この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2012年10月10日水曜日
2012年9月27日木曜日
ある愛の詩 (アンディ.ウイリアムズ)
アンディ.ウイリアムズが亡くなった。以前にも森繁久彌さんや加藤和彦さんの死亡の前に、何となく頭に浮かんで投稿をして、その直後に本人が亡くなる事がよくあった。他にも柳ジョージさんなど幾人かいた。私に何か直感みたいなものが働くのか、それはわかりませんがそういう事があったのは事実です。
2012年9月17日月曜日
2012年9月14日金曜日
黄色いサクランボ (スリーキャッツ)
まだ子供の頃、こんな曲がヒットしました。私の作詞修行の師である星野哲郎先生のデビュー作になった、投稿作品でした。当時、商船学校の生徒だった星野先生が、この投稿をして人生が決まってしまった作品です。この頃は三人娘とかスリーグレイセス、トリオこいさんず、など三人が流行っていました。男でもスリーファンキーズ、御三家などの流行った時代でありました。
2012年9月9日日曜日
2012年9月3日月曜日
2012年8月26日日曜日
2012年8月16日木曜日
霧にむせぶ夜 (石原裕次郎)
霧と言えば、こんな曲を思い出しました。黒木憲という人の曲ですが、石原裕次郎さんの映画のテーマ曲でもあります。そこで裕次郎さんのバージョンをきいてみましょう。ところで、むせぶとはどうゆう状況なんでしょうか?。
2012年8月4日土曜日
ともしび (ダークダックス)
コーラスグループと言えば、日本の先駆者でもあるダークですが、ロシア民謡と言うとこの曲です。その両方が一度に楽しめる懐かしいこの曲です。ちなみに、黛ジュンさんの”霧のかなたに”という曲はこの曲を展開して制作されたと、作詞家のなかにし礼先生が書いていました。♪夜霧の彼方に 別れを告げて♪戦場に向かう兵士を、窓に明かりを灯して帰りを待つ人。そんな情景が浮かんできます。
2012年7月29日日曜日
おさななじみ (デューク・エイセス)
デューク・エイセスと言えばこの曲が真っ先に浮かんでくる。コーラスというとダークやボニーも活躍していましたが、彼らの曲よりも庶民的な曲が多かった様の気がします。曲の提供者が永六輔さんや中村八大さんだったからかも知れません。コーラスブームはむかし歌声喫茶と呼ばれたコミューンがありまして、主にロシヤ民謡などが謳われ、大変な人気だったそうです。残念ながら私の頃はジャズ喫茶という呼び名で、歌うのはステージに出る歌手で、それを見るだけでした。
2012年7月21日土曜日
女ひとり (デューク・エイセス)
この曲の影響か、最近の京都で女性の一人旅が非常に増えたそうです。昔だと自殺者だと思われて旅館やホテルも歓迎しなかったのですが、今では大歓迎で変な風潮は払拭された。この曲の影響は他にもあり、大原の三千院や嵐山の大覚寺など、イメージが先行して大盛況だそうです。
2012年7月16日月曜日
2012年7月14日土曜日
2012年7月9日月曜日
海は広いな (唱歌)
子供のころによく唄った海のうた。記憶の中では小学校の臨海学校での海でした。母から聞いた話では、もっと前に家族で大島に行ったらしいが記憶にはない。母と行った鎌倉海岸の臨海学校が最初の海で、日焼けがひどく痛かった記憶が鮮明に残っているだけです。
2012年7月7日土曜日
われは海の子 (尋常小学校)
琵琶湖周航の歌のはじめが同じなので覚えている唱歌です。♪われは海の子♪と唄うと必ず頭に浮かんでくるのです。条件反射でしょうか、そしてこんなに長い歌とも知らないで、一番だけうたっていました.その意味のほとんどを理解していないまま。
2012年7月2日月曜日
琵琶湖周航の歌 (合唱)
海の歌といえば先日旅してきた琵琶湖も湖ですが、広い意味で海といえるでしょう。今回、琵琶湖を一周してみて、この曲に出てくる地名の場所を訪れ、大津側の琵琶湖しか知らなかった認識が変わりました。奥琵琶湖はけっこういいところでしたよ。
2012年6月29日金曜日
2012年6月25日月曜日
海、その愛よ (加山雄三)
加山雄三(若大将)の映画は青春時代の憧れとしてよく観たものです。そしてこの曲は友人の家で初めて聞きました。大衆食堂を営んでいた友人の実家の二回で、大音量で聞いたのです。若大将も70歳を越えてしまいましたが曲は歳をとりません。今この曲を聴くと何だか寂しくなります。
2012年6月20日水曜日
旅人よ (加山雄三)
むかし、この曲のイントロが好きで、高額な12弦ギターを買って練習したのを思い出します。そのうち歌詞の内容も好きになりましたが、♪若き旅人よ♪ も歳をとりオジサンになってしまった。♪とおいふるさとにいる母♪ も亡くなり、そして、♪命果てるまで♪ 私は旅をするでしょう。
