この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2011年1月19日水曜日
じょんから女節 (長山洋子)
彼女の変身ぶりには驚きました。その昔はポップスのアイドルで、松田聖子さんや小泉今日子さんのような存在だったのに、アイドルとしての人気が下り坂の時、突然、演歌の歌手として再デビューしたのですから。アイドルの頃でも、洋楽の”ビーナス”や一昔前のアイドルの曲をリサイクルしたりで、その異色ぶりには関心していました。ほんとうに、その七変化ぶりは、彼女の生命力を感じます。私は聖子チャン派でもキョンキョン派でもなく、そのしたたかに生きる、長山洋子の隠れファンだったのです。今は大人の女性として、良い感じで成熟した魅力を見せてくれるので嬉しいです。
2011年1月18日火曜日
津軽じょんから (細川たかし)
細川たかしさんと言えば、北海道の羊蹄山を望む、真狩村の出身なのは有名です。もともと民謡出身ですので、あの高音の冴え渡る歌唱は最高です。民謡の最高峰である”江差追分”の大会でも良い成績を収め、演歌の王者と言うよりも、日本の代表歌手と言った人ですね。あの真狩村に行きましたが、川沿いの公園に彼の銅像がありまして、すっかり観光名所になっていました。公園の入口にあるお土産屋の親父さんと、しばし話し込んだ思い出があります。お土産も、たかし煎餅とか何種類もありまして、私もひとつ買い求めたのが懐かしいです。
2011年1月17日月曜日
風雪流れ旅 (北島三郎)
津軽三味線といえば高橋竹山でしょうか。その生涯を唄った有名な歌がこの曲です。ギター弾きとしては同じ弦楽器として興味を持つのは当然なんですが、この津軽三味線は弾いた事がありません。子供の頃、家の押入れの奥に、三味線の残骸があったのを思い出します。私の祖母の物だと思いますが、祖母が三味線を弾いている姿を見た記憶がないので、若い頃に少し習った程度なのか、それとも三味線を弾くような職業をしていたのか、祖母についての情報はありません。ただ、そんなDNAがあったのは確かなようです。
2011年1月14日金曜日
帰ってこいよ (松村和子)
夕焼けといえば茜色ですよね。この茜色という色がどんな色かは、本当の所知りません。こんな色なんだろうと何となく思っているだけです。だけどこの色、明るいようで寂しい響きのある色ですよね。この曲を聴いた時、胸を締め付けられるような、寂しさを覚えた曲でした。それに、この津軽を背景にしたストーリーと、物悲しい津軽三味線の響きが、悲しい悲しいと唄っています。日本人の郷愁でしょうか、北国の悲しさというか、此れが沖縄のストーリーで沖縄の三線と言う三味線だったらどうでしょう。日本人は北が悲しいのです。オーストラリアに行けば、全ては逆転するのですがね。
2011年1月13日木曜日
七つの子 (童謡)
それから夕焼けもそうなんですが、♪カラスと一緒にかえりましょ♪から続がる、♪カラスの勝手でしょ♪ですね。何でこの曲が出てくるかと言うと、バブル景気が始まる頃、何でも有りと言う考え方が普及してきました。TV番組でもクレイジーキャッツからドリフターズに交代、子供から大人まで”8時だよ全員集合”に釘付けでした。俗悪番組と言われながら、絶大な人気を示していました。中のコントで、志村けんさんの♪カラス何故鳴くの、カラスの勝手でしょ♪と言うフレーズが大流行、そんな風潮が日本に蔓延していました。何をするにも私の勝手でしょ、という考え方が、思いやりのない最近の中年を造ったような気がします。通り魔殺人は、そんな流れで起こったような気がします。あくまで気がするだけですがね。
2011年1月12日水曜日
夕焼け小焼け (童謡)
そして、いまでも耳から離れないのが”夕焼け小焼け”です。山好きの父に連れられて、八王子の奥にハイキングした時、この曲が創られたと言う旅館の夕焼壮と言う場所で休憩をして、そこの石碑の前で、そんな話をしてくれた父を思い出します。だからと言うわけでもないのですが、何故、耳から離れないかとよくよく考えたら、この曲、毎日聴かされているんですよね。最近では夕方の4:30分になると、あの防災無線で子供に帰宅をうながしているんです。どうりで耳から離れないわけだ。むかしは冬は5:00でじたが、なんで30分早くなったのでしょうか?。
2011年1月11日火曜日
夕焼け雲 (千昌夫)
夕焼けで思うのは、20代の後半の頃にカラオケでよく唄った曲が”夕焼け雲”でした。その頃、わたしは王子という場所に勤めていました。ある事情から自動車メーカーのテストドライバーを辞め、その時のエンジンの技術を生かして圧縮機関連の仕事をしていたのです。仕事が終ると毎日が飲み会で、丁度流行りだしたカラオケなる装置が普及し始め、今では想像も付かない8トラックカセットテープと言う代物で演奏したのです。当時人気が出て来た千昌夫さんの”夕焼け雲”が丁度唄いやすかったので良く唄いました。その時の勤め先は夕焼けではなく、本当の火災で無くなりましたけれどね。
2011年1月7日金曜日
夕焼けのあいつ (泉アキ)
”恋のバイカル”に似たような旋律でこんな曲がありました。ただ、この泉アキさんは歌では一発屋みたいですが、その後の芸能界での活躍は素晴らしく、レポーターをやったりバラエティーに出演したり、そして漫才の桂高丸菊丸コンビの菊丸さんと結婚して話題になり、とても一発屋とは言えない活躍ぶりです。確か私より年上であると記憶していますが、この歌の流行った当時、夕焼に失恋というパターンが主流であった時代の、代表みたいな曲です。その後、朝焼けで別れる歌も出てきていますが、やっぱり暗い夜の前とか寒い冬の前の秋が、別れの季節として音楽を創るのに都合がいいようです。
2011年1月6日木曜日
恋のバイカル (梢みわ)ふたばひろみ
http://www.youtube.com/watch?v=1erdxnlWXq4&feature=related
さあ今年も続けましょうか、どこまで去年は行きましたでしょうか。そうそう、ロシア民謡とか一発屋のあたりでしたね。この一曲が北国の湖を見てみたいという願望が、自分の中に湧き出したのを思い出します。ロシア民謡風で演歌も入っていて、なぜかGS(グループサウンド)の感じでもあり、その当時の流行化のいい加減さを表している曲です。彼女のその後は良く覚えていませんが、私の北国趣向の一因として懐かしく聴きました。丁寧に♪御バイカル御バイカル♪と唄っている訳ではありません、おそらく曲先で、後から詞を付けたので字余りを埋めたのでしょう。誰も居ないバイカル湖の畔をイメージします。
2011年1月1日土曜日
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