2011年4月28日木曜日

ハリソン.フォード (スター.ウォーズ)


スターウオーズという映画の前に、ロビンソン家族などのTV番組でアメリカの宇宙物は好きで良く観ていた。スタートレックなんか最高に楽しかった。だけど、宇宙戦争なる物語は日本の方が先で、東宝の十八番の特撮が楽しかった、モゲラという怪獣がでてきた。その延長線上にこの映画やETなんて出て来たのだろうと思う。アメリカの監督たちも、日本の特撮に影響を受けたらしい。ハリソン,フォードの役はそんな特撮とは縁の無い、役所の面白さであった。彼を最初に見たのは、アメリカングラフィティと言う映画の暴走野郎の役だったが、その時の俳優が、まさかハン.ソロだとは思わなかった。とにかく、ハン.ソロやチュ-バッカ、R2D2,3PO,のいない”スターウオーズ”は絶対売れなかったでしょう、そして、ダース.ベーダーもそうかも。

2011年4月27日水曜日

夕陽のガンマン (クリント・イーストウッド)


彼はアメリカの俳優で、むかしローハイドというTV番組ではじめて観た。それがイタリア映画に出て来て驚いた。当時、今の韓流ブームのようにアメリカのウエスタン映画を、イタリヤの映画会社が製作、マカロニウエスタンとして大ヒットした。その中でも荒野シリーズがバカ売れして、アメリカの俳優や日本の黒澤映画の台本を使ったり、まるで、何でもあり状態だった。そして、この音楽は荒野の◎◎とか夕日のガンマンとかで、口笛を使った挿入歌がもてはやされた。現在は政治家や監督など多才な彼だが、もともとはカウボーイ俳優からガンマンと、一歩ずつのしあがった偉大な人物なのだ。余談だが、リーバンクリフも味があったな。

2011年4月26日火曜日

ダスティン.ホフマン (卒業)


前にも書いたことがあるが、我が家にはじめてビデオデッキが届いた日に、TVの洋画劇場で”卒業”を公開した。そして我が家のはじめてのVTRは何度も観られた。そして、この非常識な物語から学んだものとは、諦めは終わり、と言う事だった。どんな状況においても、決して諦めなければ可能性は残っている。あたり前の事のようだが、そこが難しい。もし失敗すれば一生笑い者になるし、上手く行っても白い眼で観られる状況では諦めるしかない。しかし、この主人公はやってのけたのだ、後先も考えずにだ。私には出来なかった数々の出来事を、彼は劇的にやってしまったのだ。

2011年4月25日月曜日

アラン.ドロン (太陽がいっぱい)


女優だけでなく洋画の男優にも思い出深い人がいます。この人はいろいろの作品に出ましたが、私の中ではこの映画が一番印象的でした。と言うよりも、私に悪い事は出来ない、何処かでボロが出る、と言う事を教えてくれた教訓的作品でした。子供の頃に砂場に置き忘れてあった玩具を、家に持ってきて怒られたりしたことや、悪い事に対しては、一応世間的に教育は受けたが、この映画が決定的に影響した。どんなに金持ちと入れ替わっても、毎日ビクビクして生きるより、貧乏でも胸張って生きるほうが良いと感じさせてくれた作品だった。

2011年4月22日金曜日

SF ソフィア,ローレン (ひまわり)


そして、大人の女性プラス野生美の魅力がなんとも言えぬこの人は、なんとあのムッソリーニの孫娘だって知っていましたか。さて来週はどんな曲になるでしょう?。

2011年4月21日木曜日

CD カトリーヌ.ドヌーブ (昼顔)


カトリーヌも前日と同じ、大人の女性美という雰囲気で魅了されました。

2011年4月20日水曜日

CC クラウディア.カルディナーレ(プレリュード)


何日か前にアップした”ブーべの恋人”にも出演していたCCクラウディアは、陰のある魅力で何処か眼力のある女優さんでした。なぜか冷たい氷の女というイメージがありまして、近寄りがたい存在でした。とはいっても、当然ながら近寄るにも寄れない遥か遠い人なのですがね。結構厳粛に育った子供時代でありまして、モンローのポスターなんか部屋に張ろうものなら気まずい雰囲気で、なぜかCCならばOKという感じでありました。彼女の冷たい魅力がSEXを感じさせない高級感があったからではないでしょうか。とにかくヨーロッパ女性はアメリカの女性と違う雰囲気がありましたね。

2011年4月19日火曜日

BB ブリジット.バルド- (永遠に)