2012年6月12日火曜日
瀬戸の花嫁 (小柳ルミ子)
こんかい四国を旅して、生まれて初めて瀬戸内海を本州ではない向こう側から眺めた。本州から見たのと違い島々の向こうに本州が見える郷愁と、夕焼けの素晴らしさを感じた。この歌の情緒が解った瞬間だった、ずいぶん時間がかかったが作者の心情を知る事ができた。
2012年6月8日金曜日
2012年6月3日日曜日
佐田岬 (みかんの花)
四国をドライブして佐田岬へ行った時、メロディーラインという道路がありました。なんのことやら解らず、佐田岬の突端までドライブしてその事をすっかり忘れていました。夕刻になった帰り道、それは聞こえたのです。日本中に道路を走ってきましたが、こんな事は初めてです。道がうたうのですからね。(笑)
2012年5月31日木曜日
室戸岬 (川野夏美)
岬に歌あり、という言葉はありませんが、調べてみると岬にはご当地ソングというものがあるようです。先日廻ってきました四国の室戸岬で検索したら、この曲がヒットしました。思い出の曲ではありませんが、訪れた岬を思い出すために聞くのなら趣旨とは外れていません。あの光景をもう一度眺めてみたいものです。
2012年5月27日日曜日
金比羅大権現
このたび、生まれて初めて四国へ行き、子供の頃から金比羅さんを金平糖や金平ゴボウのように思っていた、金刀比羅宮へ行ってきました。なんと罰当たりなことでしょう、こんなに立派なお社を、そんな認識でいたのを恥ずかしく思います。そして、この階段の凄さを、同じ思い出撮影した方がいらっしゃるので、その映像をおかりしたいと思います。名曲ではありませんが名宮という事でお楽しみください。
2012年5月25日金曜日
2012年5月23日水曜日
南国土佐を後にして (ペギー葉山)
◎しばらく更新を休んでいたのは、四国一周の旅に出かけていたからであります。そして高知県のはりまや橋を見物したり、楽しい時間を過ごしてきました。桂浜や高知城見物、四万十川、仁淀川といった大河も見てきました。地元にゆくと流れてくるのがこの曲でした。知らない場所の歌を聴くと想像しますが、これは現地で聞くものですから最高です。歌のサビに出てくる♪土佐の高知の♪や♪南国土佐♪というのも現地へゆくと、南国と土佐と高知はみんな別の町で、一緒ではなかったのです。行ってみて初めて知りました、これを見聞というのでしょうか。
2012年5月5日土曜日
2012年4月24日火曜日
李香蘭 - 蘇州夜曲(yume)
昔見た映画で、加山雄三さんの若き頃、山口淑子さんとアジアのシーンだと思います。あの女性が李香蘭ということは後で知りました。そして、国会議員になったのも、ずっと後です。
2012年4月23日月曜日
女子十二楽坊 地上の星
中国音楽に魅せられたきっかけは東儀秀樹さんのコンサートで、チェンミンさんの二胡を聞いてからでした。その後まもなく女子十二楽坊がデビューしました。いままでは異国の音楽と感じていたのですが、それから私の癒しとして感じています。
2012年4月21日土曜日
2012年4月18日水曜日
2012年4月16日月曜日
いい日旅立ち (山口百恵)
春の旅立ちにふさわしい曲と言えば、やはり、この曲でしょう。むかし仕事に追われ、遠くに旅する機会があまり無かった。この曲を聴くたびに憧れていた北海道も、行き始めると4回目になった。仕事はまだまだ出来るのに、定年と倒産という”Wの悲劇”が人生を一変させた。しかし、預金と年金で何とか生きている。しかし、生きているだけでは生きてはいない、人は旅をするものだ、だから旅にでるのです、♪母の背中で聴いた歌を路ずれに♪。
2012年4月14日土曜日
桜吹雪
このブログも3年近く続いて来ましたが、その間にも色々な事があり、ずっと一緒に暮らしてきた最愛の母を失い、独りぽっちになりました。
思い出もかなり搾り出してしまい、絞り粕のようです。
そこで、この機会に更新を不定期にして、何か思い出したら更新したいと思います。
毎日観て頂いた数名の方に感謝いたします。
でも、これでおしまいではありません。
可能な限り続けたいと思っています、これからもよろしくお願いいたします。
2012年4月11日水曜日
2012年4月10日火曜日
ディアハンターのテーマ (アメリカ映画)
戦争映画と言えば、昔は太平洋戦争以前のものがほとんどでした。しかし、ある時期からベトナム戦争の映画が多くなり、戦争が、いかに人の心を狂わすかを描いたものに替わって言った。そして、これからイラク戦争のことが映画になって行くのでしょう。そして、太平洋戦争は風化してしまうのかも知れません。
2012年4月9日月曜日
ワルキューレの奇行 (ワーグナー)
