2010年1月31日日曜日

インザムード (グレンミラー)


中学の頃、ブラバンの友人A君から、中古のトランペットを安く譲ってもらった。練習したが上達しないので諦めた。そしてギターへと変ったのだが、ペットを使わないので、雑誌の交換譲りますコーナーに出品した所、二十歳くらいの女性から返信があった。家まで訪ねてきて、熱心に話をしてくれたので、金は要らないと言ったら、後で菓子折りを持って来た。話によると、弟がトランペットをやりたがっていたが、高くて買えないので、おねえさんが買ってあげようと捜していたらしい。なんか子供ながら感動しちまって、あげてしまったって訳。いい話で、忘れないで覚えていた、最近はやりの泣ける話ってやつですね。当時(今も?)から、ブラバン憧れの曲インザムードですね。

2010年1月30日土曜日

ムーンライトセレナーデ(グレンミラー)


グレンミラー楽団=マッカーサーのイメージがあるのは何故でしょう。厚木にも来たのでしょうが、戦後生まれの私は見たことはないのです。私の居住地区にも司令部がありましたので、金網の向こうにもぐりこんでヤッキョウひろいをしたものです。遠くから見ると軍服を着て、レーバンのサングラスの人は、みんなマッカーサーに見えたものです。金網の中では、いつでも聞こえていたのがグレンミラーだった気がします。もちろん、その頃はバンドの名前も知らなかったけれど、耳がフレーズを覚えていて、後に曲名がわかったものなんです。ほかにも、何曲かあったような気がします。私が子供の頃はブラスバンドという言葉を縮めて、ブラバンなんて言ってましたね。

2010年1月29日金曜日

月光価千金 (ナットキングコール)


月光つながりで"月光価千金”といきましょう。子供の頃に兄貴のレコードを、兄貴が留守の時に聞いていました。こんな優雅で軽やかな曲を、まさかエノケン(榎本健一)が唄っていたとは驚きました。自分は知らないのですが、浅草オペラとか言うのがあったそうで、父親に聞くと、これの日本語版をミュージカル仕立てにして公演していたそうです。浅草六区と言う所の劇場でいろんな演劇が行われ、賑やかだったそうです。見たかったけれど、まだ私がこの世に居なかった頃ではしかたありません。だから、私の想い出はナットキングコールです。

2010年1月28日木曜日

月光 (ベートーベン)


月光仮面があったので”けっこう仮面”が出来たのだろう。しからばベートーベンの月光は、なにかしら日本独自の、名前の着け方に影響したのでは、と考える。何故、月明かりとか明月にならなかったのか?。そこは謎として、この旋律は、ほんとうに月を見ながら書いたのではないかと、思うくらいジャストフィールだと感じる。月を見る時、この曲の旋律が浮んでくるのはどうしてなんだろう。ベートーベンが日本人に愛されるのは、日本人的感覚を持っているからでは無いかと思う。あの月光をジャンジャカ表現する作曲家もいるだろう。だけど、にほんでは好まれないだろう。あの冷たい光のもたらす鎮静効果は、月光菩薩の静やかさに通ずるものが感じられる。 

2010年1月27日水曜日

月光仮面 (三船浩)


子供だましTVといえば、やっぱり知らない人はいないと言う”月光仮面”でしょう。最近でも映画化されて、なくなった川内庚範先生の原作だったのも知らなかった。まさか、月光とおふくろさんは繋がらなかった。私が友達とやっていたエレキバンドのメンバーに、日本ヘラルド映画の宣伝マンがいて、新月光仮面の宣伝で、月光仮面キャンペーンをやらされそうになったが、話だけで終ってよかった。劇場挨拶で演奏なんて自信がなかった。今見ると、本当に子供だましで、CGなんかない時代だから、撮影には苦労したと思う。それにしてもコスプレするにも風呂敷マントに白い下着、さらしのターバンに三日月だけでOK、いい時代だった。

2010年1月26日火曜日

快傑ハリマオの歌 (三橋美智也)