女優の事では有名なのがモンローですが、当時あの色気は私には分かりませんでした。むしろ、いやらしさを感じたのです。MMと言えばモンローですが、むかし頭文字で女優を呼んでいたのが流行っていて、BBとか言う人がいました。なぜか私はユーロ系の女優のほうが好感度が高かったので、イタリア、フランスの女優の映画が多かったように思います。BBはべべという言い方で、後半は化粧が濃くてアメリカンぽくなりましたが、薄化粧の頃の彼女は年上の、とは言っても母ほどの年齢ではない、女の先生位の年齢なので年上の女性の魅力を感じていました。でも高学年は男子校だったので女教師はいませんでしたがね。

2011年4月18日月曜日

Drジバゴ、ララのテーマ (サウンドトラック)


高校生の頃、学校の教育の一環として映画鑑賞という授業をおこないました。3年生全員が劇場でこの映画を観たのですが、観ている時は仲間が一緒に居るのを忘れ、映画に入り込んでしまいました。ロシア革命の時代に、医者の息子として生まれ、自らも医師になり、婚約者のいる身でありながら、ふと知り合った女性と恋に落ちる物語だった。内容もさることながら、その大自然の素晴らしさと、ララという女性を演じた女優の個性に引き込まれました。婚約者の女性は、あのチャップリンの娘さんだったのですが、パステルナークの名作を、見事に演じたこの女優さんは素晴らしかった。

2011年4月15日金曜日

ブーべの恋人 (サウンドトラック)


そして、さらに物悲しい映画音楽がこれでした。あの頃、なんでこんな暗い曲を聴いていたのでしょうか、そんなに暗い少年ではなかったように思うのですがね。けっこう国中が貧乏な時代で、ボロ屋にすんで、着るものにはツギが有るのがあたり前の時代で、映画なんて観られなかった贅沢品だったのに、いつの頃から映画が好きになり結構観ました。憧れのような感覚で外国の文化を見ていたのですね。その頃の舶来品は高価で、舶来物をちらつかせたり洋画にやたら詳しい悪趣味人間が多かったのです。

2011年4月14日木曜日

シェルブールの雨傘 (Michel Legrand)


物悲しい映画と言えばこの映画も、根底にあるペーソスが心に沁みました。ユーロシネマに共通するペーソスと言うか哀愁というのは、独特の味わいがあります。みんな私が子供の頃の作品ですが、子供心に異国情緒を感じていたのはユーロシネマでした。この映画を観たとき、正直、何やこれは歌ばかりじゃないかと思いました。ミュージカルなんて縁の無かった自分が、この映画を観てミュージカルなるものを知りました。もっと前に”ウエストサイド物語”は見ていたのですが、ミュージカルだという認識がありませんでした。

2011年4月13日水曜日

鉄道員 (ピエトロジェルミ)


映画音楽が続くが、この物悲しい旋律の暗い世界に沈んでいると、突然、映画のワンシーンに使われた台詞が入る。沈み込んだ心に驚きが走る、何があったんだと思わせるような子供の声なんです。驚きますよ、これを聴いたら突然ですからね。音楽のビックリ箱なんです、って彦麻呂さんのようですね。まあ冗談はこれくらいにしますが、映画音楽はその場面が蘇えってくるようです。だから現実の人生でも、その出来事があったときに流れていた音楽を、後に、時が流れてもそれを聴くと思い出すのですね。

2011年4月12日火曜日

死ぬ程愛して (アリダ.ケッリ)


兄が次に買ったのはこの曲で、映画を観てきたらしい。わたしも同じ家の住人なので当然聞こえてきますから、この♪アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモーレミヨ、♪と言うフレーズが耳について離れませんでした。わたしはこの映画を観ていないので、内容はよく判りませんが”刑事”という映画の主題歌だということです。この頃の映画はモノクロ(白黒)がほとんどで、パンフレットも白黒だったと記憶しています。まだガキの頃だったので、この悩ましい声の叫びも、わたしには何の事やらで、まさか愛の歌だとは思いませんでした。今聞くと何と悲痛な叫びでしょう、子供にはわからない世界でした。

2011年4月11日月曜日

第三の男 (アントン、カラス)


映画音楽でよく憶えているのがこの曲です。恐らく兄が初めて買ったレコードだったのでしょうか、その日のことを今でも思い出します。ポータブルプレーヤーを買ってもらい、はじめてレコードショップに兄弟で行きました。その時はやっていた映画が”第三の男”でしたのでそれを買い、わたしはオコズカイをはたいて”上を向いて歩こう”を買わされました。というのは、自分達も聞けるのでやたらと乗せられて、とくに買いたくも無かったのですが買ってしまいました。でも現在はCDの時代なので、あのレコード達はどこに行ってしまつたのでしょう、買った時は憶えているのに、何時無くなったのか憶えていません。

2011年4月8日金曜日

"Love is a many splendored thing"(慕情)