戦国自衛隊のヘリコプターのシーンを見ていると、この曲を思い浮かべてしまう。トラウマか刷り込みのように、いや、条件反射かもしれないが、とにかく思い出すのです。あなたもそんな事ってありますよね。
2012年4月6日金曜日
戦国自衛隊のテーマ(ララバイオブユー)ジョー山中
あの時に、今の装備であの場所に居たら。この夢のような話を映画にしたのが角川春樹社長でした。あの映画では、結局自衛隊が負けてしまうのです。歴史は変えられないという事でしょうかね。最近みた映画で、クレヨンしんちゃんが、タイムスリップして、戦国時代に行ってしまうという番組を観ましたが、誰にでもある時間旅行の夢は、永遠に夢なのでしょう。
2012年4月5日木曜日
ファイナル.カウント.ダウン (映画)
ファイナル.カウント.ダウン、と言う同じタイトルでこんな映画を観たことがありました。最新の戦闘機が時空を通り抜けて、なんと真珠湾攻撃の現場に出現してしまうと言う、話の筋がばればれの内容でした。ところで、これって何かのパクリではないでしょうか。どちらが真似したというよりも、いわば万人の欲する事は一緒で、あの時いまの自分が行けたら、世界は変わっていただろう、というあれですよね。だから同じような話は多く存在するのでしょう。
2012年4月4日水曜日
ファイナル.カウント.ダウン (ヨーロッパ)
ビレッジピープルの曲を聴くと、なぜかそれに混じってこの曲が出てくるのです。なぜだか良くは解らないのですが、条件反射のようなものです。古い話ですから、何がどうしてどうなった、なんてまるで思い出せませんが、とにかく混同しているのです。
2012年4月3日火曜日
YMCA (ビレッジピープル)
ビレッジピープルのヒット曲で、日本でも大ヒットした曲があります。YMCAという曲ですが、からだでY.M.C.Aという形をつくり踊るというあれですよ。あの頃は歌手の西城秀樹さんが踊ると、全員総立ちで踊っていました。あれは日本だけでは無かったようで、アメリカでも物凄い人気で、みんなで踊っていたようですね。たかが歌ですが、あの一体感には驚かされますね。
2012年4月2日月曜日
インザネイビー (ビレッジピープル)
そう言えばポパイはセーラーマンでセーラー服を着ています。そして、ドナルドダックもセーラー服ですね、もしかしてこの曲と関係が有るのではないかと思いました。もちろん、この曲のほうがずっとあとですが、これを唄ってるビレッジピープルは、ポパイやドナルドを見て育った年代だからです。どう見てもアーミー(陸軍)さんよりもネービー(海軍)さんのほうがカッコいいですよね。
2012年3月30日金曜日
ポパイ (アメリカアニメ)
究極のアメリカアニメと言えば、ポパイでしたね。キャラクターも、オリーブオイルやブルート、そしてウインピーはハンバーガーが大好きなおじさん。かれポパイは水兵さんで、ブルートは悪役で、いつもポパイをボコボコにするが、ポパイがホウレン草の缶詰を食べると、百人力になるという。お約束のストーリーなのに飽きずに観ていました。
2012年3月29日木曜日
クマゴロー (アメリカアニメ)
アメリカアニメで正体不明なのが、クマゴローと言うアニメでした。熊五郎はどう聞いても日本の名前ですが、ディズニーの熊でもなく、プーさんでもない、クマゴローは、いつも移動するのに一輪車に乗っています、よく観てたなー。
2012年3月28日水曜日
ウッドペッカー (アメリカアニメ)
うるさいアニメと言えば、やっぱりこいつですかね。啄木鳥(キツツキ)のアニメで、こいつのうるさいの何の。ウッドは木ですから、ペッカーとは突付くでしょうか。こいつの声が耳に付いて忘れられませんが、最近こいつの顔を、アメリカの野球チームで見ましたな。
2012年3月27日火曜日
2012年3月26日月曜日
魔法使いの弟子 (ディズニーワールド)
こどもの頃に観たテレビのディズニーワールドで、魔法使いの弟子、というアニメが思い出されてなりません。あの単調な足音のような音楽が耳について、夜悪い夢を見た記憶が、うっすらとしています。
2012年3月23日金曜日
ミッキーマウス (ディズニー)
テレビアニメといえば、日本のものばかりでなく毎週やっていたディズニーワールドという番組があった。わたしが見ていたものは白黒で、4っの国があり、未来の国が好きでした。懐かしい場面をゆっくりと観て見ましょう。
2012年3月22日木曜日
狼少年ケン (テレビアニメ)
狼少年というと、よく間違えられるのが、狼が来た!!と嘘をつく嘘つき少年の事が知られていますが、この狼少年はテレビアニメです。これも記憶が曖昧なんですが、子供の狼も出てきたような気がします。それよりも、このテーマ曲、どこかで聞いた事があるのです。よく考えたら、♪ぼばんばばんぼんばんぼぼ♪この旋律、最近テレビのCMで、♪噛むんとニャンニャン♪と言うロッテのガムじゃないでしょうか。