三橋さんの歌声で、子供の頃から忘れられないのは”怪傑ハリマオ”だ。マレーシアが何処にあるかも知らない頃、異国で活躍する怪盗なのに正義の味方。そして、ごっこをするには道具は要らない、父親のサングラスを持ち出して、風呂敷をかぶる、これで出来上がり。あとは手をピストルの形にしてバンバン。南方の鼠小僧くらいの気持ちで物真似していた。ネットが発達して、簡単に検索できるようになった現代、昔の動画も簡単に見れるし、本当にいい時代になりました。本当のハリマオは実在の人物で、日本軍の諜報員だったとかで、子供の頃の認識とはかけ離れた人のようです。

2010年1月25日月曜日

新撰組の歌 (三橋美智也)


時代とくればテレビの時代劇。子供の頃にやったチャンバラ遊びは、決して竜馬ではなかった。大人になってから、函館の土方、板橋の近藤、日野の道場と、新撰組に縁の地へ行きましたが、この曲が浮んできます。街頭で右派の方達が、大きな音量で流している場面に遭遇しますが、私は幼い頃のチャンバラが湧き上がってきます。坂本竜馬がブームになっていますが、新しい時代を夢見た人達は刀を抜きません。子供の眼には新撰組のほうがヒーローにみえたのでしょう。全員がユニホームに身を包み、夜毎、天下をひっくり返す密談をしている、薄汚い格好の怪しい連中を成敗する。まるで、警察が踏み込む姿のように見えたのです。子供の頃に見たものは、大人になって解りました。なにが正しいのかを。

2010年1月24日日曜日

時代 (中島みゆき)


北海道とフォークシンガーで連想するのは中島みゆきさんでしょう。いろんなヒット曲がありますが、何と言っても”時代”と言う曲は重要な一曲です。人生、全力で走る時も、スローペースで歩くときもあります。そして、ふと立ち止まる時、この曲が重要なんです。自分を慰める為と、つぎの一歩を踏み出す為に。そしてまた走り出し、歩き出す、区切りの意味でこの曲を聞いています。しかし、中島みゆきさんは、この歳でよく人生のことを解っていらっしゃると言うか、若年寄と言うか、耳年増と言うか、ばあさんみたいなところがあります。可愛いと思えるのですが、近寄りがたい面もあるのです。

2010年1月23日土曜日

大空と大地の中で (松山千春)


北の旅して思う事、それは、若い頃に二度ばかり、北海道移住計画をした事があった。一度目は二十歳頃、会社の先輩ふたりに誘われて、会社の労働基準に抗議して、三人とも解雇された時、北海道に行こうかと相談していたら、乗っていた中古車が再生不能の故障をして断念。二度目は、彼女と駆け落ちして北海道へ逃げようとしたが、やっぱり資金不足で断念。北の大地のいい所取りの憧れで、冬の厳しさを考えもせず、あまい考えで移住なんてとんでもない。国木田独歩の、”牛肉と馬鈴薯”や”空知川の上流”を読んで、甘い考えに気付いた。初めて北海道の地に立ったのは40代の後半でバスツアーだったのだが、あれは、自分の考えていた旅ではなかった。そして、ふたたび北海道一人旅を決行した。

2010年1月22日金曜日

野に咲く花のように (ダ,カ―ポ)


山下清画伯といえば裸の大将として有名だ。ランニングシャツに半ズボン、リックを背負い傘を持ち、放浪の旅を楽しんでいた。実話によると、旅先では絵は書かなかったらしい。すべて、記憶を元に帰省してから作品にしたという。私も彼のような気ままな旅がしたいと考えていたが、仕事をするのは社会人の勤め、憧れだけで50代になってしまった。しかし、その時が来た。勤めていた会社が倒産、失業保険が適用され、新しいスキルを得る為、訓練所に合格した。入学までひと月も時間的余裕がうまれた。これは、神様がくれた人生のバカンスを思い、車に飛び乗り北を目指したのだ。
 ※阿吽倶流の彷徨い日記  http://samayou555.iku4.com/
 面白いのでぜひ見てやってください。あなたも、旅した気分になれますよ。

2010年1月21日木曜日

雨の御堂筋 (欧陽菲菲)&(ベンチャーズ)