慕情という言葉を検索したら、言葉の意味よりもこればっかりで驚いた。ウディぺキアでもこの映画が慕情で、映画の内容ばっかりで、言葉の意味は二の次だ。この映画は観たことが無いが、この曲は名曲中の名曲で、機会があるごとに聴いている。この曲を知らないひとは日本の子供以外全員と言って良いほど居るだろう。でも、曲は知っているが映画”慕情”の主題歌だと言うのを知らない人は、けっこう居るかもしれない。映画を観た人は主題歌を聴くと、その時観たシーンが浮んでくるが、音楽しか知らない人は、映像から来る記憶がないので曲名を思い出せないのだろう。だから、名曲とは思い出のシーンが必要なのかもしれない。

2011年4月7日木曜日

長崎慕情 京都慕情 (ザ・ベンチャーズ)


もうひとつ長崎で感じた事は、長崎のような異国情緒のある街は音楽の舞台になりやすい、と言う事でした。クラシックの蝶々婦人とか、長崎の〇〇とかが実に多い。私のギターの師匠でもあるベンチャーズも長崎の曲を造っている。去年の坂本龍馬ブームでも、長崎や京都が舞台になっているが、外国人から見てもこの辺が日本の雰囲気を感じる場所のようです。そして此処にある慕情なる言葉は、何ぞや、と調べてみると’したうこころ’とある。とくに男女の気持ちのなかに多くある感情だと書いてあった。古い港町や古都での恋人達は、歌になりやすいということでしょうか、逆に言うと平凡な恋は歌にしても面白くないと言うこと?。

2011年4月6日水曜日

長崎は今日も雨だった (クールファイブ)


梅沢富美男さんと言えば、以前NHKの番組で前川清さんとふるさとの番組をやっていました。あの番組が好きでよく見ていましたが、前川さんがすっかりお笑い芸人化したのには驚きました。前川さんのデビュー曲の”長崎は今日も雨だった”と言う曲がありますが、去年、車で九州の旅をしましたが、歌のとおり長崎は雨でした。佐世保で一泊して、朝に長崎の眼鏡橋あたりで降り出して、円山公園や亀山社中の観光や思案橋でも小雨が降っていました。その時思ったのは、あの曲の中の雨は小雨だったと確信しました、小雨では歌が唄いにくいですがね。

2011年4月5日火曜日

夢芝居 (梅沢富美男)


この曲の作者も小椋佳さんですが、印象派の絵画のように万人受けするような綺麗な曲で、大ヒットしましたが、わたしの好きだった小椋佳さんでは無くなって来ました。後半の彼の曲は、いい曲だとは思うのですが、あの難しい哲学書の雰囲気は消えていました。それは仕方の無い事です、この私も当時は真直ぐに張った糸のようでした、今ではゆるゆるの垂れ下がった糸ですものね。ひとを責める前に、自分が言えるだけの人間か考えるようになりました。これを世間で言う、まあるくなった、と言う事なんでしょうかね。

2011年4月4日月曜日

シクラメンのかほり (小椋佳)


わたしの悲恋に話は終りましたが、初期の小椋佳さんは抽象画のようで理解しにくい言葉を繋ぎ、まるで難しい哲学書を読むようでした。その不可解さに共感を覚え、彼のアルバムの中にある落書きが好きでした。このシクラメンには私の発見があります。小椋佳さんは北原白秋が好きだというので、私も日本文学全集の北原白秋と高村光太郎の編を買い、ひととおり読みました。白秋の部が終わり、高村光太郎の最初の詩の中に、何と!しくらめんのかほり、と言う文章がありました。パクリとは思いませんが、影響があったのではと思います。この曲のヒットから小椋佳さんの曲は、綺麗な言葉をちりばめた印象派の絵のように変化して行きました。

2011年4月1日金曜日

さらば青春 (小椋佳)


病院で医師の言葉に驚いた、常習犯ですね、死ぬ気の傷ではありません、と言われ、警察から人が来るので調べを受けてくださいと言われ、同行した母にも事情を話した。彼女を背負って帰るタクシーで、この恋の終わりを感じた。後日彼女の父親が家に来て、警察からの連絡でここにお世話になっているのを知らされたそうだ。彼女は私の家を出て、鷺宮と言う所に引越し、私の小椋佳時代が終わりを告げた。そしてひと月あまり後の夜、電話に出ると初めて聴く男の声で、彼女は元気で居ますか、という婚約者からの電話だった。私の事は調べたのだが、自分も事情で故郷に帰ることになったので、最後の電話らしい。彼女が出て行ったことを告げて、お互い新規に頑張りましょうと言って電話を切った、いままで何だったのだろう。