この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2010年4月10日土曜日
悲しき叫び (ジ.アニマルズ)
”悲しき願い”の本家、アニマルズの”悲しき叫び”。このジ.アニマルズが脚光をあびたのは”朝日のあたる家”だったが、当ブログでは”朝日楼”という曲で紹介済みである。そして、次のヒットが”悲しき願い”なのだが、これは日本特有の順位であって、母国では違っているかもしれない。知っているとは思いますが、英語の母音が先頭に来る場合、Theはザではなくジと発音するので’ジ.アニマルズ’となる訳で、私がバンドを組んだら、’ジ.アンクルズ’となる訳であります。この当時、平凡、明星と言う歌謡雑誌ではなく、ミユージック.ライフを買っていました。そこに書いてあった記事から学習しました。
2010年4月9日金曜日
悲しき願い (尾藤イサオ)
悲しきと言う曲の多さには驚く。私が少年の頃から十年以上、悲しきブームが歌謡界にあって、悲しきを付ければヒットするという、全く安易な風潮が定着していた。しばらく、悲しき特集を続けてみよう。”朝日のあたる家”で大ブレークした’ジ.アニマルズ’と言うバンドの”悲しき願い”はボーカルのエリック.バートンがハスキーボイスだったので、同じ声質の尾藤イサオさんが起用された。私が大塚という場所で、バーテンダーのバイトをしていた地下のトリスバーに、尾藤イサオさんの御兄さんが常連で来ていた。たまに本人も来店して、結構酩酊するまで飲んでいました。話の解るいい人でしたよ。
2010年4月8日木曜日
悲しきインディアン (ケントス)
インディアン絡みの曲で”悲しきインディアン”と言うウエスタンの曲があった。原曲はランニングベアーと言って、走る熊さんなのだが、これも関係者がイントロをきいてインディアンの踊りを連想したのだろう。無理やりインディアンを強調しなくても、軽快なこの曲は充分ヒットしたと思うが。走る熊さんでは、解らないでもないが。ちなみに、このケントスと言うバンドは、六本木を根城にしたリサイクルバンドで、黒澤明監督の御曹司黒澤久雄しが監修している懐メロバンドである。阿吽倶流が所属していたバンドとコンセプトがかぶったいる。
2010年4月7日水曜日
恋のインディアン人形 (リンリン・ランラン)
芝大門に劉園と言う中華レストランが出来た。あの時代のステータスシンボルだったこの店のTVコマーシャルが忘れられない。♪リンリンランラン劉園♪のフレーズが、今でも脳裏を過ぎるのだ。名前で気付いたと思いますが、中華系の白人双生児なのですが、お下げのヘアースタイルが、その頃テレビのウエスタン番組に出てくる、インディアンに似ている事から、音楽関係者のバカタレが安易に発想したものと思われる。単一少数民族を、本人達の了承も無く勝手にコスチュウ―ムを捏造、いまでは非難されるべき案件である。インディアンと言う呼び方も変わり、今はネイティブ.アメリカンと表現している。
2010年4月6日火曜日
花のように (ベッツィ&クリス)
外人女子で爽やかな雰囲気の二人組みと、高度成長をはじめた日本の若者が、戦争を知らない年代に突入したのもこの時代だ。私たち戦後生まれは空襲を知らなければ、原爆も知らない。物心ついた頃には、チョコレートをくれるアメリカ兵や、基地内のボーリング場で遊ぶ外人家族しか知らない。太平洋戦争は消えていたのだ。彼女たちが歌っている日本はもう連合国側になっていた。年寄りの話では竹槍訓練や本土決戦という、ナンセンスな事を語る年寄りの思い出も、この頃にはアメリカを憎む日本ではなくなっていた。逆に、日本の防衛をするアメリカが、そこにあり、それに賛否する若者が、世間をにぎわしていた。逆転の時代でもあった。
2010年4月5日月曜日
白い色は恋人の色 (ベッツィ&クリス)
二人組みにも色々あるが、外人女子のデュオはめずらしい。あの頃流行ったカレッジフォークというジャンルで、綺麗なハモリが売り物の、金髪ペアはにんきがあった。この曲が出た頃、私もデカボディーのフォークギターに興味をもち、初めて弾いたころでした。こんなに硬いスチール弦は初めてでした。クラシックのガット弦(ナイロン)やエレキのライトゲージ(細い)しか弾いた事がなかったので、フォークのミドル(普通)はきつかった。それを、いとも簡単に弾きこなす外人女子には驚いた。この頃、ギターは男のアイテムで、女子が弾き始めた初代頃だったと思う。
2010年4月4日日曜日
何故に二人はここに (Kとブルンネン)
今日もKとブルンネンだが、この曲には思い出がある。湘南に行ったときに、トランジスタ.ラジオから流れるこの曲を、その時の一日彼女がいい曲だと言った。男女3組で歩いたトリプルデートだったのだが、メンツあわせのあてがいカップルであった。友達が三人組みをナンパして、一番可愛い子とペアになり、こちらは取り巻きの娘とくっつけられたのだ。でも、性格はけっこう良い娘で、話は弾んだ気がする。友人が上手くいったら、俺たちも付き合っていたかもしれない。この曲を聞くと、あの日の会話がフラッシュバックしてくるのだ。江ノ島の古いセピアの思い出だ。
2010年4月3日土曜日
あの場所から (Kとブルンネン)
Kとブルンネンと言うデュオがいた。アメリカと言う感じではなく、ヨーロッパの若者というふたりが、外国人なまりで唄う日本語の恋の歌はヒットした。Kが外人だという確信はないが、ヒデロザのヒデにしても日本人離れした情熱的性格だし、ハーフとかクォーターが増えて日本自体が、混血状態である。甥や姪の話を聞くと、学校のクラスに一人くらいは外国の子供がいるらしい。日本も国際社会になったものだと感心するが、この曲が流れた頃は外人と日本人のハードルはもっと高かった。今は日本人より日本に詳しい外人が増えたみたいだ。タレントでも外人ハーフがいっぱいだ、もうほとんど日本人みたいなものだ。
2010年4月2日金曜日
ナオミの夢 (ヘドバとダビデ)
その頃流行ったデュオで、衝撃的だった、ヘドバとダビデ、と言う、旧約聖書にでも出て来るような名前の男女が、ナオミと言う日本的なタイトルの曲をリリースした。音響的にも、トルコの雰囲気で、アラブの盗賊を連想するスタイルをしていた気がする。もっとも、私は、中東には行った事がないので、アラビアン.ナイトとかをイメージして、勝手に解釈している訳でして、外人が日本に今でも侍がいると思ってるのと同レベルの話ではある。日本語の訳詞で、向こうにもナオミがいた事を、モデルのナオミ.キャンベルの存在で知った。
2010年4月1日木曜日
ローマの奇跡 (ヒデとロザンナ)
ヒデロザで阿吽倶流がすごくお気に入りの曲を載せておこう。和製カンツォーネといった感じの曲で、ふたりでフーガのように掛け合うところが、とってもいかしてる。ところで、ロザンナの来日秘話であるが、そこそこ有名なバンドでカサノバセッテと言うイタリヤのグループがいた。メンバーの姪だったロザンナが、ボーカル見習のような感じで来日、音楽関係者の目にとまり、当時はやりのデュオ(ふたり)の誕生となった訳らしい。聞きかじりで、詳しくは知らないけれど、その頃、日本で心細かったロザンナが、男気のあるヒデを愛さない訳がない。同性にも好かれる性格のいいヒデが、あんなに早く召されるとは、夢にも思わなかった。
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