台湾出身の女性歌手、欧陽菲菲と結婚した式場壮吉という人。私がモータースポーツに関係していた頃、レーサーとして、福沢幸雄氏や生沢徹氏、ドクター漆原、面々の花形レーサーが入り乱れた時代がありました。病院の経営者でもあった彼、そして伯父様は精神学者の式場隆三郎氏で、あの山下清画伯の才能を見出した方です。あの頃、自動車レースに参加できる人は、メーカーにくい込んだ命知らずか、お医者さんみたいな金持ちのプライベートチームくらいでした。私たち貧乏人はメーカーのテストドライブに参加して、事故があったら部外者として葬られる。契約ドライバーが車社会の影に隠れていた現実のなか、日本のカーレースは存在していたのです。

2010年1月20日水曜日

愛的迷戀、信 (ジュディオング)


台湾出身の女性歌手のなかで、ジュディオングさんもそのひとりでした。私がむかし少女歌手の後援会スタッフをしてた頃、TBSラジオの’爆笑歌謡パレード’という番組にその少女のファン担当と言う事で、毎週5人くらいのファンを連れて出演していました。ゲストで、森進一さんや山本リンダさん、そしてジュディオングさんなども出演していました。当時、彼女もまだ十代で、ちいさくて、ほんとに可愛かった。その後、彼女は鳴かず飛ばずで、時が過ぎ、あの、池田満寿夫さんの”エーゲ海に捧ぐ”のテーマ曲、”魅せられて”で大ブレークする事になる。今でも、あの十代の頃の面影は残っているが、今ではハッとするような大人の女性として、こちらが魅せられてしまいます。

2010年1月19日火曜日

寂しい夜に、清夜悠悠  (テレサ・テン)

若くして亡くなった女性歌手で思い出すのは、あまりにも不運な流転の人生をおくり、惜しまれて突然亡くなったテレサテンさんを忘れる事ができません。アジアの歌姫とまで言われた人が、日本から国外退去や不法入国で取り調べを受けたり、理不尽な扱いを受けたのは何故なんでしょう。病死と言うのも謎のままで、人権運動に力を入れていたとの噂や、薬を飲まされて死んだのでは、という疑惑が飛び交っていました。いずれにしても、彼女の歌声が、どれだけの人の心を癒してきたか、それだけでも、国民栄誉賞の外国人部門に値する功績だと思います。その賞があったらの話ですが。私が好きになった女性歌手のうち、10本の指に入る歌手でした。

2010年1月18日月曜日

伊勢佐木町ブルース (青江三奈) JAZZ


ボニータイラーの日本版って感じかな?。惜しい人を亡くしました。それで思い出したでしょう、あの一世を風靡したブルースの女王、淡谷のりこ先生、じゃあなくって。青江三奈さんですよ、セクシャルボイスJAPAN、№1のあの人。かずかずの演歌調ブルースをヒットさせて、風のように逝ってしまった、おねえさま青江三奈さん。---早すぎたさよならでした。あの方の声は、八代亜紀さんや葛城ユキさんの唸りとは違って、ソフトなかすれ声とでも表現しましょうか、聖母のAm(アーマイナー)なんです。Aの音階を聞くと、どんなに泣いている赤ちゃんも、ピタリと泣き止むそうです。そして、Amは成人の男に魔法を掛けて、甘えん坊に変えるそうです、ほんとかな?。

2010年1月17日日曜日

I Need a Hero (ボニータイラー)


女、ロッドスチィワートと異名をもった人に、あのボニータイラーがいる。知る人ぞ知る、日本で大ヒットした”ヒーロー”(麻倉未稀)の元歌を唄った人で、あのテレビ番組のテーマ曲よりもかなり前に全米でヒットしている。映画フットルースやフラッシュダンスの前だった記憶がある。しゃがれ声でも、ジャニスジョップリンとは一味ちがい、女の色気が漂っていて、声を出さなければまあまあの美人。ブロンドの魅力は充分もっている。この人を、やっぱり日本人に例えると誰になるだろう。それは、一晩、ゆっくり考えてみますか。麻倉未稀さんでないことは確かだ。

2010年1月16日土曜日

セーリング (ロッドスチィワート)


アントニオソングを聞いた後、必ず聞くのがこの曲、”セーリング”だ。ロッド.スチィワートがしゃがれた声でシャウトすると、気持ちがだんだんと高揚してきて元気になる。アントニオのボサノバで緩んだ気持ちを建てなおすには最高の曲だった。日本で例えると森進一さんって感じかな。アメリカっぽい歌手と日本っぽい歌手で、しゃがれ声(ハスキー)。大声でシャウトしても鼓膜にショックが少ないので聞き易い。そんな共通点のあるふたりですが、明日の更新に森さん、とはいきません。連想と言うのは異な物で、とんでもないから面白いのです。さて明日は誰かな?。