2012年3月21日水曜日
少年ケニア (テレビドラマ)
少年つながりで思い出しました。少年ケニアというテレビ番組ですが、少年ターザンのような存在だったような気がします。子供の頃の記憶で曖昧なのですが、ケニアに仕事で来た夫婦が、子供を動物にさらわれ、その子が動物と育ったとか?。忘れてしまって、どうだったか、でも、黒人の原住民のおじさんが出ていたような気がします。それも定かでない。
2012年3月19日月曜日
少年ジェット (テレビドラマ)
シエーンとは、他に聞いた事があるのは、むかしテレビで見ていた少年ジェットという番組に出ていたシェパードのシェーンである。ありえないような少年が悪と戦い、ミラクルボイスという叫びを上げると天地が揺れるのです。ピストルは炎が出て、オートバイが空を飛ぶ(スクーターでした)という奇想天外な物語です。おまけナレーションで、これが正しい少年の姿である、という。なわけないでしょう。
2012年3月16日金曜日
シェーン (ダイジェスト)
そして、取って置きの西部劇とはやはり”シエーン”ですね。その映像手法は日本の渡り鳥シリーズなどに繁栄されているようです。この映画の挿入歌は”遥かなる山の呼び声”というタイトルが付いていますが、主人公は山に向かって消えてゆくのでした。あの後いったいどこにゆくのでしょう?、それが今でも謎です。
2012年3月15日木曜日
OK牧場の決闘 (フランキーレーン)
そして西部劇の決定版とも言える”OK牧場の決闘”です。今の若い人達は知らないでしょうが、この歌はテレビドラマの”ローハイド”という番組の主題歌を歌っているフランキーレーンと言う人です。最近耳にするのは、オッケー牧場、とボクサーのガッツ石松さんが言っているので、名前だけは知っているでしょう。でも、オーケーですから、オッケーではありませんよ。
2012年3月14日水曜日
荒野の七人 (サントラ)
チャンバラと西部劇の子供時代に、荒野の七人という映画がやってきた。完全に黒澤作品のパクリのようです。もっともタイトルを考えるのは日本の配給会社ですから、日本人が考えたのでしょう。それにしても内容的にも似ているのは何故でしょうか?。
2012年3月13日火曜日
2012年3月12日月曜日
2012年3月9日金曜日
七人の刑事 (ドラマ)
テレビのモノクロ時代は私が小中学生の頃だった。中でも刑事物が人気が有りいつも見ていました。中学校の無線クラブ仲間で、親父さんが警視庁の無線課に勤めている友がいました。そいつと桜田門の警視庁に見学に行き、そいつのお父さんに食堂でカツ丼をご馳走になったのを憶えています。刑事ドラマでカツ丼のシーンがありますが、あの美味さから言えば自白してしまうほど美味しいのです。警視庁のカツ丼は食べる機会がないので、それ以来食べていません。
2012年3月8日木曜日
ある勇気の記録 (ドラマ)
仁義無き戦い、は深作欣治監督がメガホンを取ったヤクザ映画でしたが、この映画の元になったと言われている”ある勇気の記録”というテレビドラマがありました。それまで私はヤクザというと時代劇に出てくる悪人だと思っていました。現代のヤクザを知ったのはこの番組からでした。いまでは暴力団という呼び方をしますが、同一の組織です。まだモノクロの番組でしたが、舞台は広島だったと思います。
2012年3月7日水曜日
2012年3月6日火曜日
一番星ブルース (菅原文太)
菅原文太さんが我々のパーティにゲストで来て頂いたとき、みんながこの曲をリクエストしたのですが、演奏が出来ないので実現しなかってのですが、本当に唄って頂いたらギャラを払わないといけない所でした。替わりに一緒に来ていた梨本勝さんが”赤胴鈴の助”を歌ってくれましたが爆笑でした。我等、映画世代は文太さんの映画で沢山楽しませた頂ました。最近は引退報道などありましたが、今でも怖いお兄さんでいつずけて欲しいです。
2012年3月5日月曜日
長い髪の少女 (ゴールデンカップス)
ゴールデン.カップスの最大のヒット曲、”長い髪の少女”は特別な思い出があります。芸能関係の人達とバンドを組み、六本木でパーティを開いた時でした。お客様で俳優の中村雅俊さんが来てくれました。飛び入りで一曲という事でしたが、プロでもなく譜面も無くて、我らの出来る曲の中からこの曲を唄っていただきました。パーティは何度も行われ、ゲストも色々お出でいただき、菅原文太さんや高橋洋子さんなどにもライブをしていただき、みんな、とても感謝していました。中年バンドはいい思い出として心に残っています。
2012年3月2日金曜日
ゴールデン・ハーフの太陽の彼方
