この世界に、流れる音楽は数あれど、いつかは消えて行く運命。だけど忘れられない曲。自分の人生の節々を、そっと飾ってくれた、そんな曲にありがとうをいいたい。蘇える想い出はとても綺麗だ。誰にも、そんな曲が、ありますよねぇ。音楽を重ねて思い出す。だから、想い出が、よけい綺麗に蘇える。
2010年3月10日水曜日
涙と雨にぬれて (フランク永井 松尾和子)
なかにし礼先生の最初のレコード化作品はこの曲である、”知りたくないの”とか”今日でお別れ”のように、大ヒットした訳ではないが、御本人にとっては記念すべき作品なのでしょう、外弟子間では有名な逸話であります。さるナイトクラブにて、石原裕次郎さんと同席して、故郷が小樽という事もあり、作品のレコード化を持ちかけられた。それがきっかけで作詞家の道へ進むようになった、サクセスストーリーはよくしっています。数居る作詞家のなかで、私も、なかにし礼先生を師と選んだことを誇りに思います。目的は達成できなかったけれど、人生の現象や逆現象など、いろいろ学びました。ちなみに、内弟子は千家和也先輩です。
2010年3月9日火曜日
時には娼婦のように (黒沢年雄)
クロサワヒロシの兄貴といえば黒沢年雄さんですが、俳優では有名です。歌と言えば、唯一ヒットした”時には娼婦のように”である。この曲は、私の師であります、なかにし礼先生が自分でも競作でレコードを出している作品です。若き日の礼先生は、今で言うイケメンで、映画出演もしているほどでした。しかし、礼先生はシャンソンの訳詩などしてたせいなのか、フランス語なまりがあります。♪バカバカしい人生より♪を喉に詰まらせて、♪バガバガしい♪に聞こえるのでシャンソンのようです。聞きたい人はURLを載せておきましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=QPGwn4JY78s&feature=related
2010年3月8日月曜日
三年目の浮気 (ヒロシ&キーボー)
クロサワとくれば”三年目の浮気”ですね。映画のシーンで、マリリンモンローが地下鉄の排気口の上に来て、スカートがふわりは、あまりにも有名です。その映画は”七年目の浮気”ですが、この歌はパクリでしょうね。作詞のキャッチコピーではよくある手法です。あの阿久悠先生はよくやっていました。何故なら、だいの映画好きですから当然です。映画のタイトルは、日本の配給会社が営業会議や評論家等が決定しますので、そうとう内容の濃いタイトルになっているので、歌謡曲の作詞家としてはおいしい台詞なんです。ちなみに、この曲は詩曲とも、”あなたのすべてを”で知られる佐々木勉先生です。ヒロシ&キーボーもユニークでしたね。
2010年3月7日日曜日
若者たち (ブロードサイドフォー)
有名人の子供といえば、黒澤明監督の息子さんもブロードサイドフォーというフォークグループに居ました。テレビドラマの”若者たち”の主題歌を歌っていました。このドラマは人気があって、映像に出てくる隅田川沿いの、お化け煙突はもう無くなってしまいましたが、昭和の思い出です。♪君の行く道は♪、いまでもフレーズが出てきます。戦後の高度成長期に、若者に立ち塞がる矛盾。私は子供だったので、深い意味など分からず、ただこの歌だけが昭和の欠片として残っています。黒澤久雄さんは、いまはお父様の記念館関連の事務長だそうです。
2010年3月6日土曜日
ザ・サベージ メドレー
その頃、日本ではエレキ旋風が吹き荒れ、テレビではアマチュアバンドの登竜門である、’勝抜きエレキ合戦’という番組を放送していた。プロ顔負けのチェックメンとかザ.サベージと言うグループが目立っていた。後にサべージは優勝してプロデビューしましたが、その中に俳優の宇野重吉氏の息子さんの、寺尾聡さんがいました。その後彼はシングルで”ルビーの指輪”という曲でレコード大賞をとっています。だけど蛙の子は蛙で、いまはいい俳優になっていますね。あのころは、若者みんなエレキにしびれてました。