2010年1月15日金曜日

Antonio's Song (平賀マリカ)


アントニオとくればこれですね。そのもの”アントニオソング”です。ボサノバの名曲で、ゆっくりと珈琲なんかサイホンでゴボゴボさせて。ロッキングチェア―に無気力に腰掛けて。ストレスから脱出した空間で、真空管アンプでこの曲を聞く。なんと贅沢な時間の使い方だろう。もちろんアンプのトランスは山水のST、真空管は袴のついた807が最適で、キャッツアイのインジケーター付きがいいでしょう。夢みたいなリスニングルームの、夢の時間に”アントニオソング”。なにか、デイドリームの真っ只中で、しばし生きているのを忘れる事も、人間の幸福感を充足する、魔法の呪文と言えるかも知れない。そんな時代が昭和にはあったような気がする。

2010年1月14日木曜日

クスリ・ルンバ (アントニオ古賀)


アントニオ古賀さんのふざけた曲があったので紹介しておきましょう。一歩間違えると、お笑いの芸人に方向転換か?、と言われそうな内容で、音楽的には評価出来ないのですが、場を和らげるのにはもってこいの曲です。この当時、薬品会社の販売競争が激化していて、名前で売上が左右していた時代です。今でも、可笑しな名前の薬が氾濫していますが、薬効というのは、どうしても説明が長くて買うほうは悩みますが、名前で納得ブームが起きたのです。初めは、会社名と疾患で(武田胃腸薬)とかでしたが、次に(新)を付け(新三共胃腸薬)にして、今度は、駄洒落で(モタレ―ヌ)なんか出て来たりして。薬ってほんとに笑っちゃいますね、笑いは薬とか言いますよね。

2010年1月13日水曜日

その名はフジヤマ(アントニオ・古賀&鶴岡雅義)


古賀政男先生の弟子に、ギター部門の弟子がいたのを知っていますか。この曲の二人はまさにそのギター部門のお弟子さんです。鶴岡さんは、ロマンチカで有名ですが、彼の演奏するレキントギタ―は、ラテン音楽などで使用する、ネック(指板)の部分が短い、ボディ(胴)が小さめな、オクターブ高い音で歯切れのよいテンポを演奏するのに、昭和に流行った楽器です。ロマンチカの曲や、裕次郎さんの”二人の世界”なんかでも演奏していました。そして、アントニオ古賀さんは現在、ラテンミユージックなどをリリースしているようで、古賀メロディーとは少し異色なところで活躍しているようです。私も一時期、レキントギターにはまりましたが、ピッキングが難しくて挫折しました。

2010年1月12日火曜日

酒は涙か溜息か (八代亜紀)


古賀政男先生といえば古賀メロディーでしょう。あの、”酒は涙か溜息か”の曲のイントロ、印象深いギターソロ、あの部分だけをよく練習したものです。スナックなんかでチロっと弾くと、もう泣いてるオッサンなんか居たりして、条件反射と言うか、パブロフの犬みたいに眼から涙が出て来るみたいです。それが、変に可愛くて、ついついやってしまうのです。中華ソバ屋の常連のオジサンがそれで、そのイントロ部分だけリクエストするので、同じフレーズを3回くらい弾いても、しみじみ泣いてくれるので、いいファンだった。ギターと言う楽器は、カポタストという器具で、首を締め付けると音階が変るので、歌う人のキーに併せられるので便利だ。古賀ギターと言うブランドや、民社党の党首だった、春日一幸さんのブランド、春日ギターも持っていた事があります。国産のギターは日本独特の、昭和の音色がするんですよ。

2010年1月11日月曜日

人生劇場 (村田英雄)

 
人生劇場といえば、ものごころ付く頃にラジオドラマでやっていたような気がします。テレビではなく、布団に入って耳だけで聞く生活がありました。家族で部屋いっぱいに布団を敷き、末っ子の私はどこかへもぐりこんで寝ていました。親父の布団のそばにラジオがあって自然と耳に入ってきたのが”人生劇場”でした。知らずに義理人情なんて言葉もおぼえていたんですね。飛車角とか吉良常なんて、子供の頃から知っていました。今でも、なにかで挫けそうに成ると、この歌が出てきます。この手の歌は普段あまり聞かないのですが、幼い頃の刷り込みとでも言いましょうか、出てきてしまうのです。失恋した時も、♪あんな女に未練はないが♪なんて、唄ってしまいました。                  (映画の予告を見つけました) http://www.youtube.com/watch?v=jRrv_NzxNS8

2010年1月10日日曜日

織江の唄 (山崎ハコ)


海援隊の武田さんは北九州の出身で、筑前筑後の歌手は以外に多い。この地を舞台にしたドラマで’青春の門’という五木寛之さん原作の物語を思い出す。小説の中で、幼馴染のふたりが紆余曲折のはて、むすばれるストーリーを歌にしたのが”織江の唄”である。山崎ハコさんの物悲しい歌声がいつまでも耳に残ってやるせなさが癖になる。劇中で、織江を遊郭から取り戻そうとする主人公と偶然出会った侠客が、主人公の伯父さんに一宿一飯の恩義のため、自分の内妻に身売りをさせて、織江を救ってくれる。なにか、人生劇場にも出て来た侠客に男の世界を感じる、古い人間なんでしょうか?。

2010年1月9日土曜日

思えば遠くに来たもんだ (海援隊)


出発を誕生とすると、ほんとうに、”思えば遠くに着たもんだ”と感じる。最近、二つ目の名前を使うようになり、それも英語のアンクル(おじさん)を漢字で表して’阿吽倶流’と命名し、IT.COM活動なんかしている。人生の遠くへ来たのを実感している、今日この頃であります。阿吽とは仏教の阿(あ)~吽(ん)まで、世の中の始から終りの全て。倶(く)は集り来る、流(る)は流れ去る、という言葉をつないで、人生の諸行無常を表した造語です。そんな境智になるほど、けっこう旅をしてきたようで、子供の頃の志からは遠い処に立ったいる。ほとんどの人がそうだと思うが、人生は後悔半分安堵半分、自分は大器じゃなかったと、開き直って余生を生きる。それで良いと思うのさ。

2010年1月8日金曜日

サントリーCM (倉本總)


コマーシャルソングで今でもリメイク版が時折放送されるが、何と言っても当時のものをみたいものだ。YOUTUBEでこの手のCMが多いのは、おそらく、映画劇場と称されるテレビ映画を録画したものの中に、残っていたものが多いのだろう。それを探せば、私のVHSなんか4~500本の在庫があるので、初期のCMなんか、お宝物が出てくるかもしれない。この数あるシリーズのなかで、倉本總先生の若いのにビックリした。おそらく、”北の国から”構想中の頃であろう。思えば遠くに来たものだ、私は当時青年か少年?だったのかも。

2010年1月7日木曜日

わんさか娘 (レナウンCM)


ウキウキワクワク気分、それの走りはレナウンのコマーシャルソング。わんさか、と言う意味不明の言葉にアニメーションがついたスポットCMが、むかしよく流れていた。テレビ番組のはじめや終りに、企業イメージの曲をしつこく宣伝した時代、ナショナル、日立、東芝や、日産などの車メーカーも、聞けばあれかと思う曲が沢山あった。♪ひかるひかるOO♪や♪この木何の木気になる木♪とか、いっぱい流れた企業ソングのなかで、耳について離れない曲がこの曲だった。今でも春先に、そよ風に乗って歩いていると、鼻歌として出てくるのが、わんさかわんさか、である。レナウンという企業名よりも、イエイエ娘が鮮明に残っている。

2010年1月6日水曜日

そよ風に乗って (マジョリー・ノエル)


バイクの話で、日本映画の”湾岸道路”(草刈正雄、樋口可南子)主演。と行く筈だったが、YOUTUBEも万能ではなかった。誰もUPしていなかったのでPASSと言う事で。バイクに乗った時、浮んでくる曲は”そよ風に乗って”なのだ。聞いてみると、けして、そよ風ではないと思う。軽快な速度の、なにか乗り物に乗っている気分になる。フランス語の滑らかな誘いに魅かれて、別世界に飛び立つような心持にさせるこの曲。すこし大げさに思うが、なぜか旅立ちのときに浮んでくるのだ。新しい年のはじめから古い曲ばかりで申し訳ないのですが、最近よかった曲もあるのですが、著作権の問題があるので、もう相当稼いで元を取った曲にスポットを当てて、復活祈願の意味も込めて、古い曲を選んでいるのであります。あしからず。

2010年1月5日火曜日

あの胸にもういちど(フランス映画)


フランス映画といえば、名曲から外れるかも知れないが、”あの胸にもういちど”という映画に影響を受けた。当時は青年だったので深い官能的な意味は解らなかったが、バイクの快感だけは理解した。しかし、その後4輪車に夢中になり、しばらく映画のことを忘れていた。三十路を過ぎて、リクルートの時期があり、人生のリセットとして、半年あまりフリーターであった。何もしていないと罪悪感があったので、バイクの免許を取得しようと教習場に通い、みごと一回で取得、バイクも、GB400を購入した。さあ、出発したのはよかったが、奥多摩の山道でクラッシュ、ひと月の入院。”あの家にもういちど”帰れたのは、まだ世の中に必要とされていたのか、今でも無事に生きている。ありがたい事だと思う。

2010年1月4日月曜日

アイドルを探せ (シルビー.バルタン)


昨年の暮れに何処まで行きましたっけ?。年末年始でだいぶ脱線したみたいなので、三が日過ぎたので元に戻しましょう。ユーロビートが流行りだした頃、ユーロ映画も全盛期で、この、”アイドルを探せ”と言う映画と曲が、日本で大ヒットした時代がありました。ヨーロッパの女性が、日本でメジャーになったのは、ツィッギーやバルタンやチンクエッティーのような年頃の女性が認められて来た。それ以前の女優とは、BB(ブリジッド.バルドー)、CC(クラウディア.カルディナーレ)、ソフィア、ローレンのような成熟した女性がメインだったのが、この頃、変化したのです。ちなみに、ウルトラマンのバルタン星人は、シルビーバルタンのパクリだと思います。

2010年1月3日日曜日

G線上のアリア ( J.S.バッハ)


”G線上のアリア”は正月のクラシックにはもってこいの選曲だろう。みんなが休日なので道路はすいているし、関東では連日の快晴で澄み渡る青空、そこにこの曲がながれる、なんとすがすがしい情景だろう。また、雪が積もって大変な地方も、雪掻きで疲れた体と心を癒してくれる、癒し効果があるクラシックではベスト10に入るだろう。青空の似合う曲、静けさの似合う曲といわれているが、音を出すのに静けさとは矛盾していますね。英語にある”サウンドオブサイレンス”である。音楽で静けさを表現するのだから難しい。歌舞伎や舞台なんかでも、静かに雪が降り積もる様子を、太鼓をゆっくりとそっと叩いて表現する。静寂の音楽、正月にぴったりのクラシックではないだろうか。

2010年1月2日土曜日

六段の調べ (和琴)


和琴の代表曲のわりには名前を知られていない”六段の調べ”。お花見、正月、月見、お茶会などの雰囲気を盛り上げる?、落ち着かせる席で、必ず、と言っても良いほどこの曲が流される。しかし、曲の名を知る人は意外に少ない。外国の映画で、日本の情景を醸し出すのにも、よく使われている。それだけ知られた曲なのに、”さくら”などのほうがメジャーであるのはどうしてだろう。作詞家修行の甲斐あって、私なりに分析すると、映像が浮ばないからだと思う。六段、何のこと?。西洋音楽で、バッハの”G線上のアリア”と言う曲があるが、同じ事がいえる。どちらも、情景が浮ぶタイトルだったら、曲の名の知名度も上がっていたのでは。

2010年1月1日金曜日

春の海 (宮城道雄)


正月のベスト1といえばこれっきゃないでしょう。そして、この曲を聴くと小松正夫さんと伊藤四郎さんを思い出すのは何でしょう?。そうです、♪つんつくつくつくつん、つンつくつくつくつー♪ひやー、とか言うコント、あれを思い出してしまうのです。春の海はどこへ行っても聞こえて来ますが、何故か、♪つんつく♪が出て来て笑ってしまうのです。厳かで荘厳な?同じか、この曲を、笑いの種にした人は,本当はきびしく怒られそうなものですが、この曲の関係者の大らかなところで、未だにおとがめなしで済んでいます。まさに正月にふさわしい名曲です。