おニャン子クラブの前に、これほど大人数のグループは、わたしの知る限りではゴールデン.ハーフくらいですね。それ以外での組織では宝塚歌劇団とかSKDとかありますが、そちらは別格で、ゴールデン.ハーフの頃は、ゴーゴー真っ盛りのころで、ゴーゴーガールズ、というグループから、杉本エマ、小山ルミ、ゴールデン.ハーフと言うⅡ世スターが脚光を浴びてきた時代でした。このゴールデンも、当時ゴールデン.カップスという男のⅡ世グループがあったので、そこから頂いたネームなんでしょう。
2012年3月1日木曜日
セーラー服を脱がさないで (おニャン子クラブ)
私の知る限りで、踊って唄う団体は、花柳社中とおニャン子クラブくらいのものでした。ちょうど私が仕事場の切り替えで、数ヶ月無職の時期がありました。その当時に夕方のテレビ番組で、夕焼けニャンニャン、と言うSMAPが司会をしていた番組がありました。AKB48のような女子高生のあつまりで、その中からアイドルが独立してゆく組織でした。その娘達も、今では、おバチャまクラブになってしまいました。そのほかに、妹グループで、ネズミっ子クラブと言う中学生達もいましたが、いまいちヒットしませんでしたね。
2012年2月29日水曜日
モーニング娘 (メドレー)
セガレと来れば娘でしょうか。モームス(モーニング娘)は最近だと思っていましたが、AKB48の出現と共に過去の存在になってしまいました。それもだんだん巨大化して、名前も知らないメンバーが多くなり、テレビ局の控え室なんか大変でしょうね。わたしがモーニングと言って思い浮かべるのは、燕尾服とか喫茶店のモーニングサービスくらいでしたが、彼女たちがデビューしてから真っ先に思い浮かべるようになりました。
2012年2月28日火曜日
祭り (北島三郎)
突然に北島三郎さんに飛ぶとはびっくりしたでしょう、これにも脈絡はあるのです。アナクは現地のタガログ語で息子のことです。はずかしい話ですが、隠語で息子ってナニの事ですよね。地方によってはセガレなんぞとも言います。この言葉を公に口にするのは恥ずかしいのですが、その恥ずかしいセガレを、堂々と曲に載せて唄っているのがこの曲です。仕事で秋田に行ったとき、仕事先の人とカラオケに行き、その人に歌わされて恥ずかしかったのですが、その人は、平気でセガレと叫んでいました。
2012年2月27日月曜日
アナク (フレディアギラ) タガログ語
先週のクスコ特集の最後に投稿したアナクには原曲がありました。それが日本でもヒットした、フレディアギラの息子よ、と言う曲でした。♪お前が生まれた時 父さん母さん達は どんなに喜んだ事だろう ♪という日本語の歌詞でも歌われ、若者の反抗期を歌った曲でした。フィリピンからヒットするというのは珍しい時代で、かなり印象に残っている。むかしフィリピンパブに行って友達になったバンドマンが、地元で結婚するので招待してくれたが、フィリピンは遠いので辞退したことがありました。
2012年2月24日金曜日
フィリピン (クスコ)
この曲の実際の曲名は、ヒラピンとか書いてあるので解りませんでしたが、中の曲は、あちらでヒットした、息子よ、という曲そのものでした。それから推測するに、これはフィリピンの事ではないかと思いました。原曲はフレディアギラと言う歌手の アナク その物でした。と言う事は、他の曲にも原曲が存在するのかも知れませんが、曲の感じはクスコなのでそれも有りかと思います。
2012年2月23日木曜日
セイシェル (クスコ)
セイシェルという島は無いと思います、諸島ですから島が幾つか集まっているのでしょ。この曲を聴きながら、北アルプスの乗鞍岳を車で越えました。海の曲なんですが、何とも山にも合うんですよね。音楽には国境は無いのですが、場所を決めることもありません。
2012年2月22日水曜日
ガラパゴス (クスコ)
この曲を聴いていたら不思議な感覚を憶えました。とにかく泡のような音があちらこちらに飛び回るので、車に乗っているとめまいがしてくるのです。眠気のある時は聴くのをやめて、派手なロックなどを聴きましょう。
2012年2月21日火曜日
バージンアイランド (クスコ)
わたしが聞いていたクスコのレコードは、島、とくに南国の島で、波音が曲の間に録音されているので冬には向きません。もっぱら夏に聞くには涼しくて、避暑地に行く時に気分をアップするにはいい曲でした。じっくり聞いて、南国の波打ち際に行ってください。
2012年2月20日月曜日
アルカトラズ (クスコ)
クスコの特集をやりましょう、と言うのもドライブの時にステレオでよく聞いていたので、色々な思い出が蘇ります。クスコは神秘的な曲を目指していますが、それが島だったり、山だったり、とにかく安らぐ自然を感じます。アルカトラズは、ニューヨークにある島で、昔は囚人の島でしたが、今では観光の島らしいですよ。クリント.イーストウッドの映画で、アルカトラズからの脱出と言う映画がありましたが、それは昔の話で今はリゾート地のようです。
