この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2011年6月14日火曜日
北帰行 (小林旭)
高音の旭節が心地よい歌ですが、唱歌としての”北帰行”とは違って、彼、独特の唄になっています。大人の魅力で、背中に影を背負った男が、すべてを捨てて故郷に帰ろうとしている情景が浮んできます。コーラスのダークやボニーが歌うのとは別物に聞こえます。”ギターを抱いた渡り鳥”という彼の映画がありますが、その延長線にあるような曲ですね。ちなみに、私も旅に出る時に、小型のギターを持っていきます。ある時は、夜の摩周湖駐車場で”霧の摩周湖”を酒を飲みながら唄った事があります。その時、周りに車は一台も居ませんでしたし、ちょうど霧が立ち込めていました。
2011年6月13日月曜日
北空港 (浜圭介、夫妻)
私は彼女のファンでした、と言うか歌のファンでした。”北国の青い空”を聞いて、何時かその歌詞のような場所に行ってみたいと思うようになりました。そして、我が恩師の”なかにし礼”先生の内弟子である千家和也さんとコンビを組んだ浜圭介先生との結婚を知り、心から祝福したのを思い出します。私は作詞の勉強したのは作詞講座で、千家さんは直接押しかけて、内弟子になったのです。作詞家に憧れて夜遅くまで歌詞を製作していた頃を懐かしく思い返します。このお二人を見ると、何故かあの頃が蘇えります。
2011年6月10日金曜日
北の漁場 (北島三郎)
この曲は北島三郎さんの原点でしょう。彼のデビユー曲のなかに♪ゴムのカッパに染み透る♪と言う漁師が主人公の歌が有名なので、漁師の経験が有るのかと思ったくらいです。北島さんは函館の近くの知内という場所の出進で、函館には記念館もあります。いろいろ苦労をなされてビックになった今、メジャーではなかった村を全国に知らしめた功績もあります。そう言えば、羊蹄山の麓の真狩村を有名にした細川たかしさんも同じようです。有名人になると決まって、饅頭や煎餅に名前がついて売られている。二人ともお土産で買った事があります。
2011年6月9日木曜日
北の螢 (森進一)
むかしは北海道を蝦夷と言っていた頃、開拓民の苦労のほかに、強制労働の囚人達がいた事を、北海道へ行った時に初めて知った。網走の付近の道路脇に、こんもりとした塚が幾つもあった。バスガイドの説明でそれが囚人の墓だと知った。そんな事を聞いてからこの映画を観たときの、なんとも言えない不条理さが、今でもその辺りへ行くと思い出す。そして、阿久悠さんの搾り出した名曲を思い出すのです。網走刑務所は今では軽い刑の人が、農業をしたりする刑に服しているらしいのです。昔はひどかったという悲しい物語です。
2011年6月8日水曜日
北の旅人 (石原裕次郎)
ミスター昭和の裕次郎さんは平成を知らずして亡くなりました。でも、彼の唄を聴くたびに昭和の光景や出来事を思い出します。小樽にある裕次郎記念館に行った事がありますが、入口を入ると黒部の太陽のセットがあったり、彼の愛車が展示してあったりで、死んでも虎は皮残す、ではないですが偉大なひとでした。都知事のお兄さんもそうですが、小樽で生まれて、商船会社の父親の都合で葉山に越してきたとの事。余談ですが、私の作詞の師である、なかにし礼さんも小樽出身で、裕次郎さんとの同郷で偶然の出会いが人生の岐路だったと聞いています。ですから、私は小樽の街が好きです、もう何度もいきました。
2011年6月7日火曜日
北酒場 [NORTHERN BAR] (細川たかし)
ただ北だけなら相当数の歌謡曲があるとおもいます。北区と言う住所は東京、大阪、諸々、日本で一番多いのではないかと感じます。北のイメージがピンときやすいのではないでしょうか。日本列島は西日本と東日本に分かれています。本州も関西と関東に分けられるのに、区になると北が多いのは何故だろう。何て、どうでも良い事を書いて一人で悩んでいる。なぜ北酒場なのかが問題なんだある。西酒場だと西洋の感じがする、東酒場は日の出の印象がある、南酒場もいいのだが、解りますよね。北の閉鎖的な雪に埋もれて行動範囲が小さいところに物語が生まれてくるのです。何が言いたいのか分りますか、私も見失った。
2011年6月6日月曜日
北国の町 (鶴岡雅義と東京ロマンチカ )
前に投稿した”北国の街”がありましたが、今度は”北国の町”です。街と町の違いは、ただ大きい街とか小さい町とかの違いでしょうか。歌を作るときはそこまで掘り下げてこだわるものなのです。郵便を出すのに、何とか町と言いますが、何番街という場所もありますね。どうも新旧で使い分ける事もあるようです。と言う事は、札幌、小樽、函館あたりは街で、富良野、増毛、佐呂間クラスの処が町なのでしょうか。それに時間的考察をすると、札幌が街で、函館は町になる。たかが短い歌の世界ですが、作るもののこだわりはそこまで深いのです。
2011年6月3日金曜日
逢いたくて北国へ (小柳ルミ子)
お嬢様歌手でデビューした彼女も、最近はご発展で、人は変るものの典型みたいですが、この国を出した頃はお嬢様でしたよ。こういう曲の特徴は出会いの話は無く、突然別れのシーンから始まるので驚く。唄は3分間のドラマと言うので、初めから説明する余裕はないのかも。しかし、サウンドのほうは大体汽車の走る速度を意識して作られるようです。16ビートの倍テン(8の倍のテンポ)で列車の響きを意識しているようです。作詞で行きとか夜行列車と書いても、曲を作る人がゆっくりしたビギンなどで進行したら、歌謡詩としては成立しても、音楽としては破綻してしまいます。作詞、作曲家の息が合うとはそういう事なんです。
2011年6月2日木曜日
北国の街 (舟木一夫)
むかし、昭和の中頃のこと、歌謡界に新御三家なる人達がいました。その中のひとりに舟木一夫さんがいました。わたしは御三家では西郷輝彦派でありましたが、他の、橋、舟木さんの曲も気に入ったら聴きました。この曲の前奏で聞こえるクラリネットの響きが、北国の哀愁を漂わせています。私が子供の頃は、クラリネットといえばチンドン屋と言う広告楽団でした。あの荒っぽい吹きかたで、耳障りな音色が人の気を引くのにワザとしていたのかもしれません。あの看板を下げて吹いていたクラリネットの音色も、この歳で久しぶりに聴くと、何と哀愁のある音色ではありませんか、ノシタルジーなんでしょうかね。
2011年6月1日水曜日
だからわたしは北国へ (チェリッシュ )
”だからわたしは北国へ”と言って、突然だからと来る歌の手法は、”そして神戸”などにも見られる技で、珍しくないのだが、驚いたのは中にある♪恋の戦争にやぶれた”と、恋が戦争なんだという理論でした。いままで恋が辛いとかはよく表現されていましたが、戦争とは考えた事もありませんでした。戦争とは、争って相手のものを手に入れる、相手の人権までも支配する。そう言った意味では共通するのかも知れない。作詞の勉強の中で、恋と愛は似ても別物と教わったが、これを愛の戦争とは表現できない。それは愛は奪うものでも支配するものではなく、すべて与えるものだからです、なんちゃって。
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