2010年3月5日金曜日
新生ベンチャーズ,メドレー
やっぱり一番影響を受けたエレキバンドはベンチャーズだろう。現在はドラムスのメルティラーが亡くなり、その息子が後を継ぎました。この間、ベース担当のボブボーグルも亡くなり、ベンチャーズの危機は続く。そして、新生ベンチャーズの登場だが、リードのジェリーマギーがベースを弾いているではないか。もうこれだけ続いていると、だれが弾いても同じである。最初のメンバーで変わらないのは、リズムギターの首領ドンウイルソンだけだが、ここまで解散もせず来たのが奇跡である。ある意味青い眼をした日本人でもある。彼らが居たからエレキギターを覚えたようなものである。心から感謝しているしだいである。今度のリードはレコーディングなどのバックアップメンバーのボブスポルディングである。
2010年3月4日木曜日
パイプライン (The Chantay's )
はじめてのエレキギターは友人のお下がり。仲間に入れてあげるからと、中古のテスコギターを買わされた。ダルマのような格好をした、ピックガードにストライプがある、サンバーストの塗装だった。詳しい人はこれだけで、ああ、あれかと判る筈である。そして、パートはサイドギターで、太い方の二弦を、交互にポンパポンパと弾くだけである。実に簡単で、そればっかりやらされて、他の曲は別の人がやって、結局ギターを売り付けられただけのようだ。だから、一人で独学になって、大人になるまでバンドを組んだ事がない。パイプラインのサイドを正確に覚えたのは大人になってからだ。最初に聞いたパイプラインは、確かシャンティーズだった気がする。
2010年3月3日水曜日
太陽の彼方に (アストロノウツ)
エレキサウンドのはじめてレコードはこれ。これを聞いた時には鳥肌がたった。シンセサイザーなんて知らないし、エレキギターでさえ日本では珍しい時代。なんだこの音は、まさにぶったまげた、と表現するしかない。その頃は知らなかった、リバーブという装置が創り出すスーパーサウンド。この装置を作るため、その後糸電話のようにスピーカーとマイクの間に、細くて柔らかい針金でバネを巻いて、手製のリバーブエコーを造ったりして実験をした。この経験がエレキギター狂いのはじまりで、はじめてのエレキギター、テスコ社製のエレキ購入へと繋がったのである。
2010年3月2日火曜日
孤独の世界 (P・F・スローン)
はじめて買った洋楽レコードはこの曲だった。意味はまったくわからず、テンポがよく、口ずさむのに簡単だった。理由はそれだけで、歌詞を訳してみたりした事もない。♪ハビューエバーハー♪今でも忘れないで口ずさめる、耳から英語だ。その頃歌詞を見て憶えた事はなく、耳から聞こえた音を、日本語的なフレーズにして憶えたものだから、英語としては全く通用しない。外国旅行をする時に憶える、斉藤寝具(観光)や掘った芋いじるな(今何時)みたいな、なんちゃって英語なのである。そんないいかげんな歌詞で洋楽に親しんでいた少年時代ひきついで、現在のいい加減なオジサンに出来上がったのだと確信している。
2010年3月1日月曜日
すきやき (坂本九) 上を向いて歩こう
はじめて私がお小使いで買ったレコードがこの曲でした。実は、兄姉に乗せられて買わされたのでした。自分達はお目当てのレコードを買い、私にこのレコードを買わせて自分達も聞けるので薦められたのです。その時、景品に付いて来た陶器で出来た犬の置物、ビクター犬(白黒の犬)は今でも私の宝箱に眠っています。坂本九さんがこの曲を出した時に、私が小学生だった事で、私の世代もばれてしまいますね。”上を向いて歩こう”は正に、私の音楽収集の原点だった。ソノシート(ペラペラなレコード)ではなく、黒いドーナッツ盤の初めてのマイ.レコードでした。
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