2010年2月20日土曜日

恋   (布施明)


恋愛と一括りで言ってしまうが、愛と恋の違いが解からない人に歌は書けない、そう教わった。覚めるもの、それは恋、消えないもの、それが愛。今流行りの事業仕分け的に歌を見てみよう。恋を愛と歌っている楽曲がある。またその反対もある。歌を聞く時、それを意識して聞いてみると、面白いことが分かって来る筈です。無意識に作詩して、心変わりや浮気心に愛を使う時は慎重に。実生活でも同じことが言える。愛というのは、その人の為に死ねる事で、その覚悟が無いうちは恋なんですよ。恋が育って愛になる。だから恋愛の間には時間と言う字が隠れているのです。

2010年2月19日金曜日

骨まで愛して (城卓矢)


愛と死のミコは骨肉腫で亡くなったが、その頃流行った曲でこんな歌があった。北原じゅん作曲、川内和子作詩の”骨まで愛して”。私は当時十代前半で、この曲の内容など全く解からず、川内庚範先生の世界観も知らず、(和子名は奥さまの借名)最近になって、やっと愛する事の真髄らしきものが理解出きるようになった今日この頃です。作曲の北原先生は歌手、城卓矢氏の実兄で、城卓矢氏は川内先生の甥という複雑な曲であります。骨まで愛する事が出きれば最高の愛です。だからと言って、見た目だけ愛する軽い愛もあるでしょう。でも、愛には時間が要るのです。愛に育つ前までを恋と言うのです。恋は病気みたいな物で、熱が下がれば直ります。

2010年2月18日木曜日

愛と死をみつめて (ドリカム)


なぜこの曲なのかと言うと、梓川の流れる信濃路が歌詞に出て来ること。もともと信濃がすきで、若い頃から何度も訪れて、心癒されている大自然のありがたさを、信濃路という条件反射で癒され、思いを馳せる性格なんです。でも、この物語は泣かされました。ミコマコ現象というか、こんな二文字カップルが増えたのもこの小説のヒットからだと思います。私も、○○、××と呼び合う経験をした事があります。でも、喧嘩したり、嫌いになったりする別れと違って、死別ほど悲しい別れはありません。以前取り上げた”ある愛の詩”もそうでしたが、生老病死では最高の悲しみでしょう。

2010年2月17日水曜日

あずさ 2号 (狩人)


戸倉俊一先生は大信田礼子さんと結婚していました。そして、戸倉先生の曲で印象的だった数ある曲の中で、竜真知子先生作詩の”あずさ2号”は特に思い出があります。作詞家志望だった私は、友人の紹介で、日本作曲家協会の会員である英孝二(ペンネーム)氏と知り合い、よく、喫茶店なんかで作曲談義をしていました。ある喫茶店で、”あずさ2号”の話をしていたら、後の席にいた日本ビクターの人の耳に聞こえたらしく、話に割り込んできて、名刺を下さいと言われた。英(ハナブサ)氏は立派な名刺を出したが、私は無かった。彼らはその後会ったのだろうか?。

2010年2月16日火曜日

同棲時代 (大信田礼子)


大信田礼子さんの”同棲時代”を聞いて、まさか、自分が同じような生活をするなんて、思っても見なかった。この歌は少し過激だが、人生の後先の事なんか考えなかった事は確かだ。お互いに、実家があって、何不自由なく暮らせたのだけれど、彼女には婚約者がいた。その彼は現役のキックボクサーで、私としては逃げるしか無かった。暴力的な彼に愛想をつかし、たまたま知り合った私に助けを求めた彼女は、北海道へ行こうと言っていたが、そんな金も無く、高円寺の知り合いの部屋に転がり込んだ。その先は....またの機会にしましょうか、さきは永い。

2010年2月15日月曜日

ざんげの値打ちもない (北原ミレイ)


北原ミレイさんをテレビで見たのは、この曲が最初だった。上村一夫さんの劇画のために、阿久悠先生が書いた歌詞で、意味深い内容の物語。漫画を劇画といって、小説などのように、文学作品と同等の価値観を抱いた風潮があって、シリアスなものを描く作家が沢山いた。GAROという漫画雑誌が飛ぶように売れた時代で、私もチャレンジしたかったが才能に恵まれなかった。私が高円寺の安アパートで同棲時代を過ごして居た頃、そういった環境で劇画家を夢見て、食うや食わずで修業していた仲間が何人かいた。仲間だったのか、貧乏人のコミューンだったのか。だけど、楽しかったなぁ。

2010年2月14日日曜日

石狩挽歌 (北原ミレイ)


挽歌で連想するのは”石狩挽歌”です。この曲の舞台は石狩湾、そのイメージに惹かれて二度も小樽をおとずれた。曲の中に出て来るオタモイ岬に行った時はおどろいた。細い山道に古い集合住宅があり、そこを過ぎるとくねくねとした下り坂が続く。やっと着いた所には、平らで何も無い平地があった。海辺までは更に10メートルほどあって、丘の上には尖った岩があるだけ。昔ここに鰊御殿でもあったのだろうか。♪オンボロロ、オンボロボロロ♪という、跡形も無い。♪沖を通るは笠戸丸♪というくだりは、みんなブラジルあたりに移住したんだろう。まるで廃れた金山にようだ。

2010年2月13日土曜日

愛の挽歌 (つなき&みどり)


三原綱木さんの元奥さんの田代みどりさん、憶えてますか。新婚当時、ふたりで曲を出した事がありました。”愛の挽歌”、曲が災いを起したのでしょうか、その後、離婚してしまいました。結婚式は、たしか湘南のパシフィックホテルでやったのでした。加山雄三夫妻が仲人だったような?。古い話をもちだして、申し訳ありません。でも、そういう積み重ねの上に、今の自分がいるのです。温故知新なんて言葉がありますが、決して昔の自分を否定して、消しゴムで消すように過去を抹殺しないで下さい。思い出したくない過去も、いつか奇麗な花を咲かせます。私もいっぱい持ってます。

2010年2月12日金曜日

お嫁サンバ (郷ひろみ)


サンバで浮かぶのは”お嫁サンバ”。たしか、私の記憶では、この曲の相棒にブルコメ(当時)の三原綱木さんが合いの手で、♪あの街この街♪と歌っていたのを憶えています。彼も、あの頃はまさか、自分が指揮者になるとは思わなかったでしょうね。あの、ダン池田事件が運命を変えたのでしょう。知らない人いますか?。歌謡曲のバックバンド、ダン池田と二ユーブリードで、若い歌手になめられて、頭に来て仕事を放棄したダン池田。そして後のポストに三原氏が入ったと言う事でしたね。ダン池田さんは成増でカラオケ教室をしてるらしいが、人間辛抱だと、つくずく思います。

2010年2月11日木曜日

別れのサンバ (長谷川きよし)


盲目の天才といえば、日本にも居ます。長谷川きよしは”別れのサンバ”のヒットで世に認められ、華麗なるラテンギターで人々を魅了していた。私もスナックでコピー演奏をしたが、やっぱり、なんちゃってギターで、それっぽく、ギターを叩いたりしてカッコつけるのだけど、肝心の指がついてこない。弾き語りでは、けっこうごまかして、演奏はしましたが、みんな酔っ払いですから適当に聞いてました。スナックで、ボランティアみたいにタダ同然で弾いてたので、文句言う人はいませんでした。だけど今聞いてもいい曲ですね。