッ!がいい。初めて聞いたときには人生変った。こんな上手い奴らが、お笑いグループみたいな事をやってていいのか。それまで、№5や闘牛士は聞いたことはあったが、日本にこんな!ウッ!がいたとは知らなかった。
  http://www.youtube.com/watch?v=l3JkmN0Ro8c&feature=related

2009年11月5日木曜日

ランバダ (カオマ)


南国生まれの、リズミカルなトロピカルサウンドで、こんなにも物悲しい印象を受けたのは初めてだった。映像を見ても情熱あふれるイメージなのに、旋律が悲しげだ。もしかして、日本人独特の感性によるものではないかと思うのだ。マイナーコードで作曲されているので、悲しい演歌などと同様な、条件反射で悲しく聞こえるのではないのか。熱い国で、涼しく聞こえさせる為に、あえてマイナーコードを使って作曲したのが、日本では悲しい曲に思えるのではないか。と、勝手に思い込んでいる阿吽倶流であるが、どうなんでしょう。

2009年11月4日水曜日

コンガ (グロリア、エステファン)


この曲は、彼女達のバンドが、キューバから亡命して来て、初めてのヒットだったと記憶している。キューバンバンドは、日本でもあったが、本場物とはちがう。そして、この曲の、早口と言うが活舌の滑らかさは絶品である。特に、活舌のおそい私には、到底まねの出来ない芸当である。そんなに大きくない彼女のステージの迫力はものすごい。ただ圧倒されるだけでなく、バックバンドも最高である。自然に体が動き出す衝動を、抑えるのに大変なくらいだ。変なオジサンになりそうである。

2009年11月3日火曜日

愛のきずな (安倍律子)


この人がデビュー当時、あまり興味は無かったのです。いかに若い頃の審美眼がいい加減というか、観る目が無いというか。こんなに時間が経ってから魅力が解かるとは、なんともはや。本名は熊木さんと言うらしいが、知る所では、熊木姓は埼玉県の戸田市の多い名で、彼女は北海道の出身。先祖はなんて、どうでもいい事だけど。歌の上手さはプロ級。プロだから、あたりまえか。でも、こんなに雰囲気のある女性だったのを、知らなかった若き日が恨めしい。とにかく、いい曲だ。

2009年11月2日月曜日

美しき天然 (marebit909)


ギターをはじめたのは十代の頃でした。大人になって、どうしてもバイオリンが弾きたくなって、リサイクルショップで買いました。そして、初めて弾けた曲がこの曲です。長崎の九十九島の美しさを音にした、サーカスやチンドン屋でなじみのワルツです。ギターは5フレットで改弦(下の段)ですが、バイオリンは4フレット、と言うか、フレットがありません。耳がたよりです。ボウと言う弓で、松脂を付けて擦ります。小刻みに運指をトレモロさせて、むずかしい。想い出の曲です。この女の子と同じくらいには、弾けるようになりましたが、人の居ない所で練習してました。

2009年11月1日日曜日

悲しき恋歌エンディング(韓国版より)


韓流ドラマを観る様になって、どっぷりはまって、暫くは韓流ドラマばっかり観ていた。クオンサンウのものが多かった。それから、秋の動画のお兄ちゃんの、兵役逃れ事件などがあり、冬ソナのブーム。どこまでエスカレートする事やら。とにかく、これをきっかけに、お隣同士の国が仲良く出来ればいい事だ。今日は11月1日でオール1の日だ。今日から、1日1曲更新にしました。ネタ切れになると寂しいですからね。

2009年10月31日土曜日

『秋の童話』~Reason~韓国ドラマ 


ふと観てしまった病院のシーン。小さな男の子が、生まれたばかりの赤ん坊の、名札をいたずらしてしまう。後が気になって次週も観てしまった。そして、最後まで何週間もみつずけてしまった。それから韓流ブームが起こって、色々と観ている。まさに、きっかけとなったドラマである。今年米寿の母も、夢中になって見ていた。内容が分かり易く、お涙頂戴の展開が、老人にも愛される、親しみやすい作品だからだろうか。時代背景が、現代よりも、少し昔っぽいところがいいのかも。

旅愁  (西崎みどり)


テレビの主題歌としてヒットしたこの曲、毎週欠かさず観ていました。何が良くて観るのか、と言えば、悪の権化とも言えそうな、悪役を、必殺の連中が色々な手口で懲らしめる。と言うよりも、残酷な手口で仕返し殺戮を行う。正義だから許されてしまう。正しい事をした仲間は、毎回、笑いながら、反省のかけらも無い。悪党は処刑する、無法世界のテーマソングとして、若干15歳の女子が歌う。複雑な気持ちで観ていた。子供ながらに、悪人は叩き切るものとして認識した。まあ、現実には出来ないから好いとして、ほんとにやる奴いたらこまるよね。

2009年10月30日金曜日

東京ららばい (中原理恵)


ららばい、とは子守唄の事、知ってますよねぇ。なぜ”東京ララバイ”なんでしょうか?。そうです、東京は眠らない都市なのです。私の知り合いで”N”という友人が居るのですが、この男眠らないのです。飲み屋が終わって、行き場を無くしても、彼の部屋へゆくと必ず起きていて、レミーマルタンを燻らせながら、好きな音楽を聞いている。そして、朝は勤めに行くのだから不思議だ。聞くところによると、ぜんぜん眠くならないのだそうだ。一時、昼、会社に行き、夜はバーテンのバイトをしていた。そのころ知り合った友達だが、今も寝ていないのか、交遊が無くなってから、消息は分からない。

悲しみは駆け足でやってくる  (アン真理子)


作者によると、この曲を発想したきっかけは、なんと、お経だそうです。お経と言えば、どの宗派にも有りますし、外国にも同じようなものが存在します。まことに失礼な発言とは思うのですが、歌謡曲とお経の役割は、かなり近似値のような気がします。お経が、ただの棒読みでない事からしてそうです。抑揚の中にメリハリがあり、上手な僧侶はいい声をしている。そんな事で、お経に興味を持った事があります。字の読めない人の般若心経は絵文字で書いてあります。猿がほえて、手のひら、2回。お腹の絵がつずいて、”ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー”と読むそうです。(笑)(失礼)