2012年2月17日金曜日
デザートアイランド (クスコ )
むかし中年バンドをやっていた頃、バンド仲間の廣済堂出版に勤める人から、この曲良いよ、と貸してくれたレコードの一枚がこの曲でした。クスコと言うバンドですが、クスコは南米の都市で、あのフォルクローレが盛んなところです。でも、このバンドはアイルランドらしいのですが、私が気に入った音楽を、世界の別の国で演奏して、同じようで別の物にしてゆくバンドに感激して、その後に何枚か買ってしまいました、いつも車で聴いています。
2012年2月16日木曜日
コンゴルは飛んでいる (ケーナ)
そして代表的な”コンドルは飛んでいる”です。世界中のアーティストがカバーしているし、地元ではコンドルは神の使いと思われているのです。そして世界遺産になったマチュピチュのある山は、コンドルの羽の形をした山にあるのです。いちど見てみたいと思いますが、今の私が見る事は無いと思います。せいぜいハイビジョン映像で、思いを馳せる事くらいでしょうか。それができるのですから良い時代になったものです。
2012年2月15日水曜日
花祭り (フォルクローレ)
ツノダヒロといえば、むかし近所に住んでいました。兄弟が多くて、次郎さんは有名なオカルト研究家だったり、三男のひとが民族音楽をやっていました。そのとき聞いたペルー地方のフォルクロ-レというのに感動して、私もレコードを集めた事があります。中でも、ケーナという葦笛やパンフルートなどの管楽器や、丸くなる動物のアルマジロの甲羅で作った、チャランゴというウクレレのような楽器に興味がありました。この花祭りと言う曲は哀愁があって、とても好きな曲です。
2012年2月14日火曜日
メリージェーン つのだ☆ひろ
チークダンスといえば、クラブなんかでチークタイムがある所がほとんどですね。そして、この曲のイントロが流れると、照明が暗めになり、あとは解りますよね。高校生の頃に、パティー券を売り付けられ、何度か行った時もチークタイムがありました。その頃はメリージェーンは無かったので、もっぱらアンチェンドメロディーでしたね。もちろん、ツノダヒロも高校生だった頃ですから踊ったでしょう。その後、まさか自分の曲がチークになるとはね。
2012年2月13日月曜日
そっとおやすみ 布施明
酒を飲みに行くと、ついつい時間を忘れ、気が付くとこの曲が流れてしまいます。お店などのラストソングとなったのは何時の頃だったでしょうか。わたしが行くクラブなどでもこの曲で終わります。他の客は帰っても、今度は店の支配人なんかとアフタードリンクタイムなんですがね。期限切れのボトルの整理もあるので、その後の料金はタダでした。でも、ラストソングでどーしてチークダンスなのか、これも不明です。
2012年2月10日金曜日
爪 (ペギー葉山)
あいつ、と同じくらい歌われた”爪”と言う曲も忘れがたい曲です。クラブのラストなんかによく唄われました。♪爪を噛むのはよくないは♪、むかし母に言われた言葉を、大人になって愛人から言われて、自分が成長していないのに気が付く。
2012年2月9日木曜日
2012年2月8日水曜日
夕焼けのあいつ (泉アキ)
その当時 訳あってクラウンレコードに出入りしていた私は、また叫ぶ歌謡曲に出会ってしまった。いまはタレントで活躍している泉アキさんです。その当時は若くてピチピチのミニでキャピキャピでした、なんのこっちゃ。とにかく彼女の歌手デビュー曲を聴いて見ましょうか。青春ドラマのように大声で叫ぶこの歌は、衝撃的で本人も毎回叫ぶので大変ですね。
2012年2月7日火曜日
俺の涙は俺が俺ふく (美樹克彦)
バカヤローと叫ぶ美樹克彦さんですが、彼は歌手の前に子役で活躍していました。ドラマに出演していましたが、名前も”目方誠”と名乗っていました。そして歌手デビューした時に今の名前にしたのです。これは彼のデビュー曲だったと思いますが、ほかにも”回転禁止の青春”なんかヒットしました。回転禁止(Uターン)なんて時代を感じますよね。
2012年2月6日月曜日
花は遅かった (美樹克彦)
セリフ入りの歌謡曲にはいろいろありますが、中でもバカヤロー、と叫ぶ歌がありました。わたしが昔、その曲の作詞者である星野哲郎さんの本を読んだ時、その歌のエピソードがありました。それは、台風で村が破壊されたある日、台風一過の学校に、”だい嫌いだ青い空なんて、バカヤロー”と黒板に書かれていたのを見たらしいのです。そこから物語を創作して、あのような曲になったのですが、バカヤローには、反対する関係者もいたとか。
2012年2月3日金曜日
