この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2010年6月3日木曜日
さよならの向う側 (山口百恵)
卒業といえば区切り、さようならの意味ですが、終りではありません。そこには、その後があります。言い換えれば出発、スタートでもあります。卒業は新しい世界に行く前の儀式なのだ。その儀式を、あれだけ派手にやった百恵さんは、簡単には戻れませんし。卒業した人は学生には戻れないのと同じです。だから、現在の百恵さんをネットで検索しないほうがいいです。もう、あの時の百恵さんでは無いのですから。別れた恋人の残像は大切にしまっておきましょう。時間が過ぎたプロセスを理解するには、大きな時間がかかります。
2010年6月2日水曜日
卒業 (キャンディーズ)
乱数幹と書いてキャンディーズの方程式です。なんてギャグがありまして、彼女達が活躍していた頃は、私達もハツラツ年代でバリバリ生きていた頃でした。幹は別として、乱数はいい女優になりました。でも、老いてゆく彼女達を見ると、必ず自分に置き換えるので、なるべく、あの時のキャンディーズの人とは別の人なんだと思う事にしています。先日、中学のクラス会の知らせが届きました。でも、行きたい気もあるし、変ってしまったクラスメイトを見たくない、そんな複雑な気持ちが交錯して、結局いきませんでした。変った自分も見られたくなかった、タイムトンネルをくぐって、浦島太郎のように、なりたくなかったのかも知れません。
2010年6月1日火曜日
卒業 (渡辺美里)
はっきり言うと、美里に女を感じた事は無い。彼女は男みたいな性格だから、女の弱さ、頼りなさが感じられないのかも知れない。でも、この曲はよく聞きましたよ、失礼しました。ところで、このブログを始めて今日まで、何ヶ月過ぎたでしょう。毎日更新してきて、そろそろ疲れを感じてきました。六月一日がきりがいいので、明日からは、不定期、思いつき更新にしたいと思います。出来る限り毎日更新したいのですが、そうネタが続くとも思えませんし、メインブログの”彷徨い旅”も新シリーズ九州編がスタートします。そこで、基本、土日休は更新無しで、不定期、思いつき更新にさせて下さい。なるべく永く存続するために、皆勤賞は卒業します、あしからず。
2010年5月31日月曜日
卒業 (サイモンとガーファンクル)
はじめて買ったビデオデッキが届いた日に、洋画劇場で放映されたのがこの映画だった。当時八万円もする機械は、録画再生ボタンが押し込み式で、リモコンも無く、ボディは木製だった。ローンを組んで10回払い、思い切った買い物でした。映画のストーリーは有名だから、知らない人は少ないでしょう。主演のダスティンホフマンの走りが話題になり、のちに”マラソンマン”の主役にも抜擢された。何と言ってもラストの、印象的な略奪愛が、大塚博堂の”ダスティンホフマンになれなかったよ”なんて曲まで出現している。究極の出来そうで出来ない愛の形を、映像化した作品だ。
2010年5月30日日曜日
卒業 (尾崎豊)
尾崎の時代は私の青春よりあとだが、尾崎が亡くなった時の騒ぎは今でも思い出す。当時池袋のサンシャイン近くの路地に、若者が腫れ上がった頭で倒れていた。若者はすでに死亡していたが、それが尾崎豊氏と判明した。新聞が書きたて、事故説、殺人説。病気説が飛び交った。葬儀には沢山の若者が集い、泣く者や叫ぶ者が続出したニュースが流された。それまでは、エージギャップがあり、存在すら知らなかった歌手が、こんなにも若者に支持されていたのかと驚いた事を憶えている。今でもサンシャインの外階段に彼の碑があるのを知っていますか。
2010年5月29日土曜日
卒業写真 (松任谷由実)
このころ卒業したもの、それは横浜通いだ。何故か知らないけど横浜、湘南、の憧れはしばらくつずいた。元町商店街が、まだ木造で道も狭かった頃、フェラーリに乗った金持ちが、喫茶に入ると集まってくるのが横浜銀蝿と言う若者だ。持ち主が出てくると、ぱぁ~っと散り、居なくなるとまた集まる。ウンコにたかる銀蝿そっくりだった。私も同じようなものだけど、東京から首都高経由でたかってた。”卒業写真”がはやった頃、意味も無く突然行かなくなった。どうしてだか憶えていないが、おそらく卒業の時期が来たのだろうとおもう。
2010年5月28日金曜日
青春時代 (森田公一とトップギャラン)
♪
♪卒業までの半年で、答えを出すと言うけれど。ふたりが暮らした歳月を、何で測ればいいのだろう♪。このフレーズが時折あたまを過ぎるのは何故だろう。わたしの人生、答えを出した事が一度でもあっただろうか。何時も気が付いたら別の場所にいたような気がして、答えを出さずに、曖昧に生きてきたような気がする。区切りと言うか、此処から此処までみたいな事が無く、ただ、時の流れに乗っかってきたようだ。いろんな経験をしてきたが、わたしは未だに専門分野を持たない。何かが起きて、TVのニュースに出た時、何と紹介されるのだろう?。
♪卒業までの半年で、答えを出すと言うけれど。ふたりが暮らした歳月を、何で測ればいいのだろう♪。このフレーズが時折あたまを過ぎるのは何故だろう。わたしの人生、答えを出した事が一度でもあっただろうか。何時も気が付いたら別の場所にいたような気がして、答えを出さずに、曖昧に生きてきたような気がする。区切りと言うか、此処から此処までみたいな事が無く、ただ、時の流れに乗っかってきたようだ。いろんな経験をしてきたが、わたしは未だに専門分野を持たない。何かが起きて、TVのニュースに出た時、何と紹介されるのだろう?。
2010年5月27日木曜日
蛍の光 (唱歌)
蛍の光は夏で窓の雪は冬。何を意味するのか知らずに卒業した。中国のむかし話で、ふたりの貧しい若者が、あるものは蛍の光で勉強して、あるものは雪明りで勉学に励み、二人とも出世をした。この話をもとに作詩されたのが”蛍の光”だそうである。明治のはじめ、スコットランドの民謡に日本語の歌詞をつけたらしい。小学校ではこの曲を唄ったような気がするが定かではない。しかし、この曲が流れると、何かが終るような、条件反射でシックな気分になるのは不思議だ。現代はこんな貧乏ったらしい曲は使われないが、まさに昭和とともに遠くなり行く。
2010年5月26日水曜日
あおげば尊し (唱歌)
このブログのはじめに書いた、人生の節目に聞いた想い出の歌は鮮やかに蘇える、と言う言葉が、そのまま当てはまる曲がこの曲のような気がする。卒業の季節はもう過ぎてしまつたが、かえって少し過ぎたほうが実感が湧く。五月病も治まる頃、冷静に卒業前と後の比較が出来るというものだ。私が最近卒業したものといえば、ハローワークから入学した職業訓練の学級だ。渋谷外国語学院で行われたIT関連のクラスで、短い期間だが、老若男女がともに学び、卒業を迎えた。学級委員のわたしは、最後に代表挨拶をスピーチして、学生時代の劣等性がクラス委員になれたのでした。
2010年5月25日火曜日
贈る言葉 海援隊 (武田鉄矢)
この曲は、海援隊の頃の武田さんが作った曲で、当時の学園ドラマで使われた挿入曲だったが、彼も想像しなかった事態がおこったのだ。それまで学校の卒業式に唄われる曲は、”蛍の光”か”仰げば尊し”が定番だったのが、いつの頃から、この”贈る言葉”が正式な卒業式に唄われるようになったのだ。時代は変わり、時代は巡り、私も人生のひとつの卒業を迎えた。ここで、卒業にまつわる曲を並べて見ようと思う。いろんな卒業があるが、思い出に残ることばかりで、それにかかわる音楽もいっぱい記憶の片隅に眠っている。すこし、揺り起こしてみようと思う。
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