2009年10月29日木曜日

思秋期  「岩崎宏美」 ピアノ:羽田健太郎 

 
この歌は造語である。思春期の春を秋にした事で、青春の憂いを表現したのだろう。阿久悠先生の渾身の名曲だ。そして、名作曲家の三木たかし先生とのマッチングも最高である。抜群の歌唱力を誇る、岩崎ひろみ譲と、この回のピアニスト羽田健太郎氏と、最高に贅沢な編成。そして、二度とかなわないグッドタッグ。有能な芸術家たちの、あまりにも早すぎる冥府への旅立ち。三人とも、現役でいて、突然の訃報と言う展開に、芸能界もショックを隠せない。いい仕事をした人には、もう少し長い寿命を与えて下さい。代りに悪い人を連れて行ってください。神様お願い致します。

sara  coba(コバ)


姪っ子(姉の子)に、いいアーティストが居るよと話をしたら、パルコで捜して買ってきてくれた。気が利いていて、いいのだが、代金2~3千円では済まないよなぁ。お礼を含めて結局5千円。高いものにつく、叔父さんはつらいのだ。コバを知ったのは、だいぶ前で忘れたが、タモリの音楽番組に出演していて、かなりの実力であった。ヨーロッパの権威有るコンテストで優勝するほどの技量である。日本のアコーデオンの印象といえば、横森良三さんのイメージがあって、彼が第一人者だったが、今はCOBAである。

2009年10月28日水曜日

鳥の背に (布施明)


人生の迷いや、行きずまりの時、こんな歌が流れていた。”傾いた道しるべ”布施明の曲である。確かに素晴らしい曲なのだが、聞いているうちに、裏(B)面の”鳥の背に”を聞いて、癒された。映像が見えて来るのだ。道しるべの方は切実で、傷口を広げるのに対して、鳥の背は心を静めて落ち着かせてくれる。音楽の役割の両極がここにある。高揚させる曲と、沈静させる曲。やはり、秋には沈静がいいと思います。紅葉の山肌が浮かんで来るようです。

燃える秋 (ハイ・ファイ・セット)


秋になるとピッタリの曲がこの歌である。ボーカルの山本潤子、同姓同名の人を知っています。かつて私の暴走ともいえる駆け落ち(偽装)に、警告をしてくれた人でした。婚約者から暴力を受けるという、言葉を間に受け、同情半分の失踪をしました。駆け落ち相手の彼女は、また別の男と消えました。元婚約者はボクサーだったので、尋ねてきた時はビビリました。彼女がもう居ないことを知り、九州に帰って、家を継ぐと言っていました。移り気は彼女の病気です、と言って、責めもしなかった。わたしも、山本潤子さんの忠告を聞いていればよかった。いまでは、いい思い出ですがね。

2009年10月27日火曜日

さすらいの唄 (森繁久彌)


わたしのブログのタイトルにもある彷徨いに似た、”さすらいの唄”。大正時代に、あの北原白秋によって作詩されたこの唄。まさに私の好きな大正浪漫の世界である。最近の唄と違い、純文学の作家が歌謡曲を作っていた時代だ。何処から刺しても一遍の矛盾もない作品。白秋は老いと言う事実を白い秋と表現した。これは、青春を意識して、青や赤に勢いがあっても、最後には皆、白になる、と言う教訓を自らのペンネームとしたのではないか。ちなみに、赤ちゃんの誕生と黒冬は臨終かも?。

岩尾別旅情  (さとう宗幸)


高校時代からの親友が教えてくれた、岩尾別旅情。そこが何処かも具体的には知らず。北海道ひとり旅を決行して、初めて知ったのは、其の奥に地の果て温泉があって、そこが、一軒宿だった事だ。途中、バイク宿のようなところが一軒建っていたが、平屋造りで、営業しているかさえも判らない。この唄の舞台がここだとすると、複雑な心境である。その親友の想像では、なにか理想郷のような場所を想いうかべていたようだ。親友とも、数十年会っていないけれど、あそこへ行ったと言わないでおこう。

2009年10月26日月曜日

遠くで汽笛を聞きながら (堀内孝雄)


カラオケでよく歌った唄にこの曲がある。風邪で喉を痛めていた時に、この唄を唄わされて、のちに、快復が遅れて、十日も声がでなかった。唄に罪はないのですが、風邪で酒をのみにゆく。これは自業自得というものでしょうがないのですが、言葉を失う辛さをしみじみ感じた経験です。からだは動くのに声が出ない、電話も出来なければ、人を呼んだり助けも呼べない。あたりまえの物を失う辛さ、と逆に、有ることえの感謝、ありがたさを、この曲で思い出します。

ふれあい (中村雅俊)


映画関係の宣伝を仕事としてる連中と、エレキバンドを組んだ事があった。みんな、三十代だったので名前をシルバーシートバンドと呼ばれた。ある日、東映の宣伝部の方が、帝国ホテルで結婚式をするので、余興をたのまれた。式が終り、二次会には、角川春樹さんが提携してる銀座のクラブが、休日なので、そこへぞろぞろ付いて行った。メンバーや中村雅俊さん、もちろん角川さんや梨本さんオスギさん、豪華メンバーでした。角川さんが輸入してた、クイーンエリザベルは飲み放題で、ぐでんぐでん。芸能人も何も無く、雅俊さんはトイレで寝るは。思い出します、あの日の失態。

2009年10月25日日曜日

津軽三味線組曲 (高橋竹山)


昔、寺内タケシとブルージーンズのじょんがら節は、ステージで聞いた事があった。しかし、歳を重ねて来ると、やっぱり、日本人の血が目覚めてくるのでしょうか。公会堂で本物を聞く機会がありまして、ショックを受けたのです。エレキサウンドは偽者で、食べ易くした料理だったのです。本物食ったら、あれは、何だったの?、て言う感じですかね。凄い、のひと言でした。そして、東北の旅に行ってしまう事になるのです。でも、竹山さんは、とっくに東京で暮らしていましたけど、歌謡曲の”風雪流れ旅”の舞台が見たくて旅をしたのです。私の悪い病気みたいなものです。

江差追分 (不明)


幕末に江戸の戦艦で蝦夷を目指し、自由の新天地を求めた榎本武揚や土方歳三らが、最初に着いた港。それが、江差港だった。それ以前より、この唄は存在した。以前NHKの講座番組でこの唄の歌唱指導を放送していて、見るからに地元の漁師という感じの、青坂さんという方が出演していた。それが、上手いの何の、チャンピオンであった。民謡の最高峰、江差追分、尺八と歌唱がユニゾンで掛け合い、陶酔の域に達する。アポロシアターでやったら、絶対スタンドオべーション間違い無し。本物は、判る人には分かるのです。私も江差に行きました。まさに、青坂さんに惹かれて。