ああ上野駅 井沢八郎(セリフ入り)
セリフの入る歌と言うのは昔は多かった。その中でも五本の指に入るのが”ああ上野駅”でしょう。上野駅に石碑が出来たほど世の中に貢献したと、その重要性が認められた歌なのです。東北に一番近い場所は上野駅なんですが、特に仕事が少なかった東北は、青年の就職列車と言う汽車に揺られて、親元を離れた人たちの最後に着く場所だったのです。辛抱して成功した人にも、失敗してホームレスになった人にも、上野は故郷に一番近い駅なので、浮浪者も多く集まっていました。今は新幹線が東京駅から出ていますが、当時は上野が最終でした。
2012年2月2日木曜日
新聞少年 (山田太郎)
わたしも少年の頃、少しだけやった記憶があるのですが、朝早いのと家を覚えるのが苦手で、長続きしませんでした。この曲のような親孝行の歌なんて、現在では無くなりましたし、間奏にセリフの入る曲もありませんが、当時はドラマの一部のような楽曲も結構受けたのです。その頃わたしは、ある少女歌手の後援会事務所の関係者(ファンクラブ運営)だったので、この曲を出版していたクラウンレコードに出入りをしていました。なので、この曲はよく憶えているのです。
2012年2月1日水曜日
東京の花売娘 (初音ミク)
なぜ東京の街で花を売るのか、花屋で買えばいい話なのですが、不思議でした。大人になった分ったのです、それは、歓楽街のキャバレーや高級クラブに手ぶらで行くより、小さな花束のひとつも持って行けば、粋な男に見えるのです。これは業者の陰謀かも知れませんが、クラブの入り口などに、花売り娘を配して儲けたのでしょう。流行になると猫も杓子もで、花売り娘が歌になったのです。
2012年1月31日火曜日
東京シューシャイン,ボーイ (暁テル子)
駅前に座り込んで、靴磨きという看板を置いて、おばちゃんが商売していました。今では考えられないような商売がいろいろありました。二枚の看板の間に入って歩き回るサンドイッチマンや人だかりになるバナナ売りの口上など、消えて行った商売がたくさんあります。あの当時は食べてゆくには恥も外聞もなく、一生懸命だったのです。今だったら変なプライドがあり、やらない商売ばかりでした。
2012年1月30日月曜日
ミネソタの卵売り (暁テル子)
昭和の物売りの声が懐かしくて、先週は音楽から少し外れてしまいました。私が若い頃に先輩と居酒屋に行きますと、十八番で出るのがこの歌、と言う人がいました。口を尖らせ、ひょっとこ、みたいな顔をして唄うのでみんなリクエストをするので憶えてしまいました。ミネソタと言うからはアメリカなんでしょうね。アメリカの歌を日本民謡にしてしまうのがすごかったです。
2012年1月27日金曜日
宮田章司先生の売り声
今週は子供時代に見たり聞いたりした音をつなげてしまい、音楽ではなかったけれど、ある意味では昔の音は最近聞こえなくなっているので残念です。朝起きると牛乳屋さんがガチャガチャ音を立て、ナット~と納豆屋の声、昼には金魚売、夕方にはプーポーと豆腐屋さん、寒くて暗い夜は焼き芋やにチャルメラのラーメン。一日中、生活の音が溢れていました。最近聞こえるのは選挙の車とリサイクル回収が多くて、時代の変化を感じます。
2012年1月26日木曜日
紙芝居『黄金バット』浅草花やしき通り
最近、3丁目の夕日、という映画が流行っていますが、あんな景色も造らなければ見られなくなったのですね。子供の頃は、あちらこちらにドブがあり、土がむき出しの路地に、毎日来るのが紙芝居のおじさんでした。あのソースせんべいと水飴の味は、紙芝居を見られる条件でしたが、買わない子も後ろで見ても怒られませんでした。飴とせんべいはチケットのような物でした。結構おとなも楽しみにしていましたよ。
2012年1月25日水曜日
ちんどん屋さん (アダチ宣伝社)
何であんなに興味があったのだろう。チンドン屋さんの後を追いかけて着いてゆくと、いつの間にか隣の町まで行ってしまい、帰り道の寂しかったのを思い出します。あの頃は、チンドン屋さんも移動は電車でしたから、よく電車で見かけたものでした。チンドン屋さんでは無いのですが、軍服を着て、アコーデオンを弾く松葉杖を突いた人も、よく電車に乗り込んできました。父が言うには、あれは嘘の軍人が多いとの事です。とにかくそんな時代でした。
2012年1月24日火曜日
越後獅子の唄 (美空ひばり)
昭和の暮らしの中に、少ない娯楽でも映画館の存在は大きかった。映画会社別に何館もあり、私の家の近くには東映と松竹がありました。子供が面白いのは東映のチャンバラで、良く観にいきました。映画の挿入歌で、この曲を流しながらチンドン屋さんが宣伝していたのを、何故か思い出します。越後獅子が解らない年代で、映画の内容も憶えていないのに。
2012年1月23日月曜日
