2011年4月14日木曜日

シェルブールの雨傘 (Michel Legrand)


物悲しい映画と言えばこの映画も、根底にあるペーソスが心に沁みました。ユーロシネマに共通するペーソスと言うか哀愁というのは、独特の味わいがあります。みんな私が子供の頃の作品ですが、子供心に異国情緒を感じていたのはユーロシネマでした。この映画を観たとき、正直、何やこれは歌ばかりじゃないかと思いました。ミュージカルなんて縁の無かった自分が、この映画を観てミュージカルなるものを知りました。もっと前に”ウエストサイド物語”は見ていたのですが、ミュージカルだという認識がありませんでした。

2011年4月13日水曜日

鉄道員 (ピエトロジェルミ)


映画音楽が続くが、この物悲しい旋律の暗い世界に沈んでいると、突然、映画のワンシーンに使われた台詞が入る。沈み込んだ心に驚きが走る、何があったんだと思わせるような子供の声なんです。驚きますよ、これを聴いたら突然ですからね。音楽のビックリ箱なんです、って彦麻呂さんのようですね。まあ冗談はこれくらいにしますが、映画音楽はその場面が蘇えってくるようです。だから現実の人生でも、その出来事があったときに流れていた音楽を、後に、時が流れてもそれを聴くと思い出すのですね。

2011年4月12日火曜日

死ぬ程愛して (アリダ.ケッリ)


兄が次に買ったのはこの曲で、映画を観てきたらしい。わたしも同じ家の住人なので当然聞こえてきますから、この♪アモーレ、アモーレ、アモーレ、アモーレミヨ、♪と言うフレーズが耳について離れませんでした。わたしはこの映画を観ていないので、内容はよく判りませんが”刑事”という映画の主題歌だということです。この頃の映画はモノクロ(白黒)がほとんどで、パンフレットも白黒だったと記憶しています。まだガキの頃だったので、この悩ましい声の叫びも、わたしには何の事やらで、まさか愛の歌だとは思いませんでした。今聞くと何と悲痛な叫びでしょう、子供にはわからない世界でした。

2011年4月11日月曜日

第三の男 (アントン、カラス)


映画音楽でよく憶えているのがこの曲です。恐らく兄が初めて買ったレコードだったのでしょうか、その日のことを今でも思い出します。ポータブルプレーヤーを買ってもらい、はじめてレコードショップに兄弟で行きました。その時はやっていた映画が”第三の男”でしたのでそれを買い、わたしはオコズカイをはたいて”上を向いて歩こう”を買わされました。というのは、自分達も聞けるのでやたらと乗せられて、とくに買いたくも無かったのですが買ってしまいました。でも現在はCDの時代なので、あのレコード達はどこに行ってしまつたのでしょう、買った時は憶えているのに、何時無くなったのか憶えていません。

2011年4月8日金曜日

"Love is a many splendored thing"(慕情)


慕情という言葉を検索したら、言葉の意味よりもこればっかりで驚いた。ウディぺキアでもこの映画が慕情で、映画の内容ばっかりで、言葉の意味は二の次だ。この映画は観たことが無いが、この曲は名曲中の名曲で、機会があるごとに聴いている。この曲を知らないひとは日本の子供以外全員と言って良いほど居るだろう。でも、曲は知っているが映画”慕情”の主題歌だと言うのを知らない人は、けっこう居るかもしれない。映画を観た人は主題歌を聴くと、その時観たシーンが浮んでくるが、音楽しか知らない人は、映像から来る記憶がないので曲名を思い出せないのだろう。だから、名曲とは思い出のシーンが必要なのかもしれない。

2011年4月7日木曜日

長崎慕情 京都慕情 (ザ・ベンチャーズ)


もうひとつ長崎で感じた事は、長崎のような異国情緒のある街は音楽の舞台になりやすい、と言う事でした。クラシックの蝶々婦人とか、長崎の〇〇とかが実に多い。私のギターの師匠でもあるベンチャーズも長崎の曲を造っている。去年の坂本龍馬ブームでも、長崎や京都が舞台になっているが、外国人から見てもこの辺が日本の雰囲気を感じる場所のようです。そして此処にある慕情なる言葉は、何ぞや、と調べてみると’したうこころ’とある。とくに男女の気持ちのなかに多くある感情だと書いてあった。古い港町や古都での恋人達は、歌になりやすいということでしょうか、逆に言うと平凡な恋は歌にしても面白くないと言うこと?。

2011年4月6日水曜日

長崎は今日も雨だった (クールファイブ)


梅沢富美男さんと言えば、以前NHKの番組で前川清さんとふるさとの番組をやっていました。あの番組が好きでよく見ていましたが、前川さんがすっかりお笑い芸人化したのには驚きました。前川さんのデビュー曲の”長崎は今日も雨だった”と言う曲がありますが、去年、車で九州の旅をしましたが、歌のとおり長崎は雨でした。佐世保で一泊して、朝に長崎の眼鏡橋あたりで降り出して、円山公園や亀山社中の観光や思案橋でも小雨が降っていました。その時思ったのは、あの曲の中の雨は小雨だったと確信しました、小雨では歌が唄いにくいですがね。

2011年4月5日火曜日

夢芝居 (梅沢富美男)


この曲の作者も小椋佳さんですが、印象派の絵画のように万人受けするような綺麗な曲で、大ヒットしましたが、わたしの好きだった小椋佳さんでは無くなって来ました。後半の彼の曲は、いい曲だとは思うのですが、あの難しい哲学書の雰囲気は消えていました。それは仕方の無い事です、この私も当時は真直ぐに張った糸のようでした、今ではゆるゆるの垂れ下がった糸ですものね。ひとを責める前に、自分が言えるだけの人間か考えるようになりました。これを世間で言う、まあるくなった、と言う事なんでしょうかね。

2011年4月4日月曜日

シクラメンのかほり (小椋佳)


わたしの悲恋に話は終りましたが、初期の小椋佳さんは抽象画のようで理解しにくい言葉を繋ぎ、まるで難しい哲学書を読むようでした。その不可解さに共感を覚え、彼のアルバムの中にある落書きが好きでした。このシクラメンには私の発見があります。小椋佳さんは北原白秋が好きだというので、私も日本文学全集の北原白秋と高村光太郎の編を買い、ひととおり読みました。白秋の部が終わり、高村光太郎の最初の詩の中に、何と!しくらめんのかほり、と言う文章がありました。パクリとは思いませんが、影響があったのではと思います。この曲のヒットから小椋佳さんの曲は、綺麗な言葉をちりばめた印象派の絵のように変化して行きました。

2011年4月1日金曜日

さらば青春 (小椋佳)


病院で医師の言葉に驚いた、常習犯ですね、死ぬ気の傷ではありません、と言われ、警察から人が来るので調べを受けてくださいと言われ、同行した母にも事情を話した。彼女を背負って帰るタクシーで、この恋の終わりを感じた。後日彼女の父親が家に来て、警察からの連絡でここにお世話になっているのを知らされたそうだ。彼女は私の家を出て、鷺宮と言う所に引越し、私の小椋佳時代が終わりを告げた。そしてひと月あまり後の夜、電話に出ると初めて聴く男の声で、彼女は元気で居ますか、という婚約者からの電話だった。私の事は調べたのだが、自分も事情で故郷に帰ることになったので、最後の電話らしい。彼女が出て行ったことを告げて、お互い新規に頑張りましょうと言って電話を切った、いままで何だったのだろう。