2009年10月24日土曜日

チャイコフスキー 弦楽セレナーデ(栄ゾリステン)


秋といえばこの曲。聞いていて秋しか浮かばないのです。新宿御苑の洋式ガーデンで、秋の日に、ベンチでひざまくら。夕日が落ちるのを見ながら語り合った、思い出。傍のカセットデッキからこの曲が流れ、なんと、落ち着いた、人間らしい安らぎの時間なんでしょう。学生時代からクラシックには縁が無かったのですが、その娘に連れられて、渋谷のライオン、中野のクラシック、吉祥寺のコンチェルトなどに行き、じょじょに飼いならされた気がします。私の聴き方は、好きな所聴き。退屈なところは飛ばす。半端聴きなんですが、この曲は思い出付きなんです。

バッハ バイオリン パルティータ (Sarabanda)


この曲を聴いたときに、背筋に寒気が走った。けして、金物でガラスを擦ったような、気持ちの悪さでは無く、心地よい寒気だ。誰しも、そんな経験があると思うのですが、物凄い好みの女性に出逢った時のような感じです。空想したのは、霧が立ち込めるレンガ造りの古城。ときどき垣間見える湖面に写る青空。なにか、前世で見たような光景がフラッシュバックのように点滅する。目を閉じて聞いていると、頭の中が回転してくるのです。これは、なんなんでしょうか?。よく判らないのです。

2009年10月23日金曜日

潮風の吹く町 (森田由美恵)


作詞講座で、なかにし礼先生の作詩法が思い出される。それは、カメラワークの手法と言って、この曲が例題に出された。♪故郷は遠い北の果て、潮風の吹く街♪で小さな港町が映し出される。♪荒れた手をして網を編む、小さな母の肩♪で老婆の手元を写し、しだいに肩へ流す。シーンは移り、都会の女性に替わる。と言ったように作詞して行く。これは技術的なプロの技です。この歌手の方、先日、スリム体操の先生で、テレビに出演していました。人生すべての人に遍歴あり、と言う事ですか。私も、ずいぶん色んな事を経験してきました。だいぶ、軌道を外れましたがねぇ。(笑)

北信濃絶唱 (野路由紀子)


作詞家修行の一環として、もっぱら聞いたのが純歌謡と言うジャンル。聞きなれない言葉ですが、歌手志望の若者が、全国にたくさん居るのです。自分もそのひとりだった事もありました。その人達の為には、作家は量産力を着けなければならないのです。好き嫌いなく、何でも勉強だと言う事で色々聞きました。この人は、このコブシを自在に回す歌唱法が、実に心地よい。聞く人の心を癒す治療薬のようです。今時では、流行らないのでしょうが?、当時の地方歌謡ではかなりのファンを持っていたひとです。心が癒されますよ。信濃の夕景が浮かんできます。

2009年10月22日木曜日

スローなブギにしてくれ (南佳孝)


♪ウオンチュウお~れの肩を♪よく唄ったあの頃。今では、こっぱずかしくて、よう唄わんわ。あれ、なんで関西弁なんや。実は、この映画、関西の女性と観にいったんや。その時はなぁ、関西弁が移ってもうてな、そりゃもう、たまらんかったわ。飲み屋の娘で、どうしても連れて行ったってくれとたのまれて、映画観て食事して、それだけやったけど。この映画観ると、なんや関西弁が聞こえてくるんよ。あの、耳障りのいい、心地よい柔らかないいまわしが。あの娘、どうしたかなぁ。

SUMMERTIME - Janis Joplin


サマータイム、作者ガ-シュウインは驚いただろう。クラシック(一級品)音楽として作曲したものが、R&Bとして、こんなにも大勢のひとに聞かれるなんて、思いもしなかったろう。作品は自分を離れた瞬間から、命を持って一人歩きを始める、と、なかにし礼先生がおっしゃった。生まれた子供が、親の思いどおりに成らないように。この言葉は、私の人生の教訓になった。ジャニス.ジョップリンの渇いた歌唱と、正反対の潤いのあるスミ.ジョーのサマータイム。どちらも元は同じ曲です。
 スミ.ジョー   http://www.youtube.com/watch?v=qW-5wv3CiYE

2009年10月21日水曜日

さいはて慕情 (渚ゆう子)

べンチャ-ズといえば、日本の曲を作って来たが、そのヒット曲のおかげで人気の出た歌手も多い。渚ゆう子もその一人だった。京都慕情、長崎慕情、と慕情つながりでヒット。さて、べンチャーズも忙しい。当時はエレキサウンドが流行っていたから、何々風と言う事でスプートニクス風の編曲をした慕情。それは、北の最果てをイメージした、この曲である。その頃はいい歌だ、程度の感動であったが、最果てを旅してから、どうしても聞きたくなったが廃盤になっていた。youtubeは有り難い、廃盤になった曲をUPしてくれる方がいる。ひさしぶりに聞きました。

北国の青い空 (ザ・ベンチャーズ、奥村チヨ)

自分が、どうしてこんなにも北海道に憧れを持つのか、考えてみると、この曲がきっかけだったのだと思います。♪北国の空と湖♪や♪白い小舟にノバラを飾る♪、そんな映像が頭から離れ無い。橋本淳先生の絶妙な言葉絵具の使い方に、心臓をえぐられてしまったのです。頭の中の映像と、おんなじ場所を探しに旅に出ました。そして彷徨いつずけて、ある日、大雪山のふところに有る、糠平湖という湖に行き、白い朽ちたボートを見つけました。思わずここだ、と感じました。そばにはせせらぎが流れ、空は快晴。あの時、思いは完結しました。いまでもこの曲とそのビデオを楽しんでいます。

2009年10月20日火曜日

小さな日記 (岡田可愛)


これでも学生時代は山岳部の連中と、丹沢表尾根縦走や北アルプス涸沢経由上高地。いろいろ行きました。当時流行っていたこの曲は、山に行くと思い出します。山言葉と言うのがあって、女性が花を摘みに花畑へ行くと言ったら、けして、付いて行ってはいけません。な~んでか?、それはね、トイレの事だからです。男は、雉を射ちに行く、とか、大雉、小雉、空っ雉、なんて、はしたないことを。失礼しました。テントの中から、満天の星を眺めて、この曲を歌ったものです。

想い出の九十九里浜・・・Mi-Ke(ミケ)


20代の後半だったと思いますが、男ばかりの友人達と、九十九里浜に軟派サーフィンに行きました。もちろん、ボードを持っている友人も居たので、やった事も無いのに沖へ出て、えらい目にあってしまった。波が来たら、波にあわせて、両手で勢い良く漕がなければいけないらしい。いくら乗ろうとしても波の瀬が過ぎて行くばかりで、どんどんビーチから遠ざかってゆく。助けを求めて手を振っても、奴らは楽しんで手を振ってると思ってる。そこへ、ビッグウエーブが来て、浜辺に押し戻された。助かった、下手したら死んでたかも。命拾いをした、思い出の九十九里浜でした。

2009年10月19日月曜日

津軽のふるさと (塩田美奈子)


この曲は、美空ひばり歌唱、米山正夫先生の故郷の歌である。17才の頃歌手になりたいと思い、バイトをして歌謡教室へ通う計画をした。資料を調べ、米山正夫歌謡教室が浅草の旭ビルにある事を知った。さて、次はバイトですが、バイト就職大辞典、と言う本を平凡と言う歌謡雑誌で買い求めた。バイト捜しといって友達をあつめ、4人くらいで、条件のいい仕事を見つけて、会社に行くと担当者不在。第二候補の郵便局にゆくと、募集していないらしい。何軒か電話して、その、バイト就職大辞典は、詐欺デタラメだと解かった。引っかかったのだ。それで、高校生の夢は儚く散ったのだった。

イムジン河 (新生フォーク・クルセイダーズ)


5日ほど前の投稿で、”8月の濡れた砂”の中で、思い浮かんだ言葉が、悲しくて悲しくてやりきれない、と書いた。ふと、脳裏に加藤和彦氏が浮かんだからだ。この、”イムジン河”は、若い頃に作詞の勉強をしていた時、四番の歌詞を作った事が有る。もちろん、自分以外誰も知らないが、加藤氏が歌ったらこんな感じかな、と想像した事はあった。テレビを見てびっくりした。加藤氏の自殺。彼の悲痛な思いが、あの時に私の脳裏にも飛んで来たのか?。この一年、考えた事も無かった加藤氏の近況を、ふと、思い出した直後だったので驚いている。

2009年10月18日日曜日

償い (さだ まさし)


最近こんな曲が話題になっています。さだまさし繋がりで思い出しました。これが本来の歌の役割かもしれない。歌をとおして大切な事を伝える。歌の力で感動を与える。歌の不思議な魔力は、このような曲に込められているのです。字余りなんか気にしない。飾り言葉もいらない。嘘の無い心からの叫びが、人として生まれ、人として育てられた、心の真髄を打つのです。この歌を聞いて、こみ上げる感情が無いとしたら、ニヒルで刹那的な生き方を強いられて来た人でしょう。極普通の人になる難しさ、普通の人でいつずける葛藤。この曲は、それを教えてくれました。

無縁坂 (さだ まさし)


私がまだ飲み歩いていた頃、ある、地下の小さなパブスナックで、この歌を唄った。Uの字カウンターの向こう側で、溜息と嗚咽が聞こえた。東京に出てきた大学生であろうか。急に、コップの酒をあおり、「すみませんもう一度お願いします」、と言って来た。この歌が好きなら、ご自分でいかがですか、と返したら、素直に、「はい、そうします」、と言ってマスターにリクエストしました。何があったのかは知りませんが、彼は、泣きながら唄っていました。周りの客も、事情を察し文句を言う人もいないどころか、もらい泣きしてた客もいました。いい人ってけっこう居るんだな。

2009年10月17日土曜日

群青 ぐんじょう   (谷村新司)


一度目は同棲。二度目は台湾の女性。三度目のマジ恋が終わった時、この曲が世に流れていた。”連合艦隊”と言う戦艦大和をテーマにした映画の主題歌である。ふたりでよく行ったパブクラブで、付き合いを止めてからの偶然の再会。お互いに軽い会釈をして、離れた席に着いた。両方が友達連れで、みんな事実を知ってる連中なので、気まずさが走った。前からリクエストしていたこの曲が流れ、私はカラオケのマイクをにぎった。あれだけ、気持ちが入った歌はひさびさだったのを覚えている。その後、すぐに店を出て、仲間と飲み直した。あれから、あの娘には一度も逢っていない。

遠くへ行きたい (芹 洋子)


わたしの彷徨い癖は、この歌が原点のような気がします。仕事などの出張で、知らない街に行くと、裏通りを歩いたりする。誰でもがそうだと思うのですが、自分の場合、他人の生活を見るのが好きなんです。そう言うと、なにか覗き魔のように聞こえるが、そうではなくて、知らない街の人になってみたい願望です。一時でいいのです。その街の市場で買い物をしたり、共同浴場で隣の人の会話に、耳を傾けたりしたいのです。その、知らない街の風になる。うまく言えないけれど、前世で、ここに住んでいたのでは、という感覚を求めて旅をしています。何となく、解かりますか?。

2009年10月16日金曜日

スカボロー・フェア (サイモンとガーファンクル)


映画、卒業の中で、不思議な感覚を覚える挿入歌だった。もちろん、サウンド.オブ.サイレンスやミセス.ロビンソンの名曲もこの映画からヒットしてている。私がはじめてビデオデッキを購入した日に、卒業をテレビ名画劇場でオンエアーしたのだ。それから、ビデオライブラリーが始ったので相当の量の名作を所有している。流石に、VHSが2000本以上も貯まると、部屋はすごい事になってしまった。イチローの2000本安打の凄さが解かる。この部屋の狭さは卒業からはじまったのだと関心している。スカボローの市場に行こう、と言う、デイドリームのような旋律に、今でも押しボタン式の、ガチャンと音がするビデオデッキを思い出す。

ちなみに、中国語版があるので、聞きたい方は。http://www.youtube.com/watch?v=skWBsrQ9sXI

人形の家  (弘田三枝子)


自動車メーカ-の契約ドライバ-に従事していた頃、同僚で麻布のお坊ちゃまがいた。実家の近くにリベルタンと言う喫茶バーがあって、弘田三枝子さん家族がやっているらしい。たまに誘われて飲みにいった想い出があります。その当時、流行ったのがこの曲だった。お会いした事は無かったのですが、ポスターでは可愛い人でした。現在は少しいじり過ぎて不自然に変わりましたね。その同僚は、マセラッティに乗っていて、テストドライバーとレーサーを同等に考えていたみたいです。地味な仕事に嫌気がさして、結局辞めました。けっこう、彼とは遊びました。彼のおごりで。この曲、英語版もあるので、興味のある方は。 http://www.youtube.com/watch?v=esvIc6A50K8

2009年10月15日木曜日

ジョーのダイヤモンド(朱里エイコ)


朱里エイコはもう、この世にはいない。さみしい最後だったと、ネットで観た。R&Bを歌わせたら、右に出るものはいなかった。左に出る者がいる、歌謡曲の世界で勝負したから良くなかった。和田アッコのように、舎弟でもいっぱい作って、自分の世界を維持する人もいる。しかし、流行歌というように、流れ行く歌は、いつか消えて行く。そして、歌とともに歌手も忘れ去られ、世代交代してゆく。”北国行きで”で一世を風靡した彼女の死は、歌謡曲自体の宿命を写し出している。

ミスティ、トワイライト(麻倉未稀)


麻倉未稀さん。デビュー当時、こんなハイセンスで綺麗な方は、なかなかお目に掛かれない程の美人。そう思い、LPレコードを購入させて頂きました。その後”ヒーロー”など、ヒットがつずいて、順調にして居られると思っていました。そして、写真集、最近のお姿。これは、ファンにとってのおおきな裏切りです。私も人の事は言えませんが、女性は、なぜ、ある程度の年齢になると、体形が変化するのでしょう。あんなに美しかったお体が。他にも、亡くなった、朱里エイコさんにしても、ずいぶん変わりましたね。これは悪口ではありません。今でもフアンの溜息です。

2009年10月14日水曜日

榛名湖の少女(布施明)


布施明の代表曲といえば”霧の摩周湖”ですが、関東圏の人間には遠すぎて実感が無い。榛名湖は何度も訪れた事があるし、昔の歌で”湖畔の宿”の舞台でもある。北海道に行った事が無かった頃。もっぱら、湖愁を味わうのは榛名湖だった。実際の摩周湖を観た今では、たしかに素晴らしいと思うが、財力と休日のすくなかった若い頃、榛名湖で癒された時期があった。竹久夢二のゆかりの地でも有る榛名、”榛名湖の小女”と言うタイトルに、夢二の小女が重なるようでもある。

時代遅れの酒場 (加藤登紀子)


夜明けまで飲み明かす元気はもうない。三十代にはよくやった朝帰り。行きつけのスナックや、ミニクラブなんかで、閉店したあと、店長や支配人と延長戦。よく肝臓がもった物だと思う。まるで、この歌の世界観を地で言ったような感じ。閉店時にお愛想(会計)をすまし、あとは期限切れのボトルで乾杯。ギターを弾いて、歌いまくり、プロなみの歌唱力のマネージャーもいた。店の連中も、私と飲むのを楽しみにしていた。ある意味、好かれていた。こんな事がいつまで続くのか、この時間、時期がいつ終わるのか。噛みしめながら飲み明かした。そして、第二、第三の恋もしたりして、その季節は五年ほど続いた。そんな日々も突然終わった。この歌を聞いたから。

2009年10月13日火曜日

八月の濡れた砂 (石川セリ)


井上陽水といえば、必ず思い浮かぶのが奥方の石川セリさん。”八月の濡れた砂”もよく聞いた曲であるが、今時になって聞くと辛いものがある。青春の真っ只中で聞いたこの曲は、そのものストレートで染み込んできたが、青春が過ぎ、白秋に近ずいて来た今、悲しくて悲しくてやりきれない。youtubeで最近の石川セリさんが観られるが、ずいぶん変わられて、オバサマになっていた。て言うか、自分がけっこうな、阿吽倶流(アンクル)に成ったということだ。若い頃、結構遊んだつもりなのに、もういいか、つて思えない。これが、人間の煩悩なのかも。

結詞 むすびことば  (井上陽水)


よく晴れた日に、前橋あたりをドライブしていた。突然、FMから流れ出した曲に、翻弄された。陽水の曲は初期の”こころ模様”から”リバーサイド”まで、弾き語りでもやってたし、よく知ってる方だった。何も考えず、ボーっとドライブしていたら、CD探しの旅になった。この歌の中身。今の自分の環境、心情を貫かれた感じだ。二三軒はしごして、やっと見つけたCDを早速チレンジャーに挿入。何度も聞いた帰り道。いちど火が着くと止まらない性格。直したいなぁ。

2009年10月12日月曜日

ガットギターメドレー (ベンチャーズ)


私がギターを始めたきっかけは、ベンチャーズです。友人から、古いテスコのエレキを、安く譲ってもらい”パイプライン”のポンパポンパの、繰り返しから入りました。一般では、”禁じられた遊び”なんでしょうが。最近、このビデオに出てくる、ジェリーマギーの弾いている、サウンドホールに彫刻の入ったギター。その音色に興味深々です。どこのメーカーの何と言うギターなんでしょう。彼のテクも素晴らしいのでしょうが、ギターも最高です。ぜひとも知りたいのです。

プロジェクトX 地上の星 【中島みゆき】


試験運転手は影武者、表に出る事は無い。NHKのプロジェクトXと言う番組で、メカニック(技術屋)が脚光を浴びたが、その時、三交代体勢で車を転がした人間もいたのだ。夜中はきつい、睡魔との戦いだ。走行中ミントを舐めて、唾を瞼になすり着け、眠気を止める。とにかく結果を出さなければ、と言う思いで団結していた。あの番組で、メカニックが陽の目を見た事は、ドライバーにとっても誇りに思う。その後偶然、テスト車を運んでいた、運送屋さんに逢う事があった。そうか、彼らも影の、縁の下を支えていたんだと、いまさらながら、プロジェクトの大きさを知った。

2009年10月11日日曜日

The Beatles - Live In Japan 1966 2_4


この時、私は中学生。姉の汗止めVAN(ライオン製薬)の懸賞で、入場券のB賞にみごと当選。一人で、日本武道館へ行ったのです。ステージの正面、右二階に、その席はあった。前後、左右とも若い女性だが、当時はまだ少年、年上の女性には興味はなかった。それよりも。歓声がうるさくって、振っている手で頭は叩かれるは、ぶっかって来るはで、散々な目にあった。あの会場に居た事は、青春の記念碑である、とともに、自分が音楽と言う物に目覚めた、出発点のような気がする。歌謡曲くらいは口ずさんだ事はあるが、ギターやドラムなんかの、楽器に興味を覚えたのもこの頃だった。

風が落とした涙 (小川ローザ)


レーシングドライバーの福沢幸雄の事故死から四年後。川合稔ドライバーが鈴鹿サーキットで事故死。人気タレントの小川ローザと結婚半年での出来事だった。事故の車がトヨタ7、恋人が小川、と因縁めいたものを感じる。私は福沢幸雄氏の事故から四年目、メーカーのテストドライバーとして、夜勤仕事で鈴鹿サーキットにいた。その頃の鈴鹿は、夜間照明の水銀灯が集中ではなく、照明の足元スイッチを入れないと点灯しなかった。川合が事故った、ヘアピン手前の110Rで車を止め、夕暮れの草むらへ走り、照明を点ける作業を、ジャンケンで決めたのを覚えている。負けたけど。

2009年10月10日土曜日

モルダウ (スメタナ)


クラシックはこのブログのコンセプトにはどうか、と悩んだが、youtuveで時間制限があるため、いい所取りで結構UPしている。本当は、一滴の水が滴るところから始まるのだが、水が集まって大河になる処から、だけである。優雅なモルダウ川の流れが、スロバキアを出るまでの物語である。叙情詩を音で表現した、心の映像詩ともいえる。これからは、人生を変えた交響曲なんかもとりあげたい。

セントドミンゴ (クスコ)


クスコといえばペルーの都市である。それをグループ名にし、シンセサイザーを駆使した、環境芸術家集団。BGMの域を越えず、陶酔のぎりぎりで収める。なにか不思議な世界観をかもしだす存在だ。このアルバムは”バージンアイランド”だが、他にも”デザートアイランド”など大自然をテーマにした作品が多い。曲と曲の間には、波音が入っていたりして、なにか作業をしている時、とても捗る気がする。都会の渋滞時には特効薬だ。自分は車に常備している。

初恋 (村下孝蔵)


中一の時、後の席の女の子に消しゴムを投げたり、わざと、いじわるしたり。ある日、音楽室で当番の楽器掃除をしていたら、その女の子と先生が、二人きりで話しをしていた、内容に驚いた。転校すると言うのだ。まさか、自分のせいでは、と思いつつ、よくよく聞けば、家の都合で岐阜のほうに越すらしい。心の中に隙間風が吹いた。あれがもしかして?。初恋を歌う村下孝蔵は、やはり若くして亡くなった。大塚博堂と同じ脳内出血が死因だった。この曲は、自分にも起こった初恋の記録と合致する。

2009年10月9日金曜日

めぐり逢い紡いで (大塚博堂)カバー


弾き語りを趣味にしていた頃。この曲を、自分なりのアレンジで、よく唄っていた。アレンジなんて大袈裟なものではないが、ギター一本でイントロからエンディングまで、何となくカッコをつける、ただそれだけ。布施明のカバーだと声が辛い。博堂さんは声を張らないので、まさに、弾き語りだ。やっと通しで出来るようになった時、彼の訃報を聞いた。それからこの曲を封印してしまった。あの若さで、召される事があるんだ。なんか、人事ではなく、自分にも起こりうるかもしれない現実として、命の事を、考えるようになった。

2009年10月8日木曜日

再会 (金子由香利)


いまはもう無くなってしまった、銀座の巴里、銀巴里。その、ちいさなステージで、こんなにも普通の日常会話が、歌に発展してゆく様に仰天した。私が尊敬する’なかにし礼’先生もシャンソンの訳詞をしていたと言う。作詞の勉強がきっかけで、アズナブールやピアフを聞くようになったが、和製シャンソンでパンチを食らったのは、彼女がさいしょだ。この、語りかけるような、囁きかけるような歌唱に、本物の、大人の女性ならではの、魅力を感じてしまった。そして何故、シャンソンには、晩秋が似合うのだろう?。不思議だ。

涙の季節 (ピンキー&キラーズ)


この曲が流行った頃、けっこうタンゴにはまっていた。”真珠とり”と言うタンゴの旋律に失恋のストーリーを重ね、作られたような曲である。作り手は意識していなくても出来てしまう。その頃に、作曲家協会の人と作品を創った事がある。曲先だったので何度も曲を聞き込んで、イメージを創造するのだが、サビが”白鳥の湖”にしか聞こえなかった。作曲家に疑問を投げたら、じぶんも気になっていたらしい。本人いわく、メインテーマから展開すると、これがベストらしい。チャイコが先に創っただけで、真似をしたつもりはないらしい。言葉と音符の数を比較して、なんとなく解かる気がする。

2009年10月7日水曜日

この素晴らしき世界 (ルイアームストロング)


ルイアームストロング。直訳すると、強腕のルイでしょうか。とっくの昔のジャズトランペッターですが、すごいだみ声なのに、味がある。名前が長いので、通称サッチモとよばれていた。数々の名曲を演奏して唄っていたが、エコロジーの時代に、この曲がTVCMなどで、リサイクルされている。資源も音楽も再生の心が大切だ。ウイアーザワールドのように、人にやさしい事も必要だが、世界、地球に、もっとやさしくならないと、手遅れになるかも知れない。サッチモのやさしいだみ声が、訴えている。

青い影 (プロコルハルム)

20代の頃、北アルプスの上高地が好きだった。夜中に中央高速を飛ばして、朝方に着いた。釜トンネルを抜けて、帝国ホテルを過ぎ、終点のバスターミナルで、明るくなるまで仮眠。こんな山奥でラジオが聞こえてる。夜間運転の疲労で、眠気眼でうたた寝状態。聞こえてきたのが、この曲だった。それからと言うもの、この曲を聞くと秋の上高地が、頭の中に浮かんでくる。精神医学的に言うと、刷り込みと言うやつで、条件反射である。目が覚めた時には、白いクラウンハードトップが、唐松の黄色い落葉を、どっさり被っていた。

2009年10月6日火曜日

神々の詩(姫神 海流バージョン)


日本の音楽に、変革を求めていた人は他にもいた。喜多郎、宗次郎、そして姫神。山奥にスタジオを造り、そこにこもって仙人のように曲作り。扱う楽器は、科学技術の最先端のシンセサイザー。なによりも、森の精霊を動員したかと想わせるような、無数の女性の声。聞いて行くうちにトランス状態になり、カルト宗教の儀式にでも引きずり出されたような心境だ。怖いような衝動を覚えるのは自分だけだろうか?。昔の姫神は軽やかで、モダニズムのある軽音楽的要素があった。現在は完成形の催眠音樂の様なきがする。絶賛を超えた、恐怖さえ感じる。http://www.youtube.com/watch?v=QPaeRCEnP0A

"NEW ASIA" (東儀秀樹)


亜細亜の音楽と言うからには、日本はどうなんだろう、やはり、古来の雅楽がこんなにメジャーになったのは、この人の功績だろうと思う。堅苦しい仕来たりから、本来の音を楽しむ音楽へと開放し、庶民も楽しめる芸術に、いい意味で引き下げた。ひちりきは神の声を感じさせる。笙の音は天から差し込む光を想わせる。日本人の条件反射なんだろうか?。クラシックでも、オーボェと言う楽器の音色は、天空からの光とか天使の声と言われている。双方の楽器は高音の木管リード楽器である。

2009年10月5日月曜日

古筝 伍芳 Wu Fang (ウー・ファン)


中国の音楽を聞くようになり、古筝の魅力にも引き込まれました。日本の琴より短めで、流し引きが多い。その音色は、日本でいう極楽、楽園。中国で言う桃源郷。英語圏の田園、パラダイス、アルカディア、のような、心の休まる場所。世界中の人の、共通した安らぎの根源。大げさかもしれないが、伍芳(ウー・ファン)の奏でる古筝には、そんな魅力がある。もしも死んで天国へ行ったら、こんな音楽が流れてるんだろうな。それは判らないが、そんな気がします。

燕になりたい (チェン・ミン)陳敏


若い頃には、アジアン音楽などぜんぜん興味も無かったし、聞きもしなかった。胡弓と言う楽器も良く知らず、音の低い二胡という種類があるのも知らなかった。この曲をFM放送で聞き、車の運転中であったが、背筋に電流が流れた。その足でCDショップに駆け込んで、この曲を買い求めたのを覚えている。これが、中国の音楽。知らなかったとはいえ、恥ずかしい。いい曲は何でも聴く、何でも屋の自分が、世界の広さを感じた。その後。女子十二樂坊などもメジャーになった。

2009年10月4日日曜日

悲しき街角(Runaway ) ザ・ベンチャーズ


新宿のスナックから始まった。なにが、と言うとバンドである。飲んで騒いでいるうちに、装飾のギターを持ち出だすと、箸でドラムをたたくやつ、歌うやつ。話を聞けば、みんなアマバン経験者。常連は映画関連の仕事してる連中。トントン拍子ですぐ結成。新橋ヘラルド映画の試写室で音合わせ。六本木ピップスでパーティー。数年やりましたが、そのうちみんな、昇進したり、偉くなると、忙しくなって、解散しました。SSBバンドは第二の青春でした。我らの代表曲Runawayです。

レッドリバーロック(ジョニ-&ハリケーンズ)


ミドルスクールの頃、アマチュア無線にはまり、短波7MHzを聞いていた。某局のオーナーが、定時にこの曲を流してDJまがいの番組をやっていた。それに憧れて、部活は技術部に転入。初級アマチュア無線技師の試験を受けて、いざ。気持ちはそこまで。機材、設備に金が掛かるのです。当時、東京12CHが開局して、ハローCQと言う番組を放送したり、人気がありました。現在はインターネットが普及して、世界中と会話ができます。でも、当時はCQCQがステータスだったのです。こんな時代でも、JA1OOOさんは。やってるのかなぁ?。短波7MHzはどうなったんでしょう?。

2009年10月3日土曜日

ジェットストリーム(ミスターロンリー)城達也


子守唄のように、ふたりを包んでくれたこの曲。シングルベットに幸せな絶頂期のふたり。枕元から流れるこの曲は、将来の夢へと誘う。いつか、余裕が出来たら、スイスへ旅しよう、と約束をしました。ミスターロンリーになったその後、この曲を聞くと思い出す温もり。寝返りで目を覚ます習慣も、暫くすると慣れてきて、普通になったあの頃。突然訪れた破局は嵐のようだった。次の恋をするまでの侘しさは、言葉に出来ないものだった。その後、何度か渡航した時に、機内でこれを聞くと、心が締め付けられた。おそらく、この先も、スイスに行くことはないだろう。

旅の終わりに (冠二郎)

テレビドラマの挿入歌である。海峡物語という作品であるが、役者の方は、あまり歌がお上手でないのか、吹き替えである。歌手を、いかに売り出してゆくか。そんなドラマなので、後援会の経験者としては、毎週見ていたものだ。そのうち、この曲が好きになり、カラオケに行く時は十八番になった。これを作詞したのが、立原岬(五木寛之)、あの作家である。青春の門などは有名であるが、歌手の五木ひろし、はここからのスライドである。この曲の誕生秘話をUPしている方がいるので、興味のある人は、こちら。http://www.youtube.com/watch?v=BLVVJ32KFW8

2009年10月2日金曜日

まりもの歌 (水森かおり)


阿寒湖の遊覧船で流れるこの曲。土産物やのCDでも売っている。摩周湖には”霧の摩周湖”、阿寒湖には”マリ藻の唄”、といわれるくらい有名である。特に、芹 洋子さんの透明感のあるカバーが絶品である。まるで湖面から、いつも毬藻を眺めているような気分になる。YOUTUBEの承認が取れないので、水森かおりさんでどうぞ。九条万里子さんはこちら。
  http://www.youtube.com/watch?v=ycep_L_SWv0

赤ちょうちん (かぐや姫)


あの頃二人のアパートは。そんな歌い出しのこの曲は、本当にあの頃を思い出す。君はキックボクサーの婚約者がいて、暴力を受けるので逃げたいと告白。二人で逃げたのは、高円寺のコミューン呼ばれる安アパート。一年に半年だけ働くN君や、キャンバスが買えなくてベニヤに絵を書くH君、バカボン漫画の御弟子さんや、同棲先輩のKさん。みんなで赤提灯で飲みましたね。あそこに居たのは、たった数ヶ月でしたが、私の人生の思い出ランキングでは、上位の方です。その先はまたの機会に。

2009年10月1日木曜日

めぐり逢う日に (水沢有美)


この女性、デビュー当時は白いセーラー服で、潤んだ瞳にやられてしまったのです。西郷輝彦さんとデュエット曲”兄妹の星”と言う曲をリリース。雑誌の写真を見て火花が飛んだ。ファンクラブに入会するや、トントンと副会長にまでなってしまった。テレビ局やレコード会社に出入りするようになり、ファンとの集いで、大形バス二台を手配して石和へ葡萄狩りを決行。ハイスクールの身でなにをやっちょる。その後、就活の為お役御免いたしました。この曲はその後風の噂で知りました。”兄妹の星”は承認が取れませんので、直接どうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=MPeVs68qbww

チャペルに続く白い道 (西郷輝彦)


この曲が流れていた頃、ハイスクールのど真ん中だった。青春歌謡花盛りで、学園ソングや初恋ソングが氾濫していた。クラウンレコードの月刊誌を読んでいたら、作詞投稿コーナーがあり、それに応募したら佳作入選した。その時、本に自分の名前が載ったのが嬉しかった。想い出の本の特集にこの曲が紹介されていたので、記念の曲になった。それから、西郷さんのファンになったのだ。レコードも買ったし、平凡、明星も買って、歌も覚えました。

2009年9月30日水曜日

学生時代 (ペギー葉山)


もちろん、この曲がヒットした当時には、自分はまだガキで、漫画ばかり見てた頃でした。高校くらいの時に聞いたのだと思いますが、清い歌だと感じます。クリスチャン系の女子学園。聞いただけで修道院を思わせるような清純さ純潔さ、(死語でしょうか)そのものが伝わってくる。わたしは真逆で、男子校。教室のあちこち穴だらけで、ノートとインクの匂いなんかぜんぜんしない。清い死を夢見るどころか、どうやってイジメグループの標的にならないかの日々だった。今思えば、学生時代にもっと勉強すればよかった。(笑)

色彩のブルース (エゴラッピング)


日本人の為の、日本人好みのブルース。まさに色々な要素が混ざりあった色彩のブルース。スネアをブラシスティックで擦り、スウィングを刻む。ハーレムのようなレンガの街を想像させるテナーサックスの嘆き。英語なまりのアンニュイなボーカル。...自分は若輩の頃、横浜のピットインで、ブラック珈琲をすすりながら、分ったような顔をしてBBキングなんか聞いてた。若さから来る見栄で、何にも分っちゃいなかった。いま、この歳で分る事は、この曲はカビ臭く無いって事くらいかな。

2009年9月29日火曜日

碧空 (アルフレッド・ハウゼ) 


映画、ヤコペッティ監督の世界残酷物語の中に、青い海底をサメが泳いでいるシーンがあった。その時のBGMがこの曲だった。おだやかな旋律の後、次々と波が押し寄せるような旋律に、戦慄が走った。鳥肌の立つ思いで聞いていた。映画雑誌で”碧空”だと知ったが読めなかった。レコード店で、ぺきぞら、だとか、へきくう、と言っても首をかしげているばかり。文字を書いて、それが、あおぞら、だと解った。若き日の無知で恥ずかしいエピソードである。

バニシングポイント (シネマ)


これは、音楽ではありません。今でも解からないのは、その理由です。見た方は知ってますよねぇ。あのコワルスキーは何故、暴走したのか。何故車止めのブルドーザーに突っ込んで行ったのか。解かる様で、本当は今も解からない。この世を儚んでおさらばしたのか、やりすぎて引っ込みが着かなくなったのか。真実を知っていたのは、あのDJのスーパーソウルなのか。”消滅点”というこのタイトルも、まんまだけど理解に苦しむ。警官だった過去の回想シーンの謎。あれから何年たったのか。今も思い出すラストシーン。

2009年9月28日月曜日

青い瞳のステラ、1962年 夏 (柳ジョージ)


幼い頃の記憶で、米兵と遊んだ記憶がある。幼稚園の裏が進駐軍の司令部で、ハーシーズチョコを土産にサンダーバードの角帽をかぶった白人がよく遊びに来ていた。国の家族を思い出していたんでしょうかねぇ。一年に一度キャンプの開放日があって、ブリキのバケツにいっぱいレモネードを作って歓迎してくれた。この地区は返還されたけど、まだ、同じ経験をしてる子供達が居るってことは、本当の平和ではないんですね。ちなみに、阿吽倶流は柳ジョージに似ていると言われてました。

落陽 (吉田拓郎)


車で半月ほど無宿旅をして、北海道の大地を満喫してきた。好天もあり、また荒天もあり。そして最終日の苫小牧で、おおきなザックを背負った二十歳前の青年が、私の行き先を尋ねてきた。ヒッチハイクで、旅をするというのである。残念ながら私は帰郷すると伝えたら、爽やかな笑顔で頭をさげて、別の人のところに行った。私が今まで出来なかった事を、あの歳でやろうとしている。その時、この曲が頭の中に流れてきた。

2009年9月27日日曜日

シクラメンのかほり (小椋佳)


転職の合間、バー(酒場)でアルバイトをした事がありました。仕事名で好きな、小椋圭さんの名前を使わせて頂きました。アルバムはほとんど全部聞きました。小椋さんは北原白秋が好きだと言うので、私も、集英社の日本文学全集、白秋、光太郎、編を読んでみました。白秋の編が終り、高村光太郎の詩を読み始めたら、しくらあめんのかほり、という言葉が出て来たのでびっくりしました。もしや、これが発想の原点では?。自分が勝手に思ってるだけですが。

千登勢橋 (西島三重子)


西島三重子といえば”池上線”でしょう、ですよねぇ。でも、私の、実際のデート地域といったら、千歳橋周辺が多く、池上あたりには実感がない。学習院とか、カテドラル大聖堂、鬼子母神とか行きました。これは、地名ソングの宿命でしょうがないです。切ないワルツを作らせたら最高ですね。ミス(当時)シュトラウスですから。顔も可愛いし、その頃の彼女に似てたし、いい曲でした。

2009年9月26日土曜日

別涙、わかれ(因幡晃)

夜、知り合いに頼まれて、弾き語りなんかやった事があります。スナックの隅にアンプとギター程度の設備で始めた、お遊びみたいなものでした。カラオケもあったのですが、なぜか、流しのようなスタイルが好評で、深夜のホステスさんやラーメン屋のおやじさんなんかが常連でした。因幡晃が流行っていた頃。この曲をよくリクエストしたホステスさん、どうしたかなぁ。