サーカスの唄 (松平晃)
この歌は、小林旭版しか聞いたことは無いのですが、こんなに古い歌だとは知りませんでした。♪旅のつばくろ、寂しかないか、俺も寂しい、サーカス暮らし♪この歌詞と演奏が、なぜか少年時代に追いかけて言ったチンドン屋さんを思い出すのです。子供の頃の思い出は、幾つになっても蘇ってきます。本当に昭和の、戦後の町や暮らしが懐かしい。家のそばにあった広場に、むしろで囲った足場が組まれ”木下大サーカス”というのが興行していました。
2012年1月20日金曜日
美しき天然 (芹 洋子)
以前にアップした曲ですが、その時はメロディーだけで歌詞が無かったので別物としてとうこうします。この曲を聴くと明治、大正を思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか。私の生まれた昭和もノスタルジーのかなたに旅立ち、この平成もいつまで続くのか?。時の流れは止まりませんが、天然、自然はゆっくりと流れてゆきます。この曲の舞台となった場所は、九州の五島の九十九島だと聞いていますが、心の中が浄化される一曲ですね。
2012年1月19日木曜日
四季の歌 (芹洋子)
若いころ、歌謡曲の作詞家を目指して勉強したことがありました。ですから現役の作詞家先生のデビュー当時のことは研究していました。この曲は作詞家の(あらきとよひさ)先生が最初に世に出した作品なんです。先生のその後のヒット曲は限りなくありますが、最初はこのようは唱歌のような曲だったのですね。教科書に載るような曲が一曲でも書きたかったです。
2012年1月18日水曜日
マリモの歌 (芹洋子)
この曲は深い思い出にかかわる曲でして、父と母が健在の頃、育てていただいた恩返しに二人に北海道を旧婚旅行と称して旅をプレゼントしたのです。二人とも喜んでくれて、クラスもVIP待遇の高級な旅行だったので、お土産をいっぱい買って来ました。その中に、阿寒湖に行った時のこの曲のCDがあったのです。父も母も他界した現在、この曲を聴くと父と母が笑いながら遊覧船に乗っている姿が浮かんでくるのです。
2012年1月17日火曜日
坊がつる讃歌 (芹洋子)
自分の中では一番、意味深い曲がこの作品で、若い頃わたしも山男だったので良く聴いたこともあり、このメロディーに別の詩を付けて作品にしたことがあります。私の作ったのは信州の美ヶ原をイメージした”岳の花”(やまのはな)というもので、坊がつる賛歌のメロディーでうたえるのです。そんなこともありまして、この曲は忘れることの出来ない一曲なんです。
2012年1月16日月曜日
早春賦 (芹洋子)
今週は私が節目に感動した芹洋子さんの曲を並べてみましょう。初日は、今の時期にぴったりの”早春賦”です。♪春は名のみぞ風の寒さよ♪、と唄われるように、新春とは言うものの寒さは最高に厳しい季節であります。芹さんの声は清らかで天からの声に聞こえます。昔から隠れファンでしたが表立っては表明しませんでした。歌謡曲とかアイドルの世界から遠い場所にいた彼女ですから、照れくさかったのです。でも気になる存在ではありました。
2012年1月13日金曜日
春の小川 タンポポ児童合唱団
でも、春と言えば小川ですよね。サラサラ流れる小川なんて、田舎に行かなければ見れませんが、この曲が出来た頃は東京にもあったようですね。これは余談なんですが、あの大作曲家のバッハさんのバッハは、小さな流れと言う意味があり、小川とか小沢と言うことらしいのです。
2012年1月12日木曜日
春なのに (柏原芳恵)
春なのに何々です、なんて寂しい歌がありました。こういう曲は中島さんの作曲でしょう。と言うのも、ユーミンでしたら”まちぶせ”のように積極的な曲になりますが、振られ節は中島みゆきと想像が付くのです。柏原さんと言うと、当時、皇太子殿下がファンだと言うことで、大騒ぎしましたね。
2012年1月11日水曜日
2012年1月10日火曜日
春よ、来い (松任谷由実)
おなじ”春よ来い”でも春よと来いの間に句読点が入ると別の歌になる。ユーミンが作った、NHKの連続ドラマの主題歌なんです。たしか、脚本家の橋田壽賀子さんの自伝だったと思います。途中で主役が交代したりして大騒ぎになったのを覚えています。今では東北大震災の復興促進の曲として再浮上しています。
2012年1月6日金曜日
春よ来い (NHK)
♪春よ来い、早く来い、歩き始めたーーー♪いくつになっても思い出す春の歌です。しかし、この曲が出来たときの、歩き始めたお嬢さんは、現在はいったい何歳に成っているのでしょうね。人の人生の儚さを感じてしまう今日この頃です。
2012年1月1日